〈1〉心の棘
マグネシウム、メラメラ燃える。
燃え尽きるまでメラメラ燃える。
「俺はどうして宮﨑なんだろう」
そう今まで何度思ったことか。でも、それは思っても口に出して言ってはいけない言葉。少なくとも母の前では言ってはいけない言葉。
母さん……。
生まれて貧乏、育って不幸。
そんな人生だった気がする。
特に子供の頃の貧乏は、親の経済力の差が如実に表れる。物質的にも余暇の過ごし方にも顕著に表れる。しかし、子供の頃の自分には家庭の貧しさを慮る心はない。
その心が母を傷つけた。
「こんな家に生まれたくなかった!」
どういういきさつでそう言ったのか、おそらく周りの友達と比べてのことだと思うがはっきり思い出すことは出来ない。
でも、その後に起こったことは今でもはっきり覚えている。
母は幼い自分の何気ない言葉に、
「そんな悲しいこと言わないで」と号泣した。
泣きじゃくる母。
親の涙なんて見たことがなかった。
俺はそんな号泣する母の姿に動揺し、大変なことをしたと思い、「嘘だよ!」と、なんとかその場を取り繕うとそんな言葉をかけて母が泣き止むまで必死に謝った。
それ以来、母にそういうことは言わなかった。
親を泣かせるというのは幼い自分には考えもつかないことだった。
そして、忘れもしない七月三十一日。早朝、部屋で眠っていた俺に母がドアを開けて言った。
「まこちゃん。ちょっと出かけてくるね」
俺はそれを寝ぼけ眼で聞いた。
どうやら母は父と一緒に車で出かけたらしい。家には兄と俺が残った。
俺は独学で国立大学合格を目指し二浪していた。
その日は晴れた暑い日だった。
母は父と車で出かけた。母は父と海を見に行ったのだ。
その車の中で不幸は起こった。
冷房のない車の中で母は正気を失った。スピード違反でパトカーに捕まるも母は精神を破綻してしまっていた。今想像してもそこは地獄絵図のようなときだったと思う。
兄と一緒に平塚の病院に駆けつけたとき、母が鉄格子がはめられている個室で手足をベッドの四隅に縛られ、「死にたい! 死にたい!」と泣いていた。
俺はそんな母を見て泣いた。
涙が止まらず母を呼ぶも母は「死にたい! 死にたい!」としか言わない。
家族全員泣いた。
あのとき母はもう心を病んでいた。
母は孤独だったのかもしれない。
うつ病を患っていたのかもしれない。
精神病という病が今より当たり前のようにとらえられることのない時代。認知度や理解度が今より低い時代だったと思う。母は我慢していたんだと思う。その我慢がはち切れてしまい精神が破綻し自分を失った。
母は重度の障がい者となり施設に入った。強い薬を飲んでいるのか常にぼんやりしていた。とても生気があるようには思えない。勿論、生きる気力をなくした母は歯を磨くことも出来ず、歯も全て失ってしまい、ボロボロの姿になった。
俺は母に会いに行くのが辛かった。怖かった。
母は二十六年の闘病生活の末、亡くなった。
亡くなる一年ぐらい前、母に会いに行くと母は必ず俺の方を向いて「まこちゃん、ごめんね」と目を潤ませながら謝った。俺はそれが辛かった。
母が死んだとき俺はなぜ母はお見舞いに行くたびに俺に謝ったのか、考えるようになった。
よくテレビで人は死をまじかにすると何か言えなかったことを言い出すとか、そんなことを聞いたことがある。はじめは俺も母も死を悟り謝ったのかな、と思っていたがそれが誤りだったことに最近気づいた。
母は俺が小学生だった頃、俺が言った「こんな家に生まれたくなかった」という言葉を覚えていたのだ。そして、母自ら精神を破綻し障がい者になり、家族を不幸にしてしまい、益々「こんな家に」にしてしまったのだ。母はそれを悟り謝っていたのだ。
母は覚えていたのだ。
子供の頃の俺の言った言葉をずっと覚えていたのだ。心に棘のように刺さっていたんだ。
そのことに気づいたとき胸がいっぱいになった。
「まこちゃん、ごめんね」
その言葉が母からの最期の言葉になってしまった。




