10
<注意>第37回小説すばる新人賞 落選作品 を改稿したものです
くーちゃんは、重い身体を引きずって、ゲストハウスに帰りました。
太陽は西の山稜にかかり、辺りはすっかり茜色。
東の空を見ると、夜の暗い紺色が少しずつ近づいていました。
水と岩の竜を作ってから、くーちゃんは、これまでにない感覚に襲われていました。
川の水をかぶって濡れたわけではない——天使の身体は水にも濡れないようになっています——それなのに、身体が震えて仕方がない。くーちゃんの身体に、いったい何が起こったのでしょう。
この感覚の正体を知るには、現状、祖父江さんに聞くしかありません。夕方近くまで川沿いをうろうろと歩いて、ようやく、ゲストハウスに帰る決心をつけました。
ゲストハウスは、とても静かでした。
玄関にも、宿泊棟にも、人の気配がありません。
くーちゃんはおそるおそる、本館に入りました。
そこで、セナがどうして、すぐに家に帰ろうとしなかったのか、わかった気がしました——彼はきっと、大切な靴を履かずに帰ったことを、おかあさんに知られたくなかったのでしょう。
リビングに足を踏み入れたとたん、さっきまでの不可思議な感覚が薄れました。代わりに、また別の感覚がやってきます。むき出しの両手足には、冬の風ではなく、ぽかぽかとした感覚が広がっていました。その正体は、天井近くに設置されている空調の風でした。
廊下から祖父江さんがやってきます。祖父江さんは少し困ったような笑顔を浮かべて、くーちゃんに言いました。
「今朝のご家族、キャンセルされました」
キャンセル、というのが、くーちゃんにはわかりません。が、なんとなく、あの人たちはここに泊まらないのだとわかりました。くーちゃんは、はじめて、祖父江さんに申し訳なく思いました。
しかし、祖父江さんはくーちゃんを責めず、穏やかに言います。
「寒そうね」
「さむそう?」
「ええ。人間が、暖かいとか、寒いとか言っている、あの寒いです」
そうか、これが「寒い」か……人間は、冬の空気が肌に突き刺さるこの感覚を、寒い、と言っていたのか。
「天使の力を使いましたね」
くーちゃんはおずおずとうなずきます。
「力を使えば使うほど、身体に貯めこんでいた気配が消えて、そういうことになります。これまでなら平気だったことが、平気ではなくなるんです」
祖父江さんは、くーちゃんをテーブルに座らせて、暖かいお茶を出しました。これまでずっと、祖父江さんが用意してくれていたお茶と、同じものです。口をつけると、胸の奥から空気が抜けました。一口飲むたびに、お腹の奥がぽかぽかとしてきます。
相変わらず、お腹が空いているわけでも、喉が乾いているわけでもありません。
ですが、この一杯のお茶が、とてもありがたいものに思えました。
「……ごめんなさい」
祖父江さんはやわらかい声音で「怒ってませんよ」と言います。
「わたしは、なんとも思っていません」
それからしばらくして、タロウくんとナルちゃんが帰ってきました。
タロウくんはくーちゃんに興味がないようで、すぐに自室に戻ってしまいます。
ナルちゃんは、くーちゃんがリビングで暖かそうにしているのを見て、昔なじみの仲間を見つけたように、うれしそうに抱き着いてきました。
なにがそんなにうれしいのか、くーちゃんにはわかりませんでした。
——第1章 了——
閲覧ありがとうございます!
次回もよろしくお願いしますm(__)m
内容が気に入れば、どうぞ、SNS等で広めてください。
*順次投稿していきます。




