幕間13 とある文官の昇進
「ラルフ君、一体全体どんなコネがあったの? いきなり陛下の秘書官補佐だなんて」
コネっていうよりかは、目を付けられた……なんだろうなぁ。
「いやはや、僕にもサッパリですよー」
今朝まで直属の上司であった子爵は『そうなんだよね』と、首を捻りながら文官帽を脱ぐと、やや淋しくなった後頭部を掻いた。彼の手には異動通達を記す書簡が握られている。差出人は、先程ラルフに書簡を持たせた人物。王の代理アイザック・カイエン公爵だ。
そう、ラルフは午後に頼まれたお使い一つで王の秘書官補佐に抜擢されてしまった。そして、午後に頼まれたお使いのきっかけを作ったのは、ラルフの眼前で腑に落ちない表情の、元上司……なのである。
出だしは……そう、こんな一言から始まった。
「ラルフ君、これを第三王妃の離宮まで運んでくれるかな?」
上司からの命令……もとい『お願い』を受けて、ラルフは離宮の庭を大きめの箱を抱えて歩いていた。箱はそれなりに重く、普段よりも物理的に重たい足取りでもって、『あー。そういえば前に来たことあるよなぁ……』と、ラルフは第三王妃と会ったガゼボを尻目に離宮を目指すのだった。
「まぁ、アーテル国王陛下から私に?」
第三王妃は、以前会った時と同じく第三王子を抱いていた。高貴なご身分な女性は大抵子育てを乳母やメイド任せにするものだと思っていたラルフは、やや面食らいながら抱えた箱について説明をして離宮へと迎え入れて貰うこととなった。
「ちょっと手が離せないの。開けていただける?」
応接室へと案内してくれたアメリア王妃は、もちもち頬っぺのジュリアン王子を軽く抱え上げて悪戯好きのする笑顔を見せた。その容姿は異母兄のアーテル国王陛下とは全く似ていないが、笑い方は飄々とした監査官を彷彿とさせてくれる。ラルフは王妃につられるように笑って頷くと、箱にかけられた検品済である事を示す封を切って中に入っていた数冊の本を取り出して部屋の真ん中に置かれた机の上へと並べて見せた。
「まぁ! 絵本ね!」
「ええと……どうやらお手紙もあるようですね」
「あら、本当? ちょっとジュリアンをお願いするわ」
アメリア王妃はそう言うと、手早く ジュリアン王子をラルフに渡してアーテル国王陛下から王妃宛への手紙を読みながら嬉しそうに微笑んでいる。ラルフは渡された王子がこの前のように泣き出さないかとヤキモキしながら、王妃の様子と机に置かれた絵本を見比べた。絵本はやや古びているが、立派な装飾が施され、高価な品である事が見て取れる。
「私がアーテルの絵本を探していると、エリック殿下から国王陛下にお話して下さったようね。これ全部私が小さな頃に読んでいた物だわ。まだ残していてくれたのね」
アメリア王妃は手紙を置いてからラルフ……ではなく、ラルフの腕に抱かれたジュリアン王子に微笑むと、机の上にある一冊を手に取りパラパラと頁をめくり懐かしそうに目を細めた。王妃の動きに引っ張られるようにしてラルフは王妃の手の中にある絵本に目をやり、見たことのある印に思わず声が出た。
「あ……その印は」
「ああ、コレは先王の印ね。遊んで押してしまったのかしら?」
アメリア王妃は懐かしそうに先王の印章に指を触れた。その隣には、歪な形をした虫らしき何かが二つクレヨンで描き足されている……王妃が小さな頃に描いたものだろうか?
