12 ヴァレンタイン伯爵の帰還
シャロン・ヴァレンタイン伯爵令嬢は、父親譲りの銀髪の可憐な少女であったが、約二十年前に王城の茶会で毒に倒れ社交界から姿を消し、時と共に人々の記憶から消え去った。貴族年鑑上は生存しており、今年で三十八歳らしい。
彼女の母親は、シャロン嬢が七歳の時に天に召され、そこからはヴァレンタイン伯爵と娘の二人家族であった。彼女が十七歳の時に、年齢と魔力量が当時の王太子殿下である国王陛下と釣り合うという理由で花嫁候補に挙げられ、候補者の集まる茶会で毒を盛られて倒れたのだと言う。犯人は王城に勤めていたメイドで、犯行後に自殺したと言う。
そこまで説明すると、伯爵家執事は上品な所作でハンカチで目元に光るものを拭き取った。
「シャロンお嬢様がご無事で本当に良かったです」
感無量と言わんばかりのジャック。
名前がとうとう判明した銀髪の娘は、ヤマダサンの通訳で状況を把握中だ。ジャックに対し、彼女は記憶と言葉を失っていると、かなり受け入れ難い説明をする事になった。
そしてアリソンはと言えば、ジャックの左頬に若干の引っ掻き傷を見ては、痛そうだなぁ……と、思いながらジャックの話に耳を傾けていた。
「これで主人もご無事であれば、嬉しいのですが……遺書めいた物を私めとブレイク公爵にそれぞれ残して登城されましたので、何か御身に起きること予感されていたのかも知れません」
「遺書めいた物?」
オスカーが茶色い眼を眇めて、探るようにジャックを見る。
ジャックは、頷くと懐から封筒を取り出して『私宛の物です。見て頂いて問題ございません』と言い、オスカーに手渡した。
「……ヴァレンタイン伯爵は、何か健康上の問題があったのかな?」
中を確認したオスカーが、アリソンにも見える位置に封書を広げたまま置いた。
そこには、伯爵の身に何かあれば、ブレイク公爵に自分の手紙を渡すようにと書かれていた。公爵にはジャックや家人の次の仕事を世話してもらうよう伝えているから心配しないようにと…そして、シャロン嬢については、慧心の魔術師に判断を委ねるようにと書かれていたのだ。アリソンの眉間に皺が刻まれる。
「主人に健康上の問題はございませんでした」
ジャックはそう答える。訊かれた事以外答えない彼の執事らしい振舞いは、別の事を質問して欲しいようにも思えてしまう。そんな風に思うのは、穿ち過ぎだろうか……?
「成程。このまま伯爵が身罷られた場合、シャロン嬢は貴族の身分と住処を失ってしまうのだな」
えぇ……
アリソンは公爵令嬢とは言えない残念な所作で机の上に置かれた手紙を前のめりで凝視した。そんな事は書かれていないと言うのにと眉根を寄せて、『みゅぅ』という音が漏れ出す。
そこは指摘しないプロフェッショナル執事ジャックは、美しい姿勢のままソファーに腰掛けて『タウンゼント子爵のお考えをお伺いしてもよろしいでしょうか?』と、これまた美しい言葉を選んで質問するのだった。
「ヴァレンタイン伯爵の爵位は、五大魔術師の一人を担う為、彼個人に一代限りという扱いで叙されたものだ。城内の執務室を含めて館も同じ扱いだな。伯爵の死亡と同時にシャロン嬢は貴族年鑑から抹消されてしまうだろう」
ええー。そんなー。
アリソンの不満が眉間に現れる。
「まあ、直ぐに追い出される事はないにしても、シャロン嬢がヴァレンタイン伯爵の館に住み続ける事は難しいだろう。そのあたり、ブレイク公爵に相談される事をお勧めする」
「お気遣い感謝致します」
ジャックは、オスカーに美しい角度でもって礼をした。
「いや、ブレイク公爵の前に……第二王子ヴィンセント殿下に相談してみると良いだろう」
オスカーは、そう言うと口の端を少し上げて『呼ぼう』というと、長く伸びた灰色の髪を片手で大きくかき上げた。首筋が露わになったかと思うと、そこには彼の髪と同じ色した小さな木兎が出てきた。
ふわふわの使い魔……
灰色したミミズクは、オスカーの指令を金色の眼をくりくりさせながら聞き、その後黙って頷いてからゆったりと飛んで行った。
