〈2〉逃げた
なぜうちはこんなに貧乏だったのか。
今の俺にならわかる。
うちは自営業で基板などにつける電気部品を売っていた。
秋葉原なら兎も角、相模原の住宅街で電気部品。
一体、誰に向かって商売してるんだよ、と言いたくなる。
勿論、繁盛するわけもなく、当然客もいない。店を開けても誰も来ない。
子供の頃、「お前んち、客何人ぐらい来るの?」と言われたことがあり、見栄をはって「五人」と答えた。実際は一人来るか来ないか。客の姿をあまり見たことがなかった。
売っている電子パーツもせいぜい五十円か百円。もし五人来たとしても千円にもならない。
こんなので商売が成立するとは思えない。大体、どうやって四人家族を養っていたのかさえ分からない。商売が下手というのは一目瞭然。
客が来ないのならバイトにでも出た方がいい。しかし、父はプライドが高い。人に使われたり、頭を下げることが兎に角嫌いな人間だった。母が障がい者になり施設に入れるように役人に頭を下げたことを苦々しく「頭下げたよ」と俺に愚痴たことがあった。それを聞いた俺は「終わってるな」と思った。
もっとも父は子供のころから独裁者にしか思えなかった。
貧しい家の独裁者。
自営業だから三百六十五日家にいる。家にいない日はない。テレビも父の命令で夜八時以降は見ることが出来なかった。刑務所の看守と思っていた。
父が怖かった。そして憎かった。
俺の反抗期は父憎さが全てだった。しかし、面と向かっては怖くて何も言えない。それが母へと向けられていたのもあるのかもしれない。
結局、一番辛い思いをしていたのは母だったのかもしれない。
その母は自分が二十歳の時、精神を破綻し、施設には入った。
家事を全てやっていた母。自営業ゆえに毎日、朝昼晩、父の食事を作っていた母。その母がしていた家事を浪人生の俺がやることになった。
父を憎んでいた俺が昼飯、夕飯と食事を作る。
炊事なんてしたことのない俺の作った飯を父は「旨い、旨い」と言って食べた。父は俺への思いやりからそう言ってるのだ、と分かっていた。けど作った本人、旨くもないのに旨いと言われることが癪に障った。俺の父憎しの想いは何も変わらなかった。そんな父と三百六十五日、四六時中家にいる。自分も精神的に圧迫されていくのを感じた。逃げ場はない。
このままだと自分も母のように潰れる。
母が何で精神を破綻させたのか、その原因はわからない。けど、自分は父とこの生活でもうストレスのリミッターは振り切れていた。受験どころではない。
俺はファミレスで皿洗いのバイトをし始めた。そして、十八万稼いだらそれをもって新宿に家賃三万の四畳半のアパートを探し一人暮らしを始めた。
父から逃げるように家を出たのだ。
四畳半、風呂無し、共同トイレ。
初めて持った自分だけの部屋。
父の目の届かない世界。
生まれて初めて自由を得た気がした。




