表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/14

第八話

日曜日の朝、駅前の百円ショップは開店したばかりだった。

自動ドアが開くと、冷房の風と一緒に、ビニール袋と新しい文房具の匂いが流れてきた。

白石は入口のかごを一つ取り、当然のように僕へ渡した。

「本日の任務です」

「買い物かご係?」

「兼、しわしわ担当」

「昨日の実績で固定されたのか」

「人は経験から役職を得ます」

「もう少し格好いい経験がよかった」

白石は棚の方へ歩き出した。

昨日の病室とは違い、足取りは軽い。

ただ、時々かごの中を確認するように振り返る。

僕がちゃんとついてきているかではなく、たぶん、昨日の続きを落としていないか確かめている。

店内には、夏祭り用の紙皿や、花火の注意書きが貼られていた。

透明なケースに入った折り紙。

色画用紙。

マスキングテープ。

棚の端には、セロファンが何種類も並んでいる。

白石はその前で足を止めた。

「赤」

「夕焼けならいるな」

「黄色」

「いる」

「青」

「夕焼けに?」

「影用」

「急に本格的だな」

「夕焼け部門なので」

白石は薄いオレンジのセロファンを二袋、黄色を一袋、赤を一袋、青を一枚だけ取った。

僕はそれをかごに入れる。

昨日の一枚だけのセロファンとは違う。

量が増えただけなのに、本番という感じがした。

「テープは?」

「透明と、貼ってはがせるやつ」

「はがせる方が高い」

「壁を傷つけたら夕焼け部門が閉鎖されます」

「現実的な理由だった」

「現実、大事です」

白石はそう言って、別の棚へ向かった。

はさみ。

小さなカッター。

定規。

黒い油性ペン。

僕は定規を二本見比べた。

十五センチと三十センチ。

病室の窓の幅。

壁までの距離。

昨日の光の角度。

頭の中で、勝手に配置図が立ち上がる。

窓際に容器を三つ。

壁に近いところへ薄い色。

濃い色は端。

しわを減らすなら、セロファンは先に丸みをつけておいた方がいい。

「高瀬くん」

白石が横から覗き込んできた。

「顔が設計士」

「どういう顔だよ」

「失敗を許さない顔」

「昨日しわしわだったからな」

「昨日のしわしわ、悪くなかったよ」

「本人の前で慰めなくていい」

「慰めじゃなくて、白石評価」

「なら信用できるような、できないような」

白石は三十センチの定規をかごに入れた。

「今日は、きれいに作る?」

「そのつもり」

「じゃあ、私は変な方を作る」

「何で分担がそこで割れる」

「きれいだけだと、病室が緊張する」

その言い方は、いつもの軽口より静かだった。

僕は十五センチの定規もかごに入れた。

きれいなもの。

変なもの。

しわしわのもの。

たぶん、全部いる。

会計を済ませると、外はもう暑かった。

七月の午前中は、遠慮なく白い。

白石は店の前で紙袋を持ち直した。

昨日の帰り、駅で別れる前に白石が引き取っていった袋だ。

中には、試作一号と、まだ使っていない容器。

それから、これまで白石が集めていた容器がいくつか入っているらしい。

「重くないか」

「軽いよ。容器なので」

「そういう意味じゃなくて」

白石は紙袋の口を見た。

「今日は、ちょっと重い」

それだけ言って、すぐに顔を上げる。

「でも、金曜日係がいるので」

「今日は日曜だけどな」

「金曜日から派遣されてきた人」

「曜日に人事権を持たせるな」

「持たせた方が便利です」

白石は笑って歩き出した。

駅前ロータリーには、昨日と同じバスが来ていた。

けれど、昨日ほど緊張はしなかった。

行き先は同じなのに、今日は紙袋の中身が増えている。

僕の手には買い足した道具。

白石の手には、昨日の続きを入れた袋。

病院へ向かう道が、ただの付き添いではなくなっていた。

病室に着くと、美和子さんはベッドの上で本を読んでいた。

表紙には、海辺の写真が載っている。

白石が先に気づいた。