前アーテル王は幼い王女を連れて執務室で仕事でもしたのかな……と、ラルフは思った。そして、そんな事を思っていたせいか、不意に妻の顔が思い浮かんでしまい、子どもが欲しいなぁと自身の腕の中にいる柔らかな存在を確かめた。
うん、ナタリーが帰ってきたら……お願いしてみよう。
「ふふふ……てんとう虫とトンボね」
「えっ?」
ラルフは王妃の笑い声に、 彼女の息子を抱いたまま『子どもが欲しい』と考えていた事を見咎められたような気がして、全力で動揺を隠した。
そんなラルフの心配を他所に、第三王妃はほんの少しだけ得意気な表情を見せてラルフへ言った。
「先王の印章にはね、てんとう虫とトンボが隠れているのよ」
「ああ……てんとう虫は、こちらの飾り文字ですね。ええと、トンボは……」
「ふふふ……ちょっと難しいの。全体を見たほうがわかり易くてよ」
ラルフは首を捻りながら印章を眺めた。全体を見ると言われて、思わず半歩ほど足が下がる。
ああ……成程。
「あ、解ったかしら?」
ラルフの表情の変化を見ていたのか、アメリア王妃がくしゃりと笑って、さっとラルフの腕の中にいた王子を取り上げた。
「ええ。見えました」
「トンボはね、先王の事なのよ。ちなみに今のアーテル国王陛下はカブトムシなのよ」
「ええと……渾名とか……ですか?」
「ええ。そのようなものね」
「では、アメリア王妃がてんとう虫なのですか?」
「いいえ、私が生まれる前から使われているから違うと思うわ。そう言えば誰なのか教えて貰わなかったわね……お母様かしら?」
アメリア王妃は首を傾げて頭を左右に揺らしている。
その時、箱の中から僅かにだが何処か懐かしい香りがする事に気がついた。ラルフが箱に目を向けると、隅っこの方に大人の掌にすっぽりと収まる大きさをした巾着が転がっていた。
「あの……未だ箱にこれが残っていました」
ラルフがそう言うと、王妃は頭を左右に揺らす所作を止めてラルフの手にした巾着に目をやると『ありがとう』と微笑んだ。
うーん……この香り、どこかで嗅いだような気がするんだけどなー。
「匂い袋ね。……悪い虫が寄り付かないように……と言う事かしら?」
アメリア王妃はそう言い、巾着に鼻を寄せて匂いを確認した後、ほっぺちゃんに向けて『ねぇ?』と、微笑んだ。
脇でそんな親子の微笑ましい様子を眺めながら、ラルフはドラン伯爵が用意してくれたと言う薬草を使ってアーテル国側にある樹海を抜けた時の事を何となく思い起こしていた。手に残る香りがそうさせたのかも知れないと、ラルフは己が右の掌に目をやった。
そう、あの時は魔獣に襲われるんじゃあないかと本当に恐かったもんなぁー。
エリック殿下なんて楽しそうにしちゃってもー。遠足じゃあないんだからさー。
樹海なんてもう、周りに人っ子一人居なくって不気味だったし……って……ん??
ここにきてようやく、ラルフは第三王妃の離宮に来てからアメリア王妃とジュリアン王子以外の人を誰一人と見かけていない事に気がついた。
「あのー。他の方々はいらっしゃらないの……ですか?」
「メイド達は揃って体調を崩してしまってのよね。侍女は 畑に……あ、コレは内緒の話だったわ。黙っておいて下さる?」
「ええと……はい。え? 畑?!」
目上の人からのお願いは条件反射的に首を縦に振る男ラルフだが、王妃の口から出てくると期待していなかった単語についつい反応してしまった。ラルフはそう、良く言えば善良な……率直に言えば色々と残念な下々の者なのだ。
「大丈夫よ。ちゃんと国王陛下の許可は頂いていて、認識阻害結界が張ってあるから、離宮の裏に畑があるなんて誰も気がついていないのよ。」
「はぁ、そうでしたか……」
悪戯が見つかったように取り繕うアメリア王妃だが、ラルフの頭に浮かんでいたのは、ヴァレンタイン伯爵の屋敷だった。ナタリーが引き篭っている屋敷内には自給自足可能な畑や若干数の家畜も飼育されていた。
実は裏庭に畑っていうのは貴族の嗜みなのかなぁ?
