幕間7 クララの親離れ
「アリソン嬢、力を貸してくれないか?」
「……はい?」
アリソンを見つけた王子は開口一番そう言うと、ポスフォンの雛クララを抱えてアリソンの眼前に差し出す。クララの羽ばたきで、アリソンの髪が揺れた。
「羽が小さすぎて、加速が無いと自力で飛べないんだ」
「……はぁ」
ヴィンセント王子の指摘通りで、クララの羽は体に対して小さい。これで飛ぶ事はできないだろう。
時は一刻ほど前に遡る。クララは、話し合いの末、ラーウス王城でプリシラ王女のペットになった。問題は、刷り込み効果が故に、ヴィンセント王子の後をぺたぺたとくっ付いて離れないのだ。無理矢理離すのは、何となく良心が痛む。
「思うに、親離れしてくれれば良いと思うんだ」
ヴィンセント王子が真面目な顔でそう言うと、オスカーが無言で口をパクパクと動かした。口の動きを読むと『お前は馬鹿なのか?』と、読める……と、言うか、読ませる為にやっているようにも見受けられてアリソンは頬が引き攣るのを感じた。
「親離れ……一般的な鳥類ですと、飛べるようになると親離れしますね」
「……わかった。飛行訓練してみよう」
護衛騎士がいつものように真面目な面持ちでそう言うと、王子は足元で寛ぐクララを抱え意気揚々と中庭に向かう。ジェフリーとプリシラ王女が後に続く。
ポスフォンって……飛べないのでは?
アリソンは三人の後ろ姿を見ながら、そもそもどうなんだという身も蓋もないことを考えていた。アリソンは傍に控える精霊に疑問をぶつけてみた。
「ねえ、クリス。ポスフォンって空を飛ぶの?」
「ポスフォンは体重に対して羽が小さ過ぎて飛べません。思い切り羽を羽ばたかせれば、落下速度を少しだけ軽減する事は可能です」
アリソンは、クリスの回答にやっぱりという思いと、飛行訓練って何をやるのだろうという思いが入り混じり、微妙な表情を作った。後に残されたミネルヴァ王妃とオスカーに『気が済むまでやらせましょう』と言われたアリソンは、後を追いかけるタイミングを逸してしまい、王妃の話し相手として残る事になった。それから一刻ほど三人は帰って来なかった。
そして、アリソンの目の前でぱたぱたと髪を扇いでくれるクララ……どうやら、王子の気は未だ済んでなかったようだ。護衛騎士曰く、少しずつ高度を上げて加速をつけて滑空させてみたが、充分な揚力を得られずに飛べなかったとの事だ。
「ジェフリーから聞いたのだが、アリソン嬢が樹海で役立つ魔法陣をいくつか作ってくれたと……クララが飛べるような魔法陣を用意してやる事はできないだろうか?」
ええと……
「クララは……魔法陣を起動できるのでしょうか?」
アリソンは疑問を口にした。魔獣と言うくらいなので、ポスフォンには魔力がある。唯、魔獣が魔法陣を起動するのを見た事がない。魔獣が魔法陣を見た事が無いと言った方が良いのだろうか、使い魔であれば与えられた魔法陣を起動する事もあるだろうが……
「やはり、そこですよね」
ジェフリーが申し訳なさそうにそう言う。その様子をプリシラ王女が心配そうな顔をして見ている。
うーん。
アリソンは、風魔法で身体を浮かせるだけの魔法陣を描き上げて、ハンカチに包み込むようにしてクララの首に巻いてやった。嫌がられるかと思ったが、クララは素直にハンカチを身につけた。
「これでクララが魔力を込められれば、浮くと思うのですが……」
アリソンがそう言うと、プリシラ王女がアリソンの手を取り『ありがとう!』と言い、クララを抱き上げて駆けていく。再び中庭へと向かったのだろう。王子と護衛騎士が王女の後に続く。
「さて、折角です。どうなったか見に行きましょうか?」
ミネルヴァ王妃が優雅に立ち上がると、オスカーとアリソンを促した。アリソンは渡に船とばかりに立ち上がる。引き篭もり令嬢には、王妃との会話は難易度が高すぎてそろそろ知恵熱が出そうになっていたところだ。
「魔獣が魔法陣を扱えるとなれば、色々影響が出そうですね」
オスカーがそう言うと、王妃は扇を口元に『そうですわね』と言い、アリソンに向かい微笑んで見せた。
……こ、怖い。
アリソンは眉間に救難信号的な何かを刻んだのだが、こんな状況ではクリスは助けてくれない。
「そうなれば、アルブス国と新たな共同研究ができそうかしら?」
王妃はそう言って微笑んだまま目を細めるので、アリソンは捕食されそうな気がするのだった。
「ミネルヴァ王妃。涎が出そうな顔でアリソン様を見つめないようにお願い致します」
クリスがそう言うと、王妃は悪びれる様子もなく『あら、繊細な商品には手を触れないようにするものよ』とクリスに返して再度アリソンに流し目をくれる。
……こ、こ、怖い。
アリソンは自分に社交は向かないと改めて思うのだった。
中庭では王子がクララを抱えて、二十歩程離れた位置にいる護衛騎士に向かい投擲のポーズを取っている。そして、クララを投げた。
のぉぉぉぉぉぉおっ!
アリソンは、あまりの出来事に固まった。
緑色の雛はヴィンセント王子の手を離れて、羽をゆっくりと動かしている。雛は背丈の数倍程で高度を保ち、護衛騎士の元へと飛んで行く。と、言うか王子の腕力で飛ばされて行く。こういう時だけ全てがゆっくりと見えるものだなと、アリソンは思いながら、クリスに抱えられて樹海をダイブした光景が脳裏に浮かんだ。
クララのトラウマになるのでは……
その間にもクララは羽をぱたぱた動かしながら、ジェフリーの腕を目指している。しかし、あと数歩と言うところで失速したのが目に見えてわかる。落下してしまうと思われた時、クララの首に結えつけられた魔法陣が起動するのが見えた。
ふぇ……
クララは宙をぺたぺたと歩いてジェフリーの元へと辿り着いた。
飛んだかと言うと、飛んではいない。とてもシュールだ。
ジェフリーの手に嘴をつけると、踵を返して王子の方へと宙をぺたぺたと歩いて戻って行くと、王子の手に嘴を擦り付けて羽をぱたぱた動かした。宙には浮いている。プリシラ王女は『凄いね、クララ!』と、ご機嫌である。
「良かったですね、ヴィンセント殿下」
オスカーが皮肉混じりに口の端を上げてそう言うと、王子は『アリソン嬢のお陰だ』と破顔したのだった。アリソンは王子のそばを離れないクララを見るに、親離れは未だできていないと思うだがそれを指摘する勇気は無いのだった。




