第4話〜ガラスの仮面
本作は、非業の死を遂げた伝説の暗殺者ハンスが、かつて自身が仕えたディートリヒ公爵邸の気弱な従者・アルトの肉体に転生する復讐ファンタジーです。
前話で公爵の娘エレナの疑念を辛くも退けたハンス(アルト)ですが、今話ではついに最大の宿敵であるディートリヒ公爵本人と対峙します。わずかな身体の「癖」から正体を見破られそうになる、緊迫した心理戦をお楽しみください。
第4話:硝子の仮面
激しい雨は夜になっても止む気配がなく、ディートリヒ公爵邸の回廊を白く煙らせていた。
エレナを体面よく送り出し、自室へと戻ったハンス――いや、アルトの肉体を持つ男は、鏡の前に立ち、自身の顔を忌々しげに睨みつけていた。アルトの整った容貌が、ハンスの冷徹な歪みを帯びて映る。
(馴染ませるだと? 言うは易く、行うは難いか……)
ハンスは自身の右手に視線を落とした。先ほどエレナの前では咄嗟に誤魔化したものの、感情が昂るとどうしても、生前の「右の拳を固く握りしめる」癖が反射的に出てしまう。肉体はアルトの軟弱なものに変わっても、魂が記憶した三十年以上の執念と身体言語は、そう簡単に書き換えられるものではなかった。
その時、背後の扉が前触れもなく開き、冷たい声が部屋の空気を凍らせた。
「――やはり、妙だな。アルト」
ハンスの背筋に、昼間以上の戦慄が走る。
振り返ると、そこには漆黒の外套を濡らしたディートリヒ・フォン・バウアー公爵が立っていた。ハンスにとっての一大仇敵であり、この帝国の最高権力者の一人。
「閣下……。お戻りでしたか。夜分にどのようなご用件でしょうか」
ハンスは瞬時にアルトの「気弱だが礼儀正しい」声音を完璧に再現し、深く頭を下げた。だが、ディートリヒの底冷えするような視線は、アルトの頭頂部を容赦なく射抜いている。
「先ほど、エレナから聞いた。お前が祭壇の途中で足を挫いたとな。だが、お前が歩いたとされるルートのぬかるみには、右足が深く沈んだような不自然な足跡は一切なかった」
ディートリヒが一歩、部屋へと踏み込む。その圧倒的な威圧感に、ハンスの心臓が警鐘を鳴らす。
「それだけではない。お前は先ほど私と話した際、無意識に私の『右側』へ回り込もうとしたな。アルト、お前は常に私の左後ろに控える男だったはずだ。……私の右側は、かつて暗殺者だったハンスが、常に私の死角を潰すために陣取っていた位置だ」
ディートリヒの目が、細められる。その手は、腰の儀礼剣の柄にかけられていた。
「お前は一体、誰だ?」
エレナの疑念を乗り越えた直後、最悪の怪物が、ハンスの「魂の癖」を完璧に見抜いていた。絶体絶命の窮地の中で、ハンスは思考を限界まで加速させる。
本話もお読みいただきありがとうございました。
ついに最大の宿敵であるディートリヒ公爵と対峙したハンス。エレナの疑念を晴らした直後に訪れた、最大にして最悪の窮地です。
かつて自身が仕え、そして裏切られた相手だからこそ、わずかな「暗殺者としての癖」も見逃してはもらえません。肉体はアルトでも、魂に刻まれた過去の記憶がハンスを追い詰めていく――この絶体絶命の心理戦をどう切り抜けるのか、ハンスの次なる一手にご期待ください。
次回、第5話もどうぞお楽しみに!




