視線
広間を横切る零に声をかけようとした柚葉の目に客が入った。慌てず焦らず廊下の隅で頭を垂れる。
「おや、新入りかい?」
薄のような明るい髪を持つ妙齢の男が興味深そうに目を細めた。
見慣れない髪色なので異国人だろうか。
柚葉は興味を引かれたが、伏せた顔をあげるのも失礼だろうと姿勢を変えない。
にも関わらず、つり上がった目を愉快に細めた客はわざと覗きこんでくる。ほぉおん、とわずかに見えた口元が愉快そうに弧を描いた。
あまりの醜さに舌打ちをされると思っていた柚葉は肩透かしを食らった気分だ。
「まぁた、あの子は変わった子を拾ったんだねぇ」
ケタケタと笑った客は、何処から来たんだいと柚葉に訊ねた。
柚葉が零に目配せをすれば、小さく頷かれる。相手をしてもいいと受け取った柚葉はさらに深く頭を下げた。
「伊予からです」
「ああ、のんびりとしたところの」
まるで今日の天気を言う気軽さで、青年は品のある笑みを浮かべる。
空気に敏感な柚葉は、零の雰囲気が研ぎ澄まされたのを感じた。
きゅっと口を引き締める柚葉を、妙齢の男はじっくりと値踏みした。かと思えば、ネジ巻きが切れたように興味を失い、ほなと行って客室へと向かっていく。
せっかく暖まった体が凍えていた。冷たい手先を握りしめた柚葉は言い様のない不気味さから逃げるよう広間に急ぐ。
広間の扉を後ろ手に閉め、寄りかかった姿を見た九十九は目を丸くした。
「どげんした」
悩んだ末に、柚葉は重い口を開く。
「新しいお客様に、粗相をしたみたいで……」
「ああ、お稲荷様か。何言われたん」
不可思議な方は奇異な名前を持つものなんだなと思いつつ、柚葉は詳細を伝えた。
九十九は九十九で、おざなりに片手を振る。
「あん人が何かを誉める時は、そのまんまの意味やなかよ。裏を読めってことなんかいねぇ。わからんっちゅーに。逆に嫌みはそのまんまの意味やけ、わかりやすいんやけどなぁ」
顔色の悪い柚葉の背を少年の手が叩く。
「柚葉が気に食わんのんじゃなくて、伊予が気に入らんき」
「土地で好き嫌いってあるもんですか」
柚葉がぽつりと落とした言葉を拾った九十九はお稲荷様ははっきりされとるんよと目をすがめたまま独りごちる。
「タヌキが多いけん」
そんなことを言われても、柚葉はどうすることもできない。理不尽には慣れている。鼻から息を吐いて、仕事に取りかろうと袖を捲った。
明くる日に影井に宿泊客の予定を訊ねた柚葉は驚きを隠せなかった。
「オイナリ様、年始まで泊まられるんですか」
両手を合わせても足りない数だ。ホテルと銘打ってるのもあって宿代も恐ろしい金額になる。上客も上客、下手なことはできないなと柚葉は改めて気を引き締めた。
姿は年端もない子供だが、先輩である九十九は平然としている。
「毎年だて。騒がしいのは好かんのやって。年末年始は一番の働き時なんになぁ」
いくら休みなく働く店でも、年末年始は休むもの――人が流れる時期とはいえ宿だって暖簾を下ろす所もある。
正月から忙しいところなんて、限りがある。神社か、寺か――それ以上思い付かなかった柚葉は思案にくれた。
オイナリ様だからという名前で神職と考えるのは安直だろう。年末年始で勤めを果たさない人なんて、いるわけがない。そんなことをしたら、醜女でなくとも矢面に立たされるに決まっている。それこそ、神様に許しを乞わなければいけないぐらいに。
客の事情に首を突っ込むものでもないか、と柚葉は考えるのを止めて無難な言葉を選ぶ。
「よくご存知なんですね」
「かれこれ十年は泊まっちょるしなぁ。仕事も嫌じゃが、暇も嫌なんじゃと。捕まったら『支配人を呼びましょうか』て言ったらええき」
あの支配人で大丈夫だろうかという考えが浮かぶ柚葉が生返事をする。聞き捨てならない年月を聞いたはずなのに、頭に浮かんだ支配人が吹き飛ばしてしまった。
柚葉のしかめっ面に何を思ったのか、零がころころと笑う。声は出ないが、表情豊かだ。
「冬至前じゃけぇ、お客さんがじゃんじゃん来る。気ぃ引き締めてやろな」
九十九のかけ声に、柚葉と零は頷いた。
ふと、顔を窓の外に向けたのは零だ。なしたん、と声をかけてくる九十九を無視して、ある一点に冷たい視線を刺した。じりじりと何かと対峙するような空気をしばらくただよわせ、唐突に視線を外す。
するどく目を細めたままの零は、九十九に何か伝えたようだ。
窓の外を見やった九十九は、緊張をほどく。
「なんや、客か」
「オイナリ様です?」
「んにゃ、昨日の朝方に倒れこんできたやつ」
柚葉が窓の外に視線をめぐらせても、噂の客は見当らなかった。
「あん方はいつまでおるんやろなぁ」
九十九のぼやきに誰も答えなかった。
木枯らしが洗濯物をはためかせていく。
興味が湧いた柚葉は、影井に訊ねた。
「名前って聞いてます?」
絹田、様ですと心もとない声がもにょもにょとした。
伊予の出身と聞いていたので、知り合いかもしれないと思った柚葉は、眉尻を下げる。
「聞き覚えないですね」
「そりゃ、そうやろ。柚葉が覚えとるっちゅーことは、前に世話した客か知り合いになるが。ソイツがまほろばホテルに来たら、よほどよ」
九十九の言い分に、確かにと柚葉は頷こうとしたが、胸に言いようのない不安が走り、首を捻ることとなった。




