幕間14 とある子爵に舞い込んだ縁談
パトリック・オーウェンとは、やんごとない身分の特定年齢層の間では『ヴェロニカ先生』として認知されているアルブス国子爵位のお貴族様である。彼は、王立学園において長く養護教諭として在籍しているオネエ言葉を操るスキンヘッドの筋骨隆々とした巨漢だ。見た目と仕草からソッチの方だと思われがちな彼だが、生徒が心を開き易いように努力をした結果だとか……本人曰く恋愛対象は女性だとの事である。
そのヴェロニカ先生こと二十年以上の付き合いになってしまった旧友が暑苦しい顔を此方に近づけて懇願している。
「お願いよ、ブルーノ。アタシの恋人の振りをしてちょうだいよ。ネ?」
何が『ネ?』なのか解らないという表情を向けられたと理解したのであろうか……オーウェン子爵は溜息と共に首を振ると、中々にすっ飛ばした事情を語り始めるのであった。
「実は、縁談話が来てね……」
「何回目だ? ソレ」
「もうアタシだって覚えていないわよー。二十くらいまでは数えていたけど、破談が続くんだもの、流石のアタシも数えるのも止めるわ」
「……で、お相手はどの家のご令嬢だ?」
パトリック・オーウェン子爵と言えば、優秀な義肢装具士で独身の子爵位貴族。その上、癖のある派閥にも属していない……と、経歴だけ見れば優良物件なのだが、彼の見た目と振る舞いが婚期を遅らせる事十数年。きっちりと売れ残ったお貴族様の一人だ。
まあ、彼が学生時代に発表した大人の玩具的な魔道具が若干ご婦人に受けが悪いのもあったのだが、それを凌駕するのが彼の 振る舞いの方だったと言う事であろう。自分とは違い、出自が良いのに残念な事だとブルーノは節目がちのスキンヘッド男を見て目を細めた。決してスキンヘッドに太陽光が反射して眩しいという理由だけではない……筈である。
「……お相手はコレット伯爵家のご令嬢よ」
「おいおいおいおい…………おい、正気か?」
コレット伯爵家の御令嬢は、未だ王立学園への就学も果たしていない少女である事を知っていたブルーノは冗談は止せとばかりに笑い飛ばしたのだが、苦虫を噛み潰した表情を変えようとしない旧友の姿に、表情を硬張らせた。
「アタシとコレット伯爵の方が歳が近いのよ。嫌になっちゃうわ」
「……ああ、知っている。コレット伯爵家には以前仕事で会った事があるからな」
「まぁ、そうだったのね。ブルーノもご令嬢には会ったのかしら?」
「いや……伯爵曰く、お転婆で未だ人前に出せないとか言っていたかな」
「そう、人前に出せない……ねぇ」
オーウェン子爵は溜息を吐いて洗練された貴婦人の仕草で頬に手を当てて首を傾げた。
王立学園にも就学できないのだから、御令嬢は十二歳未満という事。未だ更生の余地がありそうな年齢だが、子爵の様子から察するに訳あり……という事のようだ。
「ご令嬢は男になりたいのだそうよ。服装も振る舞いもご令嬢ではなく、ご令息だったわ。せめて孫は見たいから、心は乙女のアタシをお相手にしたのか、ショック療法で更生させたいのか……まあ、アタシが親なら後者だって思うわよね」
「……そうか。破談記録が更新されるな」
「もう数えてないから解らないわよ……って、そうじゃあなくて。コレット伯爵令嬢に気に入られちゃったのよ……アタシ」
ブルーノは飲み掛けの紅茶を気管に取り込んでしまい盛大に咳き込んだ。
伯爵とは思えない所作でナプキンを使い乱暴に口周りを拭うと、真偽を検めるようにして咳き込ませた旧友を見上げた。
「まぁ、大丈夫?」
「……ご令嬢に気に入られたのか?」
「ええ、そうみたいなのよ。すぐに先方からお断りの報せが来るかと思ったら次はいつ会えるかなんて手紙と花束が届くのよ」
「そいつは、凄いな」