「旅行雑誌?」

「気分だけ旅行中」

「どこまで?」

「今は南の島」

「私たちより先に島へ行かないで」

「下見よ」

美和子さんは本にしおりを挟み、僕たちの荷物を見た。

「今日は多いのね」

「夕焼け工房、本番です」

白石が宣言する。

「工房長は?」

「私」

「助手は?」

「金曜日係」

「しわしわ担当です」

僕が言うと、美和子さんは楽しそうに目を細めた。

「大事な役ね」

「昨日から評価が高すぎませんか」

「ひなたがそういうものを大事にするから」

白石が咳払いをした。

「作業開始します」

病室の小さなテーブルに、買ってきたものを並べた。

セロファン。

テープ。

はさみ。

定規。

油性ペン。

空き容器。

透明なものがいくつも並ぶと、それだけで不思議な感じがした。

全部、食べ終わったあとのものだ。

普通なら捨てるもの。

でも、白石はそれを一つずつ手に取って、底の傷や縁のゆがみを確かめている。

「これは最初の方」

「分かるのか」

「分かります」

「番号、ついてたよな」

「ついてます」

「じゃあ番号で分かるんじゃないのか」

「番号だけじゃなくて、手触りでも分かります」

「容器の鑑定士か」

「夕焼け部門では必須技能です」

白石は一つだけ、僕の方へ渡した。

「これは、高瀬くんが昨日持ってきたやつ」

「試作一号じゃない方?」

「うん。まだ使ってない方」

僕は容器を受け取った。

昨日、試作一号にならずに紙袋の底で傾いていたものだ。

空っぽなのに、手の中でやけに確かだった。

「じゃあ、これは中心候補」

「中心?」

「昨日、出番を待ってたから」

「理由が雑じゃないか」

「大事な雑です」

白石はそう言って、セロファンを広げた。

そこからは、思っていたより忙しかった。

僕は窓から壁までの距離を測り、容器を置く角度を考えた。

白石はセロファンを切り、容器の内側に当てる。

美和子さんはベッドの上から、「そこ、もう少し右」「赤が強いかも」「青は端に置いたら夕方っぽい」と、ゆっくり指示を出す。

工房長は白石のはずなのに、途中から会長が増えていた。

「会長、意見が多いです」

白石が言う。

「現場が楽しそうだから、つい」

「患者さんは安静に」

「はい」

美和子さんは素直に返事をした。

けれど、目はずっとテーブルの方を見ている。

その目があるだけで、白石の手が速くなる。

僕はテープを切る。

昨日よりは、端を見つけるのが早かった。

でも、セロファンは相変わらず言うことを聞かない。

丸い容器に沿わせると、どうしても波ができる。

一つ目は、まだましだった。

二つ目は、端が浮いた。

三つ目で、僕はまた見事にしわを作った。

「しわしわ担当、安定感があります」

白石が言った。

「成長してないってことだろ」

「職人技です」

「失敗の?」

「味の」

「食べ物じゃない」

「元は食べ物です」

美和子さんが小さく笑った。

笑ったあと、昨日より長く息を整えた。

白石の手が止まる。

でも、美和子さんはすぐに片手を上げた。

言わなくていい、という合図だった。

白石はその手を見て、また作業に戻る。

僕も何も言わなかった。

聞かないことにも、慣れ始めていた。

一時間近くかけて、窓際に容器が並んだ。

薄いオレンジ。

濃い赤。

黄色。

端に青。

透明なテープの跡は見えるし、セロファンはどれも完全には平らじゃない。

それでも、昨日の試作一号より、ずっと夕方に近かった。

「カーテン、閉める?」

白石が聞いた。

「半分くらい」

僕は窓の位置と壁を見比べた。

「光が強すぎると、色が飛ぶ」

「専門家みたい」

「昨日から調べた」

「調べたんだ」

「失敗したからな」

白石は、何か言いたそうに僕を見た。

でも言わずに、カーテンを半分だけ引いた。

病室の白さが弱まる。

窓際の容器を通った光が、壁に落ちた。

最初は薄かった。

けれど、容器の位置を変えると、白い壁に色が重なっていく。

