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貴方の知る私は、記録の外におります— 王子の婚約解消以後、私は物語の舞台を降りました  作者: 妙原奇天


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第4話 複製推薦状の終わり

 午前の鐘。記録管理局の入口に、新しい箱が据えられた。

〈推薦状回収箱——罰則なし/受理票発行〉

 木肌は白く、口は広い。罪の匂いより、安堵の手触りが大事だ。私は箱の横に札を添える。

〈複製は便利。けれど責任も複製されます。原本に戻すと、責任は一点に戻ります〉


 最初に来たのは、王立工匠ギルドの若い頭目。外套の裾を握りしめ、封筒を三通。

「……殿下のご推薦“だったことになっている”複製です」

「受理します。罰則はありません。代わりに“原本参照番号”で動くよう、段取りを差し上げます」

 私は受理票を渡す。彼は読み上げる。

「“R-074の参照のもと、技能試験で再評価”……試験か」

「一次資料はいつだって試験です。心配なら、試験監督に第三者を」

 男はふっと笑った。「なら、文句は無い」


 午前いっぱいで箱は半分埋まり、昼には満杯。封蝋の質もインクの色もばらばらだが、“殿下のご高配により”の文句だけは揃っている。文句は揃いやすい、真実は揃いにくい。

 私は保管庫で緑青インクを温め、ノアに目配せする。

「再刻印の準備」

「了解。正本の色は温かい」

 刃を落とす。複製の角が静かに欠ける。紙は怒らない。怒るのはだいたい人間だ。


 午後、学究院の学長が現れた。年季の入った上質な外套、言葉はきっちり。

「“殿下名義の推薦”が無効になると、うちの入学者の“物語”が痩せる」

「物語は痩せても美しく、太っても破綻します。入学者の履歴は残ります。誰が教えたかで太らせるのが学の礼儀」

「だが、王子の権威は必要だ」

「権威は理解の貯金で持つと長持ちします。便宜で持つと短命です」

 学長は口の中で転がすように黙り、それから観念した顔で頷いた。

「試験の監督、図書塔に頼む」

「承りました。演習問題は公開でお願いします」

「公開?」

「未来の学生が準備できます。準備は平等の親戚です」

 学長は目尻だけで笑った。良い教師は、敗北の表情が柔らかい。


 夕刻、王都騎士団から使者。封筒の束の一番上に、見慣れた筆跡。

〈私的便宜に依拠した推挙を取り下げる。今後は記録管理局の判断に従う〉

 殿下の書面だ。文体はまだぎこちないが、正しさの退屈は夜の睡眠を助ける。

 私は受理印を押して返す。

「殿下には、“取り下げに伴う助走”の手順も送ります」

「助走?」使者が首を傾げる。

「功績の剥離で落ちる速度を、段取りで和らげます。『今さら試験か』という声を“今からの試験だ”に言い換える掲示も、明朝」

 使者は目を丸くし、敬礼して去った。人は言い換えで歩き方が変わる。


 公開棚の前に小さな人だかり。ベアト商会の若手が立会い、再縫製台の案内をしている。保護院の院長マリナが笑う。

「縫い方を教えたら、若い子が“直した服”を自分で着て帰ったよ。丈は少し曲がってるけど、意思はまっすぐ」

「いい受領です。受け取り手の形になるのが寄付の完成形」

 マリナの目が細くなる。「あなた、言葉がおいしいね」

「ありがとうございます。冗談には罰則がありませんから、味付けは濃くても大丈夫」

 周りに笑いが走り、公開棚の空気が少し温かくなる。笑いは手順の取っ手だ。


 そこへ、桃色のドレスを脱いだミレーユが、試験の案内紙を抱えて来た。

「明日、受けます。第三者監督、緊張する」

「緊張は一次資料の前提です。怖いは正しいに近い」

「落ちたら?」

「落ちたら、再受験。記録はやり直しが好きです」

 彼女は唇を結び、それから小さくガッツポーズ。「やってみる」

 その背を見送りつつ、私は公開棚の“失効一覧”に視線を落とす。

〈失効:殿下—アーデルハイト婚約/複製推薦状〉

 名前より役割を並べる掲示は、噂の棘を丸める。痛みはゼロにならないが、刺さったまま動ける。


 夜、更ける前に保管庫B-3で最後の作業。複製の山から、古い羊皮紙が一枚出てきた。墨の線は薄れ、端は欠け、けれど文面は澄んでいる。

〈見習い鍛冶ラウロの技能推薦——筆者:無名の親方〉

 “殿下のご高配”ではない推薦状。誰の権威でもない線。

 私はノアに目で合図。

「これは残す」

「原本か」

「はい。匿名ではなく無名。無名は“役割だけ残す”の古い作法」

 緑青の印が、羊皮紙の端に静かに沈む。

 灯りが揺れ、インクが呼吸する。紙は生き物みたいに、乾く速度で意思を見せる。


 帰り際、グリム課長が踊るように廊下を横切り、湯呑を二つ掲げた。

「回収率は?」

「67%。今日だけで。残りは“持っていると思っている人”の棚で眠っている」

「起こすのは?」

「期限か利得。明日、“割増合格点の事前告知”をやめ、合格基準の公開表に切り替えます。基準は人の目覚まし」

「やれやれ。王都はまた少し、正気に起きるわけだ」

 課長は湯呑を渡し、冗談のように真面目に言う。

「君のやり方は、退屈で助かる」

「退屈は平和の親戚です」

 二人で笑って、湯気を吸う。恨みは保存しない。お茶にして沈殿させ、朝になったら捨てる。


 机に戻り、今日の末尾に二行。

“複製は紙のコイン。価値は薄いが流れやすい。

原本は重いが、橋になる。”

 ペン先が止まり、呼吸がそろう。——複製の時代は、今日がひとまずの終わりだ。


――――

【小さな勝利】推薦状回収率67%/学究院の第三者監督導入/殿下の取り下げ書面受理/無名の親方推薦を原本登録

【次話予告】第五話「噂の温度、制度の温度」——人づての熱と紙づけの冷たさ、その最適温を見つける話。

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