男装癖のある伯爵令嬢と高明なオネエ独身子爵の組み合わせだ。必要以上に濃いが、本人達が幸せならばそれも良いのではないだろうかとブルーノは思った。他の国は知らないが、アルブス国は同性婚を事実上認めている。そう言った組み合わせに対しても寛容な筈である。ブルーノは、咳払い一つナプキンで口元を隠しつつ、姿勢を立て直した。
「で、ちょっとカーティス侯爵夫人に相談したのよ。いくらアタシでも、将来ある若人を闇の世界に引き込むのは心が痛むでしょ?」
カーティス侯爵夫人とはご婦人方の間で太いパイプを持った妙齢の貴婦人だ。
ブルーノ自身は読んだ事ないが、夫人の執筆した小説は芸術的評価が高いとかなんとか……くらいの情報は聞き及んでいる。恐らくヴェロニカ先生として夫人と交流があるのだろう。大抵のお貴族様は王立学園を卒業する。
「そしたらね、アタシが男性しか愛せないタイプだと思わせれば諦めてくれるのではないかってアドバイス頂いた訳なの」
「それで『恋人の振り』って…………相手は俺なのかよ?!」
「だって、こんな事お願いできそうなのは同じ独身組のアナタ位じゃないのよ。ねぇ、トーレス伯爵?」
ブルーノは頭を抱えた拍子に思い出した。カーティス侯爵夫人の執筆する小説の題材は、男同士の恋愛を扱った話ばかりだと。
「そこは普通に……歳の差とか理由に断れば良いだけだろう?」
「でも、単に断るだけではコレット伯爵令嬢はきっと今のままよ。王立学園に入学できないのではなくって? きっと女の子用の制服を身につける事もできそうにないわ。それを理由に学園で孤立するかも知れなくってよ」
「……そういう心配は養護教諭らしいな」
男同士の恋愛模様を見てコレット伯爵令嬢の気が変わるかどうかは非常に疑問である。
昔からオーウェン子爵は人の心の機微に敏感であった。ブルーノの第一印象は貴族同士の蹴落とし合いに向かない『いけ好かない優男』だった。きっとコレット伯爵の様子から自分の役割を勝手に想像したか、若しくはコレット伯爵が上手に誘導した結果、自分が巻き込まれたのだろう。と、ブルーノは思うことにした。
「俺は天鵞絨の魔術師から頼まれた緊急の依頼で忙しいんだがな……」
事情は理解できたが、緊急の用と呼び出された挙句、開口一番にあの『ヴェロニカ先生』の恋人役を引き受けろと言われればブルーノとて憎まれ口の一つも言いたくなるというものである。
「やっぱりダメかしら?」
上目遣いのスキンヘッドが眩しいが、思えば髪が存命の頃から目に眩しい男であった。
出会った当時は線も細くて夢見がちな金髪碧眼の……まあそれなりに美少年で、自分とは住む世界が全く違う男だと思っていた。貧乏も不幸も知らなさそうな少年は何故か人をよく観察していて、周囲の人々が抱える心の棘を何故だかブルーノを巻き込んで上手に抜いていた。
そして、ブルーノもまた、そんな彼にいつの間にか救われていた一人だ。旧友の突拍子もない頼みを無下に断る選択肢は持ち合わせていなかった。
「わかったよ、パット。念の為に言っておくが俺は異性が恋愛対象だと言う事だけ忘れないでおいてくれ」
「あら、アタシもそうよ!」
オーウェン子爵はブルーノの右手を両手で包み込むようにして掴むと『ありがとう、ブルーノ!』と言うや、素早くブルーノの頬に口付けを落とした。中々の良い音がサロン内に響き、ブルーノは子爵の肺活量は一体どれほどだろうかと思った。
ガタン
そこへ一際大きく物がぶつかる音がして、二人のいい歳をした男達は手を握り合ったまま音のする方へと首を捻り、涙目で此方を見つめる少年を見つけた。
「パット……その人があなたの大事な人?」
「アレク……ごめんなさい。ええっと……アタシ、婚約はできそうになくって」
