7 とある文官の悲劇
サイラスに扮したヴァレンタイン伯爵令嬢のシャロンがエリック殿下と共に北の聖廟に向かわれてから三日が経過した。
ラルフは何故こんな事にと思いながら、王の執務エリアを歩いていた。ジェキンソンの家名を持ったとは言えど、所詮は平民出の入婿である。こんな所を歩いて良い身分では無いのだ。
ラルフの前を歩くのは国王陛下の秘書官と言う金髪碧眼の美丈夫だ。王城の奥寄りで働くラルフすら見かけない顔だ。前任のフリン子爵は国王陛下と共に聖廟へ向かう途中で魔獣に襲われて死亡した……と、ラルフの耳にも入っていたので、目の前を進む男が後任と言う事なのだろう。
あー。なんか怖いなー。
ラルフはがっくり肩を落としたい気持ちを抑え付けて、秘書官の後ろに従い足を進めるのだった。
「此方の部屋で少々お待ち下さい」
秘書官は、謁見用と思しき小さめの部屋にラルフを案内して去って行く。病床の国王陛下に替わり一部の執務を担うアイザック・カイエン公爵に呼び出されたのは、シャロン嬢を見送って直ぐの事であった。何でも、エリック殿下から聞けなかったアーテル外交の話を近くで見聞きした自分から聞きたいとか。
帰ってきてすぐにエリック殿下を呼び出しておいて、聞けなかったとか……
口には出さないが、そこは王族同士でちゃんと完結しておいて欲しいと思うラルフであった。そもそもカイエン公爵とエリック殿下は伯父と甥の間柄なのだから。
そんな事を思いつつ、暫くは部屋の壁に飾られた絵画をボーッと眺めて時間を潰していたが、絵画が微妙に斜めに掛かっている事が気になり出した。細かいところが気になると止まらない厄介な男、ラルフである。そこは、誰もいない事を幸いとばかり、絵画に近づいて僅かに右上に傾く額を直そうと、手を額にかけた。
ん?
額を持った手に、息を吹きかけられたような感覚があったのだ。手を離して、今度は両手で額に手をかけ、そっと持ち上げる。
「カイエン将軍、外交から帰ったばかりの第一王子を直ぐに他所へやられるとは……次期王位継承者も定めぬうちに、聖廟へと向かう勅命ばかり……将軍は国王陛下の思惑をご存知なのかな?」
ええっと……
絵の裏側から声がする。うっかり盗聴用の仕掛けにでも触れてしまったのだろうか?
ラルフは両手を離して、何事もなく席へ戻りたいと言う気持ちと、続きが聞きたい好奇心が概ね半々で、暫し逡巡という形で静止してしまう。
「ファーガス侯爵。聖廟は次期王位継承者をわかりやすく選定できる場所でもある。二人の王子を聖廟に向かわせる事に私は違和感を感じないよ」
どうやら、カイエン公爵と話しているのは、第一王子派筆頭と呼ばれるファーガス侯爵のようだ。孫のエリック殿下を道中危険と言われる聖廟に送られて、文句の一つも言いたかったのかも知れない。ラルフがそう考えている間にも、侯爵は続けた。
「選定ですかな?」
「ああ。聖廟には王と血縁の王位継承権を持つ者のみ入れる古の結界が張り巡らされているからね。入れないともなれば……王位継承者とは言えない」
「……初耳ですな」
「直系の王族でなければ知る機会を与えられない事だからね。別に秘密にしている訳では無いし、侯爵の疑問に答えるには伝えたほうが話が早いと思って……ね」
「なるほど、王兄にあたるカイエン将軍であれば自明の理と言う訳ですか。……しかし、些か急な話でしたな」
まあ……アーテルから戻ったその日に出立しちゃったもんな。
ラルフは先程まで慌てて額を元に戻そうとしていた事も忘れ、二人の会話に耳をそばだてていると、再びカイエン公爵と思しき男の声がした。
「国王陛下も早く後継者を決めたいのでしょう」
まぁ、そうだ。本来王様を助けてくれる筈の貴族連中がああも割れて利権争いを好き勝手繰り広げていては国王陛下も頭が痛いだろうとラルフみたいな下位の人間でも思う。そもそも病気がちでほぼ表舞台に出てこない名前だけの将軍だったカイエン公爵が引っ張り出された時点で、異常事態なのだろう。
「そうでしょうね。将軍も慣れぬ執務に気苦労が絶えぬ事、私にできる事あれば申し付け下さい」
「侯爵の気遣いには感謝するよ。気苦労と言えば、アーテル国は前王弟のルブラン宰相が更迭されたようだ。アルブスとの境界を治めていた宰相と繋がりのある辺境伯が非人道的な政策を長年続けていた……とか」
うげっ……
もしかして、自分が呼ばれたのは裏帳簿関係だろうかと、ラルフは息を呑み込んだ。侯爵の言葉はなく、カイエン公爵の声が再び聞こえた。
「エリック殿下が随分協力してくれたとアーテル国王陛下より親書を頂いたところだ。侯爵も鼻が高いだろう」
「……エリック殿下が協力ですか?」
暫く黙っていたファーガス侯爵の声がした。
「そのようだよ。辺境伯領と接するアルブス国領への影響調査にはアーテル国あげて全面協力する。……とも、仰っていたよ」
「左様ですか」
「……さて、人を待たせているので、そろそろ退出させて貰うよ」
カイエン将軍がそう言い終わると、足音が微かに聞こえた。どうやら将軍は退出したらしい。
……って事は、次はコッチに来るじゃないか!
ラルフは慌てふためきつつも、音を立てないように手にした額を元に戻そうととした。
「王位継承権が無いエリック殿下は……潮時か」
ファーガス侯爵の声を最後に、絵画から手を離すラルフは大慌てで席に戻るのだが、そこにかかる声にラルフは絡繰がゆっくりと動くようにぎしぎしと声のする方へと首を捻る。
「お待たせてしました、ラルフ・ジェキンソン様」
それは、先程退出して行った王の秘書官であった。
表情のない白い顔から何を思っているのかはわからないが、その後ろにいる藍色の髪をした男にラルフは硬直した。
ここっ……国王陛下?!
「待たせたね、ジェキンソン文官。よく聞こえていたかな?」
目の前にいるのは、物凄く遠目にではあるが見たことがある。藍色の髪に青い双眸をした壮年の美丈夫だ。聞きたくはないが、訊かなければ話は進まない。ラルフは涙目で言うべき言葉を口にした。
「……聞こえていた……とは?」
「ファーガス侯爵と、私の会話」
やっぱりぃぃぃぃっ!!
ラルフは、ゆっくりと椅子に腰掛けた。腰が抜けた……とも言う。
男は、エリック殿下を彷彿とさせる美しい笑みと所作でラルフの向かいにある席に腰掛け、美しい秘書官は壁の絵をさっと整えて男の後ろに控えた。どうやら、国王陛下に瓜二つの微笑む男がカイエン公爵なのだろう。ラルフは自身の口から薄い笑い声が漏れるのが聞こえていた。
「さて、君には頼みたい事があってね」
自分には断る権限なんて最初っから無いじゃないか……と、ラルフは涙目で首を縦に振るのだった。