ラルフはそう、色々とアレなのだ。
「メイドの方々もいらっしゃらないと不便では?」
「そうね、でも産後の体に良いと大量に頂いた薬膳を私が離宮の皆にも振る舞ったせいで体調を崩してしまったから……ちょっと自業自得とも言えるのよね」
「はぁ、そうでしたか……って、産後の体に良いモノで体調崩すなんて事ありますか?!」
「あら……言われてみればそうなのかしら?」
もしや体に悪い物が入れられていたとか……
ラルフの頭に浮かんだのは、アルブス王城で王が倒れたと同時期に始まった世継ぎ争いだ。ラルフの勤める執務エリアでも、貴族同士の微妙な駆け引きに巻き込まれて滞る業務が出てきている。しかし、第二王子の襲撃事件以外で物騒な話はこれまでラルフも聞いた事がない。
「あのー。アメリア王妃やジュリアン殿下も同じ物を口にされたのですか? そのー。体調はだいじょうぶなのですか?」
「あら、ジュリアンは薬膳料理なんて未だ食べないわよ。離宮の皆に振る舞って、私と侍女は平気だったのよ。アーテル出身だから無事だったのかしら?」
母親のアメリア王妃を亡き者として、幼い王子を意のままに……なんて考える輩がいないと断言はできない。現に、第二王子襲撃事件はファーガス侯爵の息がかかった人物が裏にいる事が濃厚だという話だ。ナタリーだけでなく、第一魔法師団の副団長からも聞かされているところから確度が高い事なのだろう。
「ええと、アーテル出身なら平気かどうかは分かりませんが……ともあれ、誰かにご相談すべきですよ。ええっと、国王陛下は今は難しいので、カイエン将軍にお伝えされては如何でしょう?!」
ラルフがそう言うと、アメリア王妃は目を瞬かせて『そうねえ』と言うと小首を傾げて王子のもちもち頬っぺに頬擦りした。
「あなたはカイエン公爵と面識があって?」
「……ええまぁ、一応」
流石に『最近こき使われています』とは言わない。というか、そんな事は口が裂けても言えないラルフだ。
その様子に再びくしゃりと笑うと、アメリア王妃はカイエン公爵へ手紙を届けて欲しいと今度は王妃からの手紙を手に王の執務室を目指す事となるのだった。
最近馴染みになりつつある王の執務室だが、今日は取り継ぎをしてくれる美形の秘書官は居らず、何故かカイエン公爵が直接出迎えてくれた。
そんな公爵は、アメリア王妃からの手紙を目を細めながら読んでいたかと思えば、読み終わるや否や、掌から炎を出現させて、灰も残さずに消失させた。傍にいたラルフは大道芸でも見るように『おぉー』と、声をあげてしまい、公爵の苦笑いを誘った。
「で、ジェキンソン文官。アメリア王妃とジュリアン殿下の様子はどうだったのかな?」
「はい、王妃は見たところ体調が悪そうな所もなく、ジュリアン殿下も頬っぺがもちもち……いえ、健やかそうでした」
「そう、頬っぺがもちもち……か」
「あ、いや。その、失言でした」
「いいよ、どうせ頬っぺはもちもちなのだろう? 羨ましい話だ」
しどろもどろのラルフにカイエン公爵はさらっと返すと、執務机に置かれた書簡をラルフに手渡した。
「これはもう少し後に出そうかと思っていたが、また同じような事が起きるのは……耐えられそうにないからね」
「カイエン公爵、これは?」
「うん、君の上司に渡して来て欲しい」
ラルフが封のされた書簡を手にすると、カイエン公爵はもう一つ頼みがあると言い、封のされていない書類を見せながらラルフに続けた。
「これを迅速に処理してくれ。そして、君の奥方に、職場復帰を願いたい」
ラルフにとっては馴染みのある養子縁組申請書を手に取り、興奮を隠しつつ丁寧に『承りました』と公爵に頭を下げて急いで自分の執務エリアへと戻ってきたという訳だ。
「はぁ、取り敢えず抱えている業務は引き継ぎを済ませて明日から王の執務室勤務だ。おめでとう……なのかな?」
元上司はそう言うと文官帽を被り直してラルフに下がるようにと手をひらひらと揺らした。
「はい。抱えているのはこちらの処理のみです」
ラルフが恭しく差し出したのは、ヴァレンタイン伯爵令嬢の養子縁組申請書であった。
妻と義父が喜ぶだろうと興奮気味のラルフは、妻との間に子どもが出来る未来が若干遠のいた事にまだ気付いていない。
ラルフはそう、色々とアレなのだ。