ブルーノは気が遠くなりそうになるのを気合いで現実に引き戻した。
そして、少年の後ろで気遣わしげに此方を見つめる見覚えのある顔を見つけて、あらかじめこの場がコレット伯爵とヴェロニカ先生との間で用意されていた事を知った。
「僕の事、嫌いなのですか?」
アレクと呼ばれた少年、もといコレット伯爵令嬢は震える声でオーウェン子爵を見上げてそう言った。ブルーノは少女の不安気な表情に既視感を覚え、声をかけた。
「君、パットと知り合いなのだね。私は彼の友人でブルーノ・トーレスだ。お名前を聞いても良いかな?」
「コレット家のアレク……です」
ブルーノは少女が俯く様子に、コレット伯爵が長女の名をアレクサンドラと言っていた事を思い出していた。
「自分の名前は嫌いかい?」
ブルーノがアレクと目を合わせるように屈んで訊ねると、少女は涙をぽろぽろと床に落として、一際深く俯いた。その姿が、もっと幼かった黒髪の少女と重なってブルーノは既視感の正体を知った。
「生きにくいだろう? パットなら助けてくれそうだと……そう、思ったんだろう?」
「ブルーノ?」
訝し気なオーウェン子爵を他所に、ブルーノは少女に向かい続けた。
「アレク……私もそう呼んで良いかな?」
「はい」
「アレクは魔法に興味があるかな?」
「はい」
「では、王立学園ではなく、魔導学院へ就学してみるのも良いだろう。あそこは制服なんて無いし、男女問わずローブを着込んでいるからね」
ブルーノがそう言うと、アレクは弾かれたようにブルーノの方を見てから後ろにいるコレット伯爵の方を見た。
「コレット伯爵、貴方は少しアレクと話す時間を作られると良いでしょう」
ブルーノはそう言い、アレクの頭を少し撫でると立ち上がった。
「トーレス伯爵、申し訳ない。私は……この子を辛い目にあわせたくなくて……」
「さて、私には着たくない女物の制服を着る事と、女のくせに男物の服を着てと揶揄されるのとどちらが辛いのやら想像できませんが……王立学園以外の選択もよろしいのではないですか?」
この位言っても怒られまい。何せ巻き込まれたのだから……と、ブルーノはコレット伯爵に柔らかく微笑んだ。アレクのような子を持った父親の辛さも解っていないことに思い当たったからだ。
「魔導学院は実力主義ですから、入学に見合う学力と魔力があれば出自に関わらず誰にでも門戸を開いてくれる組織です。そういえば……『慧心の魔術師』のご息女も通っていましたよ。彼女は次代の五大魔術師と呼び声高い。ちょっと引き篭もり気質ですがね」
ブルーノの言葉に、コレット伯爵は『ありがとうございます』と礼を言い、アレクの手を引いて去ろうとする。
「ああ、それと……婚約は無理でも、ヴェロニカ先生はアレクの事を助けてくれるから、頼ると良いでしょう。そうだろ?」
ブルーノがそう言い、ナプキンを両手に物凄い形相をした旧友に声をかけた。
ああ、これは泣きそうなやつだ。と、ブルーノはオーウェン子爵の手に残された自分のナプキンを回収してハンカチを手渡してやった。案の定、子爵はそれで顔を覆うと鼻を噛んだ。
「トーレス伯爵、僕は魔導学院に入れるよう努力します」
そう言い袖口で涙を拭うとアレクはブルーノとヴェロニカ先生に礼をして去って行った。
「ブルーノ、ありがとう。アタシ、王立学園以外の選択肢なんて思いつかなかったわ」
「そりゃお前が生粋の貴族で、俺がそうじゃないからだろ。それから……」
「それから?」
「そのハンカチは返さなくて良い」
実は魔力が足りなくてブルーノは魔導学院に入れず王立学園を選択した。それを旧友にバレたくないと思う程度に、ブルーノは見栄を張りたい。それはヴェロニカ先生には内緒の話だ。