気がつけばアリソンの横に座ったヤマダサンが『毛玉に見惚れていたナ』と言いながら、アリソンの手に頭をぐりぐりと擦り付けるのだった。
ヤマダサン……いい歳して嫉妬なんて大人げないよ。
手触りが気持ちいいので、口には出さないアリソンであった。
その後、オスカーの使い魔を連れて第二王子が急いだ様子でやって来た。後ろには護衛のジェフリーもいる。
「ダンに無茶をさせるとは、余程の事か?」
ヴィンセントはそう言うと、木兎をオスカーに丁寧に手渡すのだが、オスカーは木兎を受け取ると肩にのせて『ダンは昼寝の時間だ』と嘯く。
すると木兎はモソモソと自ら灰色の奥に溶けていった。
「紹介しよう。ヴァレンタイン伯爵家の執事殿だ」
「ジャック・ジェキンソンと申します。ヴィンセント殿下にお会いできて大変光栄に存じます。」
ジャックはアリソンの時同様、美しい所作で一礼する。
「……ああ、よろしく」
ヴィンセントは怪訝な顔をしながらも、促されるままソファーに腰をかける。
「執事殿のお陰で、ヴァレンタイン伯爵が召喚したのは伯爵のご息女と分かった。それは一旦置いておいて、執事殿は色々と殿下に確かめたい事がおありだ」
「そうか、分かった。……確かめたい事か。うん。先ず、ヴァレンタイン伯爵は私の精霊契約を支援する際、侵入者に襲われて死亡した」
みょぉぉぉ!おぉ!?
アリソンは、叫びを渾身のひと息で飲み込んだ。心臓が痛い。
ジャックは節目がちに、『そうでございましたか』と言うと、ハンカチで目を拭った。
「シロオリの花かな?」
ヴィンセントがそう言うと、ジャックは赤くなった目を瞬かせて黙って頷いた。
アリソンは、ここに来てようやくジャックが登城する前から主人の死を知っていた事に気がついた。シロオリの花とは、白い花を咲かせる植物の形をした魔道具の別名だ。主に危険な旅に出る人が、自身は魔道具用の魔石を肌身離さず身につけて、白い花の方を家族や恋人に持たせる。そして、魔石は身につけた人から微量の魔力を吸収し、白い花を咲かせると言う代物だ。つまり、伯爵が死んだ時に、ジャックが持たされていた白い花が枯れてしまったのだろう。
「伯爵を手にかけた侵入者は倒した。だが、裏で手を回した者を探し出したくてな。伯爵の死を暫くの間伏せておきたい。黙っておいてもらえるだろうか?」
ヴィンセントは、ジャックを見つめてそう言った。
すると、ジャックは深く一礼して僅かに声を震わせ『承知致しました』と答えた。
きっとシロオリの花が枯れたというのに、王城からは伯爵重体との連絡が来たのだろう。この職務に忠実な執事が一番知りたい事を言えずにいた事を見抜き、王子から真相を伝えさせたオスカーに『やっぱり恐いぃ』と密かにぷるぷる震えるアリソンであった。
「そこで一つ提案だが、そろそろヴァレンタイン伯爵とシャロン嬢には館に帰還頂こうと思う」
オスカーはそう言うと、話について来れずに少し離れて佇むシャロン嬢を手招きした上で、ジャックにシャロン嬢の話を王子にも説明して欲しいと言う。
シャロン嬢は、ヤマダサンを挟んでアリソンの隣に腰掛けて微笑んだ。
「つまり……シャロン嬢の時を凍結させた方法で、ヴァレンタイン伯爵の遺体を保存するのか。生きている者達の安全面が気になるが……」
「察しが良くて助かりますよ、殿下。安全面については、執事殿からブレイク公爵に助けを乞うて頂くと言うのはどうですか?懇意にしている伯爵の為に、城と同等の結界を用意してくれるでしょう」
こ、こ、こ、恐い恐い恐いぃぃ!!!
アリソンはこの魔法師団長なら既にメリッサ嬢の事を把握しており、それをネタにブレイク公爵を脅すくらい出来そうな人間に見えはじめていた。オスカー・タウンゼントという男は丸投げ可能な人間を嗅ぎ分ける嗅覚に優れた極端な面倒臭がりである。しかし、アリソンを含めた殆どの人間が、オスカーの都合が良い方に彼の特性を誤解してくれる。
怯えるアリソンとは対照的に、ヴィンセントは『良いねその案!』と言わんばかりの笑みであった。




