8 真夜中の出来事
てしてし……
てしてしてしてしてし……
頬を叩く何かに私は目を覚ました。ダンだろうか?
てし……てしてし……てしてしてしてしてし……
ダンにしては毛量が少ない気がする。
頬や鼻先をくすぐるふわふわとした感覚に、ヤマダサンかとも思ったが、ふにふにとした肉球が足りない。
重い瞼をどうにかしてこじ開けると、天蓋を灯す薄明かりの下でハムスターが眼前で私の顔に体当たりしていた。
……ハムちゃん?
上半身を起こして、魔道具の灯りを頼りに動くハムスターを両手で捕まえた。ハムスターは、特に抵抗する事なく私の手の中へと収まり、もぞもぞと動いている。王子かアリソンのどちらかだろうかと、ケージに目を向けると、白い小人がケージを開けてもう一匹……ではなく、ヴィンセント王子を丁度外へと出そうとしている場面を目にする事となった。
「えっと、駄目だよ。出すと迷子になっちゃうから」
私が白い小人に声をかけると、此方へ飛んできて髪を引っ張った。地味に痛い。
痛みを避けるように髪を引っ張られる方向へと足を運ぶと、天蓋の外に出てしまい、そこで私は白い狼のような生き物と遭遇した。狼に似た外見だが、狼の二倍以上ありそうな体と、真っ赤な眼をしている。どうやら、一匹だけではないようで、赤い光が幾つか見える。一番近くにいる白い獣は、私のいる天蓋から十歩ほど離れた位置から、私の姿を捉えると低く唸り声をあげた。
これは……良くない感じ。
気がつけば私の髪を引っ張った白い小人はいない。
私の緊張が伝わったのか、手の中にいるアリソンが手の中をもぞもぞと動き回った。いずれにしても、先程から此方を見ている白い獣から目を逸らした途端に襲われる予感しかしない。
「瑠璃ちゃん……いる?」
もし出てきてくれたなら不思議布で逃げられるかも知れない。と、思いながら瑠璃ちゃんが出てこない予感もしていた。少し温めな風が吹いて、白い獣の匂いなのか、何かが焦げる時のような匂いがした。
「何だ?!」
私の左側から男の声がした。魔法師団員の誰かだろうか、私は声のする方へ首を向けた途端に首を噛みちぎられる気がして、動けずにいた。そして、数秒後に『魔獣だ!』と言う声が響き、それを合図にするようにして、赤い光達が一斉に動いた。
私と見つめ合っていた白い獣は、不意に私から目を逸らした後、光が少ない方へと駆けて行った。
力が抜けた足を片手で叩き、再び天蓋の中へと戻りケージを覗く。ヴィンハム(ヴィンセント王子)は外の様子に気がついていないようで、回し車に乗ってとてとてと非常にゆっくりと歩いていた。
よかった。
私は手の中で動くアリソンを再びケージに入れると、今度はダンを呼んだ。獣に気がついた魔法師団員達の声がして外は騒がしくなっている。
“のぃ?”
「ダン、瑠璃ちゃんを見なかった?」
“見てないのぃ”
やっぱりと言う思いは、重りのように肺を押し潰しにかかる。そこに、外から入ってくる人影が一つ。ヴィンセント王子の護衛騎士、ジェフリーだった。
「ご無事ですか?」
そう訊くジェフリーの傍には、物凄く久しぶりに見る緑色の小人が浮いていた。そして、彼の足元には黒い仔犬が落ち着きなくウロウロしていたが、私の方を見て猛ダッシュで駆けて来た。……と、思ったら、私の後ろにあったケージに鼻先を擦った後に『ふしゅ』と鳴いた。
「外が騒がしいようだね」
そこへ、私の後ろから声が掛かる。そう言えばエリック王子と同じ天蓋で寝ていたという事を、ここに至ってやっと思い出した。
「魔獣の群れに襲われています」
ジェフリーがそう言うと、エリック王子は一瞬目を細めた後にケージを手にして言った。
「サイラス、一つ持ってくれ」
持ち上げたケージが気になるらしく、エリック王子の足元を黒い仔犬が纏わりついた。邪魔と思ったのかは定かではないが、それを一瞥した後、王子は仔犬を摘み上げてケージの上に乗せた。どうやら仔犬も一緒に運ぶつもりのようだ。
私はアリソンの入ったケージを手繰り寄せるようにして持ち上げて、立ち上がる。
そうしている間に、オスカーが天蓋に入り『おい、無事か?!』と、私達に向かって叫ぶように声をかけると、一瞬私達と目を合わせた後に再び天蓋の外へと消えた。外からは、時折眩しい光があちこちから見えた。
「聖廟なら魔獣も入って来ませんので、参りましょう」
ジェフリーはそう言うと、天蓋を大きく開くと後について来て欲しいと言い、私と王子に背を向けて抜刀した。その背に続いて私とエリック王子が天蓋の外へと出ると、外は先程よりも焦臭く、煙が立ち籠めて視界を更に悪くしていた。
数歩進んだ後に、一瞬何が起きたのか理解できなかったが前を進むジェフリーが突如現れた塊と共に横へ飛ばされて行った。
「サイラス!」
私の持つアリソンの入るケージの上へ、エリック王子の手にしていたケージとその上で動く仔犬を乗せると、王子はジェフリーが飛ばされた方向へと駆けて行く。
えーっと?
