6 アーテル国外交
コルデリア妃の離宮を去る時、クロエは私達三人を見送ってくれた。気がつけば、最初に見せた彼女の厳しめな印象は薄れていた。結局のところ、シャロン・ヴァレンタイン伯爵令嬢殺害未遂事件の関係者である、メイドのリサや魔法師団長のクザン伯爵については何も聞けなかったが、新たに発覚したコルデリア妃がやらかしたと思われる黒めな過去に私は既にお腹いっぱいだ。
私の想像では、エリック王子はエレノア妃の死に関わったショックで記憶を失ったのではないかと思う。あんなものはトラウマ案件だ。そうでなければ、思い出したくないからこそ、小さい頃の事はあまり覚えていないと言ったのかも知れない。後は赤髪の父上、レイモンドが何者か解らないくらいだが……
……今日はもう止めよう。
「そういえばエリック殿下、今日は護衛騎士の方いないのですか?」
ラルフの何気ない質問に、私は第二王子の側にいつも護衛騎士が控えていたのを思い出していた。
ハムちゃんと王子と護衛……無事だと良いな。
「今日は第三魔法師団の詰所で外交日程と護衛計画をすり合わせているよ。明日からアーテル国に出立するからね」
エリック王子はそう言うと、第三魔法師団に立ち寄ると、護衛騎士を引き連れて去っていったのだった。
翌朝、私は第一王子の従者としてアーテル国に向け出発した。ラルフを含む文官数名と、魔法師団員十数名のまあまあ大所帯だ。そんな中、私は従者だからと王子と一緒の馬車に入れられた。
「あのぅ……何故私がエリック殿下と同じ馬車なのでしょうか?」
ラルフが私の隣で居心地悪そうにモジモジしている。思うに、ラルフは王子の暇潰し要員だろう。文官たちも喜んでラルフを王子に差し出したように見えた。『まあ、良いじゃないか』と王子が爽やかに微笑む。ラルフにはちょっと不憫ながら、そこそこ笑える。
そして、私の向かいには何故か第三魔法師団長が陣取っている。
「あのぅ、護衛騎士様に何かあったんですか?」
「腹を下したらしい」
ん……護衛騎士さん、一緒に来ていないって事?
ヘイワード師団長は表情を変える事なくラルフの疑問に答えると、目を閉じてしまい、それ以上会話する気がないという体であった。心なしか、隣の圧で王子のスペースが狭そうだ。ガリ王子にはちょっと不憫ながら、これもそこそこ笑える。
よかったね、エリック王子。……ガリで……
「そういえば、ジェキンソン文官は最近クザン伯爵の事を調べているみたいだね?」
「あ、はい。そうですね」
「何か面白い情報はあった?」
「……そうですねえ。クザン伯爵の弟君なんですが…もう二十五年くらい前、彼が十五歳の時に先代のクザン伯爵に勘当されましてね…アルブス国の貴族年鑑からも抹消された方なんです。殿下はご存知ですか?」
「いや、初めて聞くよ」
「そうですか。今はアーテル国の貴族になったかもしれない……と言う情報があります」
あらま……
第一王子の興味を引いたらしく、口が『ほう』と動く。師団長の眉間に皺が入ったが、相変わらず無反応を貫く心積りのようだ。
クザン伯爵の弟、ミハエル・クザンは王立学園在学中に学園の生徒会運営費を横領して、退学処分となった。横領金の使い道が女性関係だったとかで、先代のクザン伯爵の怒りを買い、勘当されたらしい。これは、ラルフとくっついて動いていた数日で知り得た情報だが、そのミハエルがアーテル国でお貴族様に返り咲いたという話は私も初耳だった。
「アーテルのどなたの事か調査済みなのかな?」
「ミシェル・ドラン男爵という方だそうです」
「それで……どうする? 事の真偽を確かめて、クザン伯爵の弟君と判った時、ラルフはどうしたい?」
「さあ、それはその時にならないとわかりませんよー」
この王子は時々人を試すような言い方をする。
ラルフは気にしている様子がないが……私としてはもっと人に悟られないように質問して欲しい。無駄に緊張させられるのは苦手だ。
「そうか」
エリック王子はそれ以上深く訊ねようとしなかった。