オレンジ。

黄色。

赤。

端に青い影。

本物ではない。

空でもない。

セロファンとテープと、食べ終わったプリンの容器でできたもの。

それなのに、壁の一部だけ、夕方になった。

白石は息を止めていた。

美和子さんも、何も言わない。

僕は容器の角度を直そうとして、手を止めた。

今、触ったら壊れる気がした。

容器はただの容器だった。

セロファンの端は丸まり、テープは貼り直した跡で白く濁っている。

それでも、病室の白い壁に、ここではないどこかの時間が生まれていた。

「……見える?」

白石が聞いた。

声が小さかった。

美和子さんは、壁から目を離さずにうなずいた。

「見える」

「本物じゃないよ」

「知ってる」

「工作だよ」

「うん」

「しわもあるし」

「それも見えてる」

美和子さんは、そこで初めて白石を見た。

「でも、ひなたが持ってきた夕焼けでしょう」

白石は返事をしなかった。

代わりに、テープの芯を指で回した。

くるり、と一回だけ。

それ以上は回らなかった。

僕は、壁の色を見た。

昨日のしわしわ夕焼けは、端の方に置いてある。

高瀬作、試作一号。

白石がそう言って、今日も持ってきたものだ。

一番きれいに映っているのは、僕が角度を測って置いた新しい容器だった。

色も濃く、形も整っている。

だから、そっちが選ばれると思った。

「私、これが好き」

美和子さんが指さしたのは、一番端だった。

しわの寄った、昨日の試作一号。

光は歪んでいて、壁の色もまっすぐではない。

「それ、失敗作です」

僕は言った。

「そう?」

「しわが多いし、色も均一じゃないです」

「均一じゃないから、見ていて飽きないの」

美和子さんは穏やかに言った。

「きれいに並んだ夕焼けも好き。でも、これは昨日のまま残っているでしょう」

白石が試作一号を見る。

昨日、初めてここに夕焼けを作った容器。

しわしわで、完成からは遠くて、でも美和子さんが「きれい」と言ったもの。

「これがあるとね」

美和子さんは続ける。

「昨日、二人が来たことも、一緒に残ってる気がするの」

僕は、測った角度も、調べた方法も、頭の中から遠ざかるのを感じた。

白石が、僕の方を見た。

「しわしわ担当、続投です」

「昇進じゃないのか」

「特別枠」

「それ、褒めてるのか」

「お母さんが選んだので」

美和子さんが笑う。

白石も笑った。

その顔は、昨日の病室前とは違っていた。

軽いだけではない。

苦しさを隠すだけでもない。

何かを、受け取った後の顔だった。

そのあと、三人で壁を眺めた。

誰も急いで話さなかった。

美和子さんはベッドの上で、体を起こしていた。

白石は椅子に座り、膝の上に手を置いている。

僕は窓際に立ったまま、容器が倒れないように見ていた。

病室の外では、誰かの足音が通り過ぎる。

廊下の機械音も聞こえる。

でも、その白い部屋の一角だけ、別の音がしているようだった。

たぶん、光が沈む音。

そんなものは本当にはない。

でも、今だけはあることにしてもよかった。

「写真、撮る?」

僕が聞くと、白石はスマホを出した。

でも、すぐには構えなかった。

「お母さんも入る?」

「私はいいわ」

「入る」

白石が即答した。

美和子さんが目を丸くする。

「工房本番なので」

「でも、髪が」

「母法により採用」

「増やしたわね」

「遺伝なので」

白石はベッドの横へ行き、スマホを構える。

僕は離れようとした。

すると、美和子さんが言った。

「陽斗くんも」

「僕もですか」

「共同事業でしょう」

白石は画面越しに僕を見る。

「高瀬くんも、こっち」

僕は窓際からベッドの横へ移動した。

白石と美和子さんの後ろに立つ。

壁には、容器の夕焼け。

画面の中には、白石と美和子さんと、半分見切れた僕。

白石は画面を確認して、眉を寄せた。

「高瀬くん、切れてる」

「それくらいでいい」

「駄目です。共同事業者なので」

白石は横に寄った。