意外と機敏なエリック王子に驚きながらも、先導してくれていたジェフリーを失い、私はどこへ進むべきなのか解らず、ケージ二つと仔犬を抱えてキョロキョロと周囲を見回した。
あ……
私の左上の方向に赤い光が二つ見えた。私が気が付いた瞬間を待っていたかのように、赤い光は歪むと、一息で私の眼前に白い塊が現れた。そうして酷くゆっくりと白が裂けて中にある赤黒い穴が出現した。生暖かい風と、ほんの少し鉄を含んだような匂いがして、それが白い獣の口だとやっと理解できた。
「シャロン様!」
誰かが私の名を呼ぶのを聞いたのとほぼ同時に、黒い渦が私と白い獣の間に出現して白い獣は瞬時に私から距離を取った。その後、大きな影が目の前に現れて、私の視界を遮った。
茶色い髪が揺れて馬の尻尾のように見えた……それは、ヘイワード師団長の後ろ姿だった。
「怪我は?」
私達を一瞥した師団長は短くそう言いながら、手に魔法陣が描かれた紙を持っている。
「無事です」
私も短く返すと、師団長は手にした魔法陣を私に渡して『使って下さい』と、言い再びこちらへ向かってくる白い獣に向かって距離を一気に縮めた。白い獣は、劣勢を悟ったのか後退気味だ。
使えって……どうやって?
魔力を流せとか言うヤツだろうが、私にはそれがよくわからない。白い小人が私の傍で何かを囁いているのか鈴が鳴るような音がした。ダンは、また寝てしまったのか白い小人が何を言ったか知る事は叶わなかった。
「あら、結界陣を持っているのね」
そこに、いつの間にか現れたアークライト伯爵が、ケージに引っかかるように留まっているヘイワード師団長の置いて行った魔法陣を指差して微笑んだ。彼女の白い髪と赤い双眸は、先程の白い獣達と似ているなと何故か呑気な事を思った。それからアークライト伯爵が紙を取り上げて魔力を流すと、私と伯爵を中心にして光の柵のようなものに囲まれた。
「ヴィンセント殿下とブレイク公爵令嬢は無事ね?」
私の持っているケージを見て、アークライト伯爵は満足気に頷くと黒い仔犬を撫でて微笑み、光の柵をすり抜けるようにしてヘイワード師団長の近くへと足を進めて、白い獣へと手を翳した。すると、白い獣はみるみる小さくなり、ケージの上で尻尾を振っている黒い仔犬くらいの……とても小さな……仔犬になった。
「アークライト伯爵、これは?」
「呪いよ。魔力を奪ってあげたの」
アークライト伯爵はそう言って、今度はヘイワード師団長に微笑んで『あっちも片付いたようね』と、言った方向からは黒い魔獣が出てきた。魔獣の背にはバーン侯爵がいる。
「おい、折角全部生捕りにしようとしているのに何で魔力を奪っているんだ?」
「あら、ヴィンセント殿下の危機だったのよ。魔獣の生捕りが優先とか有り得ないのではなくって?」
「その結界内にいれば安全だろう?」
バーン侯爵とアークライト伯爵は、いつものやり取りを終えると、お互いそっぽを向くようにして『話にならない』と言う台詞だけお互い申し合わせたように揃えた。その様子に、私は助かったと言う実感がどうしようもなく湧いて来て、持っていたケージをゆっくりと降ろしたのだった。
「サイラス、来てくれ!」
そこへオスカーが駆けて来ると『エリック殿下が負傷した』と、続けた。それを聞いたバーン侯爵とアークライト伯爵が、弾かれたようにオスカーの方に注目する。
オスカーの後ろからジェフリーがエリック王子を抱えて来るが、王子の顔はまるで化粧でも施したかのように白く、身につけていた衣服は赤く染まっていた。私がジェフリーへと近づくと、彼の傍にいる緑色した小人と目が合った。
ミドリちゃん。
「……助けてくれる?」
私は右手を緑色の小人に差し出すと、ミドリちゃんは私の人差し指を抱えて、エリック王子の肩に触れた。そして、ミドリちゃんが暫く発光した後に、ジェフリーに抱えられた王子は閉じていた目を開けた……途端に、ジェフリーも驚くほど勢いよく起き上がった。
「サイラス、アリハムとヴィンハムは無事なのか?」
ガリ王子……
オスカーの口がぱくぱくと『コイツもあの阿呆と同じなのか?』と、動かした事がわかったジェフリーだけが苦笑いを浮かべた。
「エリック殿下、ブレイク公爵令嬢もヴィンセント殿下もご無事ですわよ」
アークライト伯爵がそう言うと、右手を軽く掲げて、ケージを二つどういう原理か宙に浮かせて王子の眼前で停止させた。何事も無かったように寛ぐハムスター達を見て、エリック王子は目尻に皺を作ったのだった。