馬車の窓は狭い。襲撃から身を守れる事が主目的の装甲が厚めなモノらしい。僅かに見える景色が流れるのを横目に、王子は頬杖をついた。
「そろそろクザン伯爵領に入るね。明後日には伯爵本人に会えるから、弟君の事も教えてもらえると思うよ」
王子がラルフに向かい目を細めて微笑むと、ラルフは引き攣った笑みを返し『ははは……だと良いですね……』と言うのだった。
一日中馬車に揺られ、座っていただけで消耗した状態から、従者サイラスこと私のお仕事が本格的に始まった。
第三師団員が予め問題ないと確認したエリック王子の宿泊先をヘイワード師団長と共に再び確認し、王子の着替えやお茶セットやお手紙セットなど一泊で使いきれない品々を宿泊先に運び込み、お茶を用意し、お湯も用意をする。その合間に王子に挨拶に来る地元の盟主らしき人を迎えて待合室に案内する。お茶を淹れて、案内して、そしてお茶を淹れる。これが数回繰り返された。
何故ガリ王子の従者は私一人だけなのか……
エリック王子に挨拶に来た人々が去った頃には、私はボロ雑巾のようになり、カウチに座り込んだ。やはり王子の護衛騎士は見当たらなかった。
「サイラス、ご苦労だったね」
王子はそう言うと、なぜか私にお菓子をくれた。かろうじて『ありがとうございます』と言い受け取るが、ジャック仕込みの上品な所作とは程遠い。
「今日はゆっくり休むと良いよ」
そだよね…運んだ荷物を明日の朝運び出す仕事があるもの。薄れ行く意識の中、お菓子はヤマダサンにあげたら喜んでくれるかもと思うと笑みが漏れた。そして、私は王子の言う事に素直に従い、服を着替えると、泥のように眠ったのだった。
思いの外力仕事だと判明した従者生活三日目に、私の天敵クザン伯爵家の館に到着した。
ダグラス・クザン伯爵は、壮年で黒髭を蓄えた細身の男だった。スッと通った鼻筋や琥珀色した鋭い眼光が余計に彼の細さを強調させる。髪を後ろに撫でつけるスタイルは、ファーガス侯爵リスペクトの精神かもしれない。無駄に恐い。
「エリック殿下、ご無沙汰しております」
「こちらこそ。今夜は世話になるよ」
ファーガス侯爵繋がりだろうか、王子と伯爵は面識があるようだ。親しげな挨拶を交わしている。
流石に慣れて来た王子の外交セット一式を寝所に運ぶ従者としての作業だが、今日は伯爵家で一泊する事もあり、伯爵家の家人たちがこぞって私を助けてくれる。そこは大変ありがたい。お陰でラルフと立ち話ができるくらいの余裕ができた。
「ラルフは伯爵に何か訊くのですか?」
「いやぁー。僕もナタリーくらい度胸があれば良いんですが……高貴な立場でもないので、直接伯爵から情報を得るのは難しいです」
「まあ、そうですね」
「でもまあ……伯爵家の使用人に世間話するというのは……アリですよね」
ラルフはそう言うと、伯爵家の使用人たちの手伝いをしつつ談笑し始めた。私はラルフの成果を信じてお茶を淹れ続けた。
それが見えたのは本当に偶然だった。その夜は、クザン伯爵家の寝台が落ち着かず、記憶が鮮明なうちにと、赤髪の父上とエレノア妃の顔を描いていた。チャンスがあれば、クロエからレイモンドの情報を教えてもらえそうだ。そして、休憩がてら窓を開けて外をみた時、誰かがエリック王子の部屋にある窓から抜け出すのが見えたのだった。
フードを被っている。恐らく男だろう。二階の窓からふわりと飛び降りると、伯爵家の敷地から出て行くようだ。
私はエリック王子の部屋を確かめるべく、寝衣に見習師団員の上着を羽織って部屋の外へ出ようとすると、そこにはヘイワード師団長がいた。
「眠れないので?」
「その、エリック王子の部屋の窓から人が出て行くのが見えて……」
それを聞いたヘイワード師団長は、エリック王子の寝所に向かい、物凄い勢いで廊下を走って行った。私はそんな師団長の後を追いかけ、そしてあちこち荒らされた跡のある王子の寝所で一人佇むヘイワード師団長を見たのだった。




