04 手伝い
04 手伝い
最初の一週間、兄貴もハウスへ来た。
「どれを採ったらええんや」
「先だけやない。へたのほうまで色を見てくれ」
俺が教えると、兄貴は実をつまんだ。指の当たったところが、すぐにへこんだ。
「強く持ったらあかん。傷む」
「繊細やなあ」
兄貴は笑って、へこんだイチゴを自分の口へ放り込んだ。
一時間もしないうちに、腰を伸ばして通路へ出た。
「ずっと同じ姿勢は、きついな」
「慣れるまではな」
「お前はようやってるわ」
その言葉に、俺は期待した。
だが、翌週から兄貴は来なくなった。
「現場はだいたいわかった。次は売るほうや。いくらええものでも、知られへんかったら意味がないからな」
売り先を増やすこと自体に、俺は反対しなかった。
佐伯さんにも、直売の割合を増やせば手元に残る金が違うと言われていた。
「使う金と、売れる見込みを先に出してくれ」
「お前、爺さんみたいなこと言うなあ」
兄貴はそう言い、印刷会社の見本を座卓いっぱいに広げた。
***
兄貴は東京で二件、取引を決めてきた。
得意げに名刺を並べたあとで出てきた領収書を見て、俺は黙った。
「泊まるのに、こんなにかかるんか」
「相手に合わせなあかんやろ。安いところに泊まってると思われたら、足元見られる」
「イチゴの値段と、泊まるところに何の関係があるんや」
「そういう理屈だけやないんやって」
母は俺の横で言った。
「最初はお金がかかるもんや。せっかく仕事を取ってきたんやから」
そのうち、畑の一角に直売所とカフェができた。
今度の借り手は祖父だった。土地を担保に入れたと、決まったあとで聞かされた。
俺は自分の借金を返し終えた書類を、押し入れの箱から出した。新しい契約には名前を書かないと伝えた。
「他人みたいなことを言うんやな」
母は寂しそうな顔をした。
他人扱いはするくせに、金の話になると家族になる。
そう思ったが、口には出さなかった。
***
兄貴が戻ってから、俺にも決まった給料が出るようになった。
それまでは、必要なものを買うたび家の財布から出していた。自分のためにいくら残していいのか、いつもわからなかった。
「これからは、ちゃんとした経営にせなあかん」
兄貴は給与明細を俺に渡し、そう言った。
その考えには賛成だった。
俺は初めて、自分の給料を自分の口座へ入れた。
取っておいた整備の教科書を開いたのは、その晩だった。
「俺が給料払うて、弟を使うとるんや」
兄貴がそう言っていたと、あとで聞いた。
***
翌年、農園は忙しくなった。
休日には直売所の前に車が並び、カフェではイチゴのパフェがよく出た。地元の情報誌に載り、テレビの取材も来た。
兄貴には、人を集める力があった。
カメラの前でも言葉に詰まらず、相手の欲しい話を見つけるのが早かった。
「うちでは、苗の状態に合わせて細かく管理しています」
撮影用のきれいな長靴で、兄貴はハウスの入り口に立った。
「いい実を作るには、毎日の積み重ねが大事なんです」
俺はカメラに入らない奥の列で、傷んだ葉を取り除いていた。
記者が兄貴へ聞いた。
「苦労されたことも多かったでしょうね」
「ええ。最初は、寝る暇もありませんでした」
指先で切った葉が、通路へ落ちた。
兄貴は、こちらを見なかった。
***
母も祖父も、人が訪ねて来るたびに兄貴の話をした。
「長男が戻ってくれて、ほんまに助かりました」
「やっぱり違いますな。こんなに大きくしてくれて」
俺が箱を運んで通ると、客の一人が母に尋ねた。
「あちらは、従業員さんですか」
「下の息子です。兄を手伝ってるんです」
母は笑って答えた。
俺は箱を持ち直し、冷蔵庫へ向かった。
手伝いね。
それなら俺は、いったい誰の仕事を十年以上、手伝っていたのだろう。
***
兄貴は東京にもカフェを出した。
「農園から直接届くイチゴ。それだけで、向こうでは価値があるんや」
「代金は、ほかの取引先と同じように払ってくれよ」
「わかってる。身内で揉めるようなことせえへん」
だが、支払いは二か月遅れ、三か月遅れた。
俺が請求の話をすると、母が間に入った。
「今は大変なんよ。もう少し待ってあげて」
「苗屋にも燃料屋にも、同じことを言うんか」
「あんたは、すぐそうやって恭一を追い詰める」
半年で店は閉じられた。
戻ってきた兄貴は、都会の家賃と人件費の話をした。農園から出したイチゴの代金については、誰も話さなくなった。
俺は出荷日と数量と未払い額を、きちんと記録した。
母に嫌がられても、数字まで消す気にはなれなかった。
***
ある冬の晩、ハウスの暖房が不安定になった。
俺は夜通し調子を見て、明け方にようやく家へ戻った。炊飯器には飯があったので、冷たい煮物をおかずに食べた。
玄関が開き、兄貴が入ってきた。酒とたばこの匂いがした。
「お前も朝帰りか。ええ加減にせえよ」
俺は箸を止めた。
「何や、その顔」
「ハウスにおったんや」
「こんな時間まで?」
「暖房が止まりかけた。連絡したやろ」
兄貴は携帯を取り出し、画面を見た。
「ああ、気付かんかったわ」
そして、冷蔵庫から水を出した。
「直ったんやったら、ええやん」
俺は残りの飯を口へ入れた。
味はしなかった。
食べ終えて、自分の口座の残高を確認した。入学し直すのにいくらかかるか、前に調べた紙も出した。
今すぐではない。だが、ここを出る。
初めて、期限のある考えになった。




