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<注意>第37回小説すばる新人賞 落選作品 を改稿したものです
くーちゃんが声の方に向くと、背の高い男の子が、ランドセルを揺らしながら、こちらに駆けてきました。頬も身体もごつごつとしいて、外見だけ見れば、大人にも見劣りしません。全開になったジャケットの内側にある白シャツには、『最強!』と、墨汁を散らしたような文字が書いてあります。
シャツの胸元にはネームがあり、彼は「星上ダイチ」と言うそうです。
彼の後ろには、友達らしき男の子がふたりいて、意地悪そうに、にやにやと口元をゆがめています。三人とも、セナと同じく、ランドセルを背負っていました。
「せっかく教室で待ってたのに、なんでいねえんだよ」
最強!な星上ダイチは不機嫌そうに目を細めて、セナをにらみました。セナが憎くてにらんでいるというより、強そうな態度を見せて、セナがおびえるようすを楽しんでいるようです。セナは実際、おびえたようにうつむいてしまいました。
「薄情だよなあ。一緒に帰ろうって言ってたのに、勝手に帰っちまうんだもん」
「ぼく、薄情なんかじゃ……」セナの声はこわばっていました。
「いっしょに帰ろうって約束したのにさあ」
「そんな約束、してない」
「やっぱり薄情じゃねえか」
ダイチは、後ろの二人から、赤いスニーカーを受け取って、セナにつきつけました。セナが顔を跳ね上げます。
「これ、大事なんだろ? おかあさんに買ってもらった、大事な靴だよな」
それのどこが面白かったのでしょう、後ろのふたりがオウムのように「おかあさん!」「おかあさん!」と繰り返して、笑っていました。ふたりが笑うたびに、セナの両目に涙がたまっていきます。それも面白かったらしく、ダイチも混ざって笑います。
くーちゃんは、そのやりとりを、ただ静かに見ているだけでした。こういった人間のやりとりは、天界でも見てきました——声の大きな人間が、何も言わない人間をなじったり、小ばかにしたり——くーちゃんは辟易とため息をつきます。いじめっ子たちは、セナをいじめるのに忙しいのか、くーちゃんが見えていないようです。
(これだ!)
くーちゃんの頭脳がきらりと光ります。
いま目の前で起こっているものこそ、人間の愚かさの象徴でしょう。
くーちゃんは天に向かって叫びました。
「いじめっ子です! この世で最も愚かなのは、いじめっ子だと思います!」
ブー!
くーちゃんは頭を抱えてうずくまりました。またも不正解。自信を持って答えただけに、頭の揺れがいつもより強く感じました。
いきなり大声を出したおかげか、ダイチたちはやっと、くーちゃんに気づきました。三人とも、白いワンピース姿の女の子を見て、そのあまりに寒そうな格好に、首をかしげます。が、何を勘違いしたのか、ダイチはセナに向き直って、先ほどよりもいやらしく、口角をゆがめました。
「そうか、おれたちより、その子と遊ぶのを優先したってわけだ。おれたちより、おかあさんから買ってもらった靴より、女の子と遊ぶほうが大事だったんだ」
「ちがう!」セナの上ずった声を上げます。
「女たらし」
「ちがう!」
セナはうずくまって、誰にも顔を見せまいと、膝の頭の上に顔を伏せてしまいます。
「取り返さなくていいのか?」
と、セナの赤い靴を、キャッチボールをするみたいに投げ合います。その間も、セナはうずくまったまま、肩を震わせるばかりです。
くーちゃんは、ようやく頭のぐらぐらが治まって、顔を上げました。不正解の腹いせに、何かに文句をぶちまけたい気分です。不正解の余韻が残るなか、くーちゃんはセナに口を寄せました。
「やりかえしなさい」
教会の神父様がひっくり返りそうなことを言ってのけました。
セナはしゃっくりをするみたいに鼻をすすっています。
「あんた、くやしくないの?」
「……くやしい」
「だったら、やりかえしなさい。川に落とすなり、ランドセルでもなんでも取り上げるなり、好きにしなさい。天使であるあたしが許すわ。あんたには、あいつらに復讐する権利がある。あたしが許してるんだから、大天使様も、どこにいるかわからない神様だって、あんたの行いを悪く思うことはないはずよ」
くーちゃんはセナの腕をつかみ、引っぱり上げようとします。
が、セナはそれでも立ち上がろうとしません。いじめっ子たちはいっこうに反応してこないセナを振り向かせようとしたのでしょう、粉雪を拾い集めて、雪玉を作って、セナの背中にぶつけています。それでもなお、セナは立とうとしません。
「どうして?」
声が上ずるほど不可解でした。
「あんた、先祖が亀かなにかなの? 殻の中に隠れていればいつかなぐられなくなるなんて、そんな都合のいい話、あるわけない。あなたは亀とちがって素直だし、考える頭もある。さっさとやりかえして、終わりにしなさい」