肩が僕の腕に近づく。

触れるか触れないかの距離で止まる。

「今度は?」

「入ってる」

「じゃあ、撮ります」

タイマーを押して、白石がスマホを棚に立てかける。

三秒。

二秒。

一秒。

小さな音が鳴った。

写真の中で、白石は笑っていた。

美和子さんも笑っていた。

僕はたぶん、だいぶぎこちなかった。

でも、削除しようとは誰も言わなかった。

作業を終える頃には、午後の光が傾いていた。

容器は一部を窓際に残し、倒れやすいものだけ片付けることになった。

白石は一つずつ紙袋へ戻す。

試作一号だけは、迷ってから窓際の端に置いた。

美和子さんが選んだ場所だった。

「明日、色が変わってたら報告します」

美和子さんが言う。

「観察日記?」

「そう。母の自由研究」

「提出先は?」

「夕焼け部門」

「審査厳しいよ」

「会長権限で通します」

いつの間にか、美和子さんが会長になっていた。

白石は何か言い返そうとして、やめた。

その代わり、窓際の容器をもう一度だけ見た。

帰る前、美和子さんは僕に言った。

「陽斗くん」

「はい」

「ひなたを、外にも連れて行ってあげてね」

白石がすぐに反応する。

「お母さん」

「病室だけじゃ、夕焼け部門は赤字でしょう」

「急に経営の話にしないで」

美和子さんはそう言って笑ったあと、息を整えた。

それから、白石ではなく、窓際の試作一号を見る。

「……外の夕焼けも、ちゃんと見てきて」

「お母さん」

「私の分まで、じゃないわよ」

美和子さんは白石を見る。

「ひなたの分として」

病室の中が静かになった。

白石は返事をしなかった。

ただ、窓際のしわしわ夕焼けを見て、それから僕を見る。

「明日」

僕は言った。

白石がこちらを向く。

「明日?」

「海に行こう」

「急に?」

「電車時間、調べてある」

「いつ」

「水曜日」

「早い」

「全部やるって言ったから」

白石は口を閉じた。

それから、僕の鞄の方を見た。

「本当に、予定にしてる」

「した」

「全部は無理でも、って言ったのに」

「受理しなかっただろ」

美和子さんが、ふふ、と息を混ぜて笑った。

「いいわね」

白石はそちらを向く。

「何が」

「予定があるの」

その一言で、白石の手が止まった。

けれど、すぐに紙袋の口を折る。

折り目を指で押さえてから、僕を見た。

「じゃあ、明日」

「うん」

「海、採用」

「審査あったのか」

「現場判断です」

「現場監督だからな」

白石は、そこでいつもの調子を取り戻した。

でも、目元には壁の色がまだ残っていた。

廊下へ出ると、病院の白さが昨日ほど冷たく見えなかった。

壁も床も変わっていない。

消毒液の匂いも、機械音も、そのままだ。

変わったのは、たぶん僕の方だった。

白い場所に、夕方を作れると知ってしまった。

駅へ向かうバスの中で、白石はスマホの写真を何度も見ていた。

「消すなよ」

僕が言うと、白石は画面を伏せた。

「消さないよ」

「ならいい」

「高瀬くん、顔が固い」

「分かってる」

「しわしわ担当、写真苦手」

「担当を増やすな」

「でも、お母さん笑ってた」

白石は画面をもう一度見る。

そこには、壁の夕焼けと、三人分の顔が入っている。

「よかった」

その声は、窓の外へ落ちるくらい小さかった。

僕は聞き返さなかった。

バスが曲がる。

白石の肩が揺れて、僕の腕に触れた。

今度は、紙袋を押さえるためではなかった。

でも、白石はすぐに離れない。

僕も、動かなかった。

窓の外を、七月の町が流れていく。

明日は月曜日。

放課後には、海へ行く。

僕のメモ帳に書いた予定が、また一つ増える。

でも今度は、きれいに成功させるためだけの予定ではなかった。

病室の白い壁に残してきた、あのしわの寄った夕焼け。

明日の海は、そこから続いている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