5 風を待つ
第二王子と偽ルルーシュ元辺境伯の一行は、衣服を統制の取れた制服姿から、くたびれて質素な衣服に着替えて、非武装地帯を徒歩で進む事になった。私が伯爵令嬢だと知るヘイワード師団長とラルフは私の着替えに際して、周囲の人を遠ざけてくれた。
“おや……どうしたのぃ?”
着替えに伴い、突如寝床を奪われる事になったダンが目を覚ました。何故かダンの背中におぶさるように瑠璃ちゃんが乗っかっている。このコ達は仲良しなのか……?
「うん、ちょっと着替える間待っててね」
私がそう言うと、『のぃ』と言い再び眼を閉じたので、眠りについたのであろう。すると、ダンから離れた瑠璃ちゃんの手から薄い布のようなものが吹き出して、天幕の内側に幕が出現した。触れてみると、抵抗感もなく指が薄布を突き抜けた。手を引くと、薄布は穴もなく元の状態に戻る。不思議布だ。
これを出現させた瑠璃ちゃんの方を見ると、得意気に胸を張っている。
「何だ……コレ?!」
そこに外から声がして天幕を全開にした少年が瑠璃ちゃんが出した薄布に阻まれている。すぐ近くに私がいると言うのに、此方には気が付いていないようだ。目も合わないし、私の声も聞こえないようだ。
「瑠璃ちゃん、これって……?」
私が振り返って瑠璃ちゃんの方を見ると、ダンをぺちぺちと叩いて起こしているようだった。
“のぃ?”
「……ダン。瑠璃ちゃんが何か言いたいみたい」
“これは結界だのぃ。外から中の様子は見えないし聞こえないのぃ。今のうちにに着替えると良いのぃ”
外では、少年の声に気がついたラルフやヘイワード師団長を呼び寄せてしまい、此方を見ている。ダンの言葉を信じるなら見えていないし聞こえていないようなのだが、こちらからは丸見えかつ丸聞こえである。気恥ずかしい事この上ない。
さっさと済ませちゃおう……
私はいそいそと気持ち彼らの視線を避けるようにして質素な衣服に着替えたところ、外にはいつの間にかポンビーニャも加わりちょっとした騒ぎの様相だ。
「姉ちゃん、余った服を回収しようと思ったのに入れないんだよ!」
ポンビーニャの弟だろうか?六歳くらいの少年がポンビーニャに向かい大きめの声で訴えている。横ではラルフが私を探してなのかキョロキョロしているし、ヘイワード師団長はちょっと不機嫌そうな声色で『またいなくなったのか?』と、言っている。
うーん……何か怒られそう。
「瑠璃ちゃん、コレ今度は消せる?」
着替えが終わった私はダンが定位置へ戻るのを確認して、瑠璃ちゃんにそう訊く。すると首を縦に振った瑠璃ちゃんの掌へと薄い布が吸い込まれるようにして消えて行ったのだった。
そして、天幕の外では口をあんぐり開けたラルフと珍しく驚いた様子のヘイワード師団長にポンビーニャ、そして黒い双眸の少年がこちらを見ていた。
「すげぇ! 今のは結界魔法か?」
少年は楽しそうに此方へと駆け寄り私の手を取った。私が困ったよう首を傾けると、ポンビーニャが少年の首根っこを掴むように『こら!』と、私から引き離した。
「サイラス……君。凄い特技ですね。びっくりしちゃいました」
ラルフが少年の言葉に引っ張られるように言うので、私が結界魔法を使った事に落ち着きそうだ。
「凄い術式ですね。私の結界術式など子供の玩具のようです」
ポンビーニャが目を輝かせて此方を見ているが、ヘイワード師団長はやや疑わしそうな表情だ。
「魔道士って凄いんだな。あ、余った服貰いたいんだけど」
少年が私に向かい屈託なく笑って天幕の隅に置かれたくたびれた衣類の山を運び出す。見れば少年が着ている服は私たちに渡された物より更にボロボロで、くたびれている。そして彼の履く靴は女性用と思しきデザインで、明らかに大きく足の甲に引っ掛けて歩いている。
加えて、一度に運ぶ衣類が多かったのだろう。落とさないようにバランスを取った少年の足から靴が置いていかれてしまう。
「あ……ちょっと待ってね」
私が彼の足から離れた靴を拾い上げようと手に触れた。そして私の視界は歪み、何処かへと放り出される感覚を味わった。
此処は……何処だろう?
貧民街という名の非武装地帯……国からも、ナゴ族からも見捨てられた場所か。
“私”は持ち帰った品を手に、家路を急ぐ。足が痛むのは、先程貧民街の外で手に入れた靴が“私”には小さ過ぎたのだろう。明日にでも処分しよう……少しは腹を満たせる何かに変わる筈だ。
「カタリナ、お帰りなさい」
此処では珍しい緑色の双眸が私を捉え、そして微笑んだ。
「ただいま、ポンビーニャ」
“私”は持ち帰った品を彼女に手渡し、彼女の頭を撫でた。また少し背が伸びただろうか…。彼女は嬉しそうの笑うと『すぐに食べよう!』と、食事の準備を始めた。“私”は足を痛めるばかりの靴を脱ぎ、彼女の後姿を見た。
もしかしたら、この靴は彼女の為に取っておいた方が良いのかも……
彼女の深緑色した髪を見ながら“私”の視界は歪み、そして暗転した。
此処は……何処だろう?
