〈4〉親不孝者
実家に戻った俺が最初に始めたことは片付けだった。
自分が住める家に変えること。
兎に角、荷物が多かった。
そこには母の遺品もある。
母は裁縫が好きだったので桐のたんすには反物があった。女性だけに服が兎に角多かった。その大半は自分で作ったものだろう。勿論、家族の服も作った。
俺は東京から戻る一年前、人生を変えるために宅地建物取引士の試験を受けて宅建士になった。
その資格を活かそうと不動産会社に就職するも配属先は営業助手といういわば小間使い、何でも屋の仕事で宅建士とは半ばかけ離れていた。そこで空き家になった家の家財道具を処分した。
家族の想いでも結局、ゴミとなる。ましてや赤の他人でモノの価値が分からない者にとっては、価値があろうがなかろうがゴミでしかない。ひたすら処分した。
その経験があったせいか、俺は実家に帰って兎に角、片っ端から要らないと思えるものを捨てた。
押入れから母が着ていた服が出てきた。
母の遺品。
涙が込み上げてきた。
この服を着ていた頃の母は元気だった。この服を着ていた頃の母にわがままを言っていた自分がいただろう。
この遺品を片付けるのは父には出来ない。俺がやるのが筋だ。もし俺がやらなければ業者がやる。業者にはなんの思い入れもない。そんな人が捨てるなら俺が捨てる。
母の仏壇に手を合わせた。
俺が捨てる、と遺影の母に言った。
俺はゴミ袋に捨ててるうちに涙が込み上げてきた。
桐のたんすの中からへそのうが出来てきた。母と自分を十月十日つなぎとめていた証し。なんだか泣けてきた。へそのうだけは取っておこうと思った。
俺の少年野球で着ていたユニホームまで出てきた。
物持ちがいいのか、捨てられないのか、と愚痴ながら捨てた。
母より背の低い俺と写っている写真も出てきた。
写真の母は微笑んでいた。
この頃はまだ幸せだったのかもしれない。写真は捨てられなかった。
母が幸せだったであろう日々の服を捨てる。虚しさを感じたが捨てた。
それをとっておいても着ることもない。
これからの幸せには直結しない。
遺品でとっておくようなものはへそのうと写真ぐらいしかなかった。
それ以外は全て捨てた。母が着ていた服も捨てた。
どの服も遠い記憶を刺激する。元気だった母の姿が見える。
「幸せになって母に報いたい」
指輪やネックレスも出てきたがとっておいても仕方ない。別に価値のあるものでもないしお金になるわけでもないと思い捨てた。
ことごとく捨てた。
二週間ほどで一通り家が片付いたとき、兄と二人で老人ホームにいる父に会いに行った。
老人ホームの面談室で父とあった。
父の言葉はどこか遺言めいていた。
俺は家を片付けたことを父に言った。
俺は自分の少年野球のユニホームがあったことも笑いながら言った。
すると父が言った。
「母さんが大切にしていたものだ。とっておきなさい」
俺はそれを捨てた。けど親父に捨てたとは言えなかった。
遺品でとっておくようなものなんて何もないと思っていたのに、母の大切なものが俺の少年野球のユニホームだったなんて、俺は涙が出るのを必死に堪えた。
その夜、俺は眠れなかった。
あの指輪もネックレスも母にとっては大切なものだったのではないか?
たとえ安物に見えても思い出がつまった大事なものではなかったのか?
それを俺は安物、金にならない、幸せに直結しない、そう思って捨ててしまった。
母は精神を破綻して施設に入っても、まともなことを一つだけ言っていた。
「パパ、お金大丈夫?」
精神が破綻して施設に入っているのにまだ金の心配をしなくちゃいけないのか!
そこだけまともなのか!
と俺は金を憎んでいる。
金に苦労してるが金がイコール幸せとは思っていないし思いたくもない。そんな俺が価値がないから捨てる。金にならないから捨てる。
一番価値のある人の想いを金になるならないで無造作に捨てた自分が許せなかった。
なんという罪を犯したのだろう。俺はその夜、母に謝りながら眠っていた。
五十七にもなって、自分が情けなかった。
こんな薄汚い人間が幸せになれるわけがない。
こういう人としての鈍感さが母を苦しめていたのかもしれない。
母が亡くなってもう十一年経つのに……




