第8話〜氷の令嬢と、暗殺者の、毒
完璧な「無能」の仮面を剥ぎ取りにかかる、公爵令嬢エレナ。その冷徹な眼差しに危機感を覚えた暗殺者ハンスは、建国記念夜会での本懐を遂げるため、大胆な「罠」を仕掛ける決意を固める――。
「――あと、二日」
深夜の servant quarters(使用人部屋)。ハンスは月明かりだけを頼りに、小さな銀の小瓶を弄んでいた。昼間のエレナの冷徹な眼差しが、今も脳裏に焼き付いている。
あの令嬢は本物だ。ただの我が儘な貴族の娘ではない。ハンスが完璧に作り込んできた「無能な使用人アルト」の仮面を、彼女はその直感だけで引き剥がしにかかってきている。
「殺すのは容易いが……このタイミングで令嬢が死ねば、ディートリヒ公爵は間違いなく夜会への出席を取りやめるな」
それでは意味がない。ハンスの目的は、あくまで建国記念夜会の場で公爵の喉笛を掻き切ることだ。ならば、取るべき手段は一つ。エレナの「目」を一時的に封じること。
翌朝、ハンスはいつも通り、少し猫背で頼りない「アルト」として公爵邸の中庭を掃除していた。そこに、お気に入りの白薔薇を眺めるエレナの姿を見つける。
ハンスは怯えたように視線を下げながら、彼女の側を通り過ぎようとした。その瞬間、わざとらしく足をもつれさせ、持っていた剪定用のハサミを地面に落とす。
「あ、申し訳ありません、お嬢様……!」
エレナは冷ややかな目でハンスを見下ろした。しかし、彼女の視線はハンスの顔ではなく、彼の足元に落ちた一枚の「紙片」に釘付けになる。そこには、公爵家の警備配置図の一部と、謎の暗号が記されていた。
(誘い受けか、それとも――)
エレナの眉が微かに動く。ハンスはそれに気づかないフリをして、慌てて紙片を懐に押し込み、逃げるようにその場を去った。
すべては計算通り。あえて「ボロ」をもう一つ見せることで、エレナの注意をハンス自身ではなく、その背後にある(と錯覚させた)「偽の計画」へと誘導する。
令嬢がその偽の糸口を追って孤立した時こそ、本当の罠が作動する瞬間だった。
本作をお読みいただき、誠にありがとうございました。
ついに完璧な「無能」の仮面を脱ぎ捨てたハンスと、彼を追い詰める公爵令嬢エレナの息詰まる心理戦を描いた今エピソード、いかがでしたでしょうか。
これまで頼りない使用人として描かれていたハンスが、暗殺者としての本性を現し、エレナを冷徹にハメていくギャップを楽しんでいただけていれば幸いです。強気で聡明なエレナが、この絶体絶命の罠をどう切り抜けるのか、あるいはハンスの思惑通りに事が進んでしまうのか――ここからの二人の化かし合いは、さらに加速していきます。
建国記念夜会という華やかな舞台の裏で繰り広げられる、暗殺者と令嬢の命懸けのダンスを、ぜひ最後まで見届けていただければと思います。
次巻の展開もどうぞお楽しみに