暗い建物の影に縁取られて、暗い空が見える。水の雫が暗い空から降り注ぎ、“私”の手を濡らした。そして、背中や頭が冷たいのは“私”が仰向けに横たわっているからだと気がついた。
そうか……“私”は失敗したのか。
起き上がろうとした時、下腹部に鈍い痛みを感じた。鉄を食んだような味が口の中に広がり、“私”は顔を顰める。足元には、取り損ねたはずの品……
そうか……あの男達にはもう必要ないから捨てたのか。
“私”は足元の品をかき集める。それは、男達にとっては要らないものでも“私”には生きる為に必要なものだ。雨が台無しにする前に、“私”はそれを必死で集めた。頭が空と地面を遮っている筈だというのに、掻き集めた品に水滴が落ちた。
大丈夫……まだ食べられる。
“私”はそれを大切に抱え込むと、立ち上がる。脚の間から赤いものが滴り落ちて地面に滲んだ。その赤い色に目眩がし、見上げると雨は先程よりも強く“私”を打ち据えた。
大丈夫……まだ生きていける。
かき集めた品を濡らさないように屈み、家路を急ぐ。
鈍い痛みが邪魔をして上手く前に進めない。もどかしい思いを飲み込んで、地面の赤い染みを見ながら“私”の視界は歪み、そして暗転した。
此処は……何処だろう?
唄が聴こえる。そうか……唄っているのが今の“私”なのか。
「カタリナ……どうしたの?」
緑色の双眸が心配そうに“私”を見つめる。彼女の母と“私”が重なったのだろうか?
“私”はあの女のように、産まれた子を放って勝手に消えたりはしない。
「風が吹けば早く乾くのに……と、思ってね」
“私”はそう言い、空を見上げた。先程洗い終えたスカートが空とは異質な色をして“私”の視界でひらひらと揺らめいた。
“トン”
不意に感じた振動に思わず手が腹部に伸びた。もうすぐ、産まれるのだろう。ポンビーニャが産まれてきた時のように。あの時いた男達はどんな顔をしていただろう?
もう思い出せない。できれば、此処に馴染めるナゴ族に近い色合いをしていたのなら良いなと“私”は思う。
“トン”
大丈夫……まだ生きていける。
“私”は手を腹部から離して立ち上がった。
「今、動いたの。ポンビーニャみたいな良い子になってくれるかしら」
私がそう言い笑うと、緑色の双眸に映る私が滲んで彼女は俯いた。どうしてなのか“私”は昔履いた足を痛めるばかりの小さ過ぎた靴の事を思い出した。
そうか……今は彼女が履いているから。
あの時処分しなくて良かったと、少し距離の近くなった深緑のつむじに頬を寄せて彼女の足元を見ると、“私”の視界は歪み、そして暗転した。
此処は……何処だろう?
唄が聴こえる。唄っているのは……“私”ではない。これは誰かの生を願う唄だ。
視界に映るのは、暗い天井。灯りが揺らめく度に痛みで意識を失いそうになる。
「カタリナ! 頑張って!」
緑色の双眸が“私”を見つめ、その両手は“私”の手を強く握る。いや……強く握っているのは“私”の方だ。彼女の細い手に私の爪が食い込んだ。
「……風が吹けば良いのにね」
そうすれば、この見捨てられた場所も、この痛みも全部吹き飛ばしてくれる……
遠くで僅かに泣き声が聴こえた。そうか、やっと産まれて来てくれたのだ。もう痛みは感じないから、きっと風が吹いてくれたのだろう。
“私”は握っていた手を解放してゆっくり瞼を降ろし、暗転させた。
「ちょっと、早く早くー。服が落ちちゃうよー」
少年が片足を上げて、私を催促した。私の手には、彼には大き過ぎる靴がある。
「あ、ごめんね」
急いで彼の足元に靴を置いてやると、少年は器用にそれを足の甲に引っ掛けながら歩いて行く。数歩進んだところで『ありがとうね!』と、聞こえた。
「すみません。案内人の仕事を覚えたいと聞かなくて……ご迷惑おかけしました」
先程視えた時よりずっと大きくなったポンビーニャがそう言い頭を下げた。
「凄い元気な子でしたねー。案内人になるんですか?」
ラルフが笑いながらそう言うと、ポンビーニャは幾分ホッとした表情になり『そうみたいです』と応えた。
「ああ、名前聞きそびれちゃいましたねー」
カタリナの子……なのだろうか?
「ヴェント……と、言います。“風”という意味なんです」