「無理だよ!」
セナは、抱えた両腕に口を押し当て、熱い息を吐くように言います。
「いっつもそうだ……みんなからかって、ぼくが泣いても、やめてくれない。意気地がないせいだって、みんなが言う。先生も言うし、おとうさんもそう言う。ぼくだってわかってる。でも、やりかえしたら、やりかえされる。そうなったとき、ぼく、絶対に負けちゃう。三対一だし、目が悪いから、力もない」
目の良し悪しが力と関係あるのかは、さておき、
「三対一でも、かみつくくらいはできるでしょ」
「こわいんだ!」
セナが悲痛な声を上げます。
「痛い思いをするも、相手を傷つけるのも、こわい。それに、ぼくが立ち向かったって、その立ち向かったことを、ダイチくんたちはきっと、笑ってくる……それが嫌なんだ。本気でやったことを鼻で笑われるのが、すごく、こわい」
くーちゃんの視界の端で、橋の向こうを、どこぞのおじさんが歩いていきます。おじさんの視界にも、橋の上の惨事が映っているはずです。が、おじさんはちらっと橋の上を見て、不快そうに眉をしかめて、目をそらしてしまいました。その向こうでは、一組のカップルが買い物に出かけていました。もちろん、ふたりにも橋の上が見えたはずです。が、すぐにふたりの世界に戻ってしまいます。
誰も彼も、見て見ぬふり……
この橋の上には、人間の愚かさが凝縮されていると、くーちゃんは思います。
くやしくて仕方がないのに、立ち向かうのを諦めている人間がいる。そんな人間に、平気で雪玉を投げる人間がいる。泣いてうずくまっている子どもに、見向きもしない人間がいる。大天使様は、これほどに胸の痛む場面を見てもなお、くーちゃんの答えを不正解とするのでしょうか。
「このまえ……」
セナが、しゃっくりを上げながら言います。
「マフラーと手袋、もらってくれて、よかった」
「え?」
「あれ、おかあさんが、誕生日に買ってくれた。寒いから、これをしていけばいいって、買ってくれた。おとうさんは女っぽいとか言ってたけど、ぼくはうれしかった。でも、学校に着けていけば、ダイチくんたちに取り上げられるって、わかってた。だから、くーちゃんがもらってくれて、よかった。ぼくがこうやってやられても、おかあさんがくれたマフラーと手袋は、だいじょうぶだから」
「おーい」
ダイチの声に、セナがおずおずと振り向きます。
ダイチは、セナの赤い靴を、橋の欄干の上に置いて、靴のかかとに指をかけていました。少しでも指を離せば、赤い靴は川に落ちてしまうでしょう。ダイチがわざとらしく靴を揺らします。セナの顔から血の気が引きます。取り巻きのふたりがけらけらと笑います。
「いいのかー?」
ダイチが言います。
「おかあさんが買ってくれた靴が、落ちちゃうぞー?」
セナはやはり、うつむくだけでした。もうすっかり、大切な靴を川に落とされたつもりでいるようです。冬の川は冷たく、流れも速い。あんなところに落とされたら、川下に流されて、二度と戻ってこないでしょう。
くーちゃんは考えてみました。天使からすれば、大天使様がおかあさまのようなものです。もし仮に、あの血も涙もない大天使様が自分に贈り物をしてくれたとして——いや、あの大天使様が贈り物なんてするわけない、大天使様は関係なく、もし、誰かから大切な贈り物をされたとして——それを、あんなふうに弄ばれたら、どう感じるでしょう。
……これからやるべきことが、わかった気がしました。
くーちゃんはセナの脇を通り過ぎ、ダイチの前に立ちました。セナではなく、近くにいた女の子がやってきて、ダイチは意表をつかれたような顔をします。セナもセナで、くーちゃんがダイチとの間を割るように立ったので、目を丸くします。
「返して」ダイチに向けた、最初の一言。
「やだね、こりゃセナのもんだ」
「返しなさい」二言目。
「おまえが取り返せばいいだろ」
「返せ」三言目。
「やってみろよ」
くーちゃんはまず、無言で手を広げました。ダイチはすでにそうするつもりでいたようで、くーちゃんの手が伸びるのに合わせて、わざとらしく赤い靴から手を離します。セナがくぐもった悲鳴を上げたのを、くーちゃんはちゃんと聞いていました。
次に、胸の前で手を組みました。こんなところで残りの三回を使うなんてばからしい。だから、一回だけ、大切な力を使うことに決めました。
最後に祈りました。
「水よ、岩よ」と。
変化はたちどころに現れました。
とつぜん足元が揺れ、川のほうから、巨大な影が立ち上りました。何事かと、いじめっ子たちが顔を上げ、腰を抜かします。セナも、ずれた眼鏡を直して、あっけに取られたように見上げます。
彼らが見たのは、竜でした!
くーちゃんの祈りは、川の水と岩を、巨大な竜に変えたのです。ごつごつとした体躯、蜥蜴のような顔、肉食獣のような牙。どこを見ても恐ろしさばかりが目立つ竜です、が、頭の上に赤い靴を乗せているせいで、いまいち威厳がありません。
それでも、いじめっ子たちが恐怖するのに、十分な迫力がありました。巨大な竜は彼らに顔を近づけ、水しぶきのある鼻息を、ぶーっと吹きかけます。いじめっ子たちは、すくみ上がって、ぶるぶると頬を震わせます。
「謝りなさい」
くーちゃんはあらん限りの怒気を込めて、ダイチを見下ろしました。
「彼はあたしを天使と慕ってくれた。彼を虐げるということは、あたしを虐げているも同じこと。許されることじゃない」
ダイチたちの耳に、くーちゃんの言葉は届いていません。彼らはくーちゃんの背後にいる巨大な竜から、目が離せないようです。竜は、ゆらりと宙を飛び、橋のたもとに向かいました。
「あなたたちは、あろうことか、天使を馬鹿にした……天罰が必要ね」
くーちゃんは右手を振り、竜に命じました。竜はなんと、橋のたもとにあった街灯を丸呑みし、柱の真ん中で噛み砕いてしまいました。街灯には何の罪もありませんが、見せしめとして割を食うのは、いつだって、なんの罪もない者と決まっています。
いじめっ子たちも、あの街灯のように、身体を真っ二つにかみ砕かれてはたまりません。ダイチは叫び声を上げながら、町の方に逃げ出しました。その後を追うように、仲間のふたりも叫びながら逃げていきます。
くーちゃんはなおも、彼らの後を追おうとしました。
「待って!」
セナの声が聞こえて、くーちゃんと竜が止まりました。
「もういい、もう、いいから!」
「なんで?」くーちゃんと竜が、可愛らしく首をかしげます。
「十分だから、ほんとに、もう、十分」
くーちゃんは竜から赤い靴を取り上げて、竜をもとの水と岩に戻します。
さっきまでの騒ぎが嘘のように、辺りには静けさが戻って……いえ、とつぜんの不思議現象を遠目に見ていた町の人が、橋の上に集まってきました。しかし、誰ひとり、くーちゃんの仕業だとわかっていなようです。誰も彼も、川の下をのぞきこんだり、真ん中でぽっきりと折れた街灯を見上げたり、騒がしくなってきました。
くーちゃんはセナの手を引いて、野次馬から離れるように橋を渡ります。
「はい、これ」
くーちゃんはセナに赤い靴を手渡します。竜に拾い上げてもらったおかげで、赤い靴はじっとりと濡れていました。が、セナはまったく気にしませんでした。じっとりと濡れた赤い靴を受け取って、すぐには履かず、大事そうに胸に抱えています。
「ありがとう」
くーちゃんは得意げに鼻を鳴らします。ここで威厳を見せなければ、と思っていたのですが、なんだか鼻の奥がむずむずとして、こらえきれず、大きなくしゃみをしてしまいます——心なしか、冬の風が肌を刺してくる気がします——くーちゃんは小さく身震いしました。
セナは、くーちゃんの威厳があるかどうか、まったく気にしていないようです。水に濡れた靴を持っていながら、風邪でもひいたように、頬を赤く染めています。
「どうしたの?」
「なんでもない!」
セナは慌てて目をそらして、赤い靴を履きました。
いまさら気づいたのか、「濡れてる」とこぼしました。
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