絶体絶命
「……ん……。え……わ……わたし……」
薄暗くホコリっぽい廃倉庫の中。藁の山の上に横たわっていたイリーナが、長いまつ毛を微かに揺らし、掠れた声を漏らした。
「イリーナ様!? 気が付きましたか!?」
鈴音は安堵の表情を浮かべ、膝をついてイリーナの顔を覗き込む。
大聖堂の地下遺跡から【転移】で間一髪抜け出した俺たちは、ドレイクの目を盗んで大聖堂の裏口から街へと脱出していた。そして、通り沿いで奇跡的に見つけた、何年も使われていないような朽ち果てた木造倉庫へと転がり込んだところだったのだ。
「す、鈴音……さん……? ここは……」
イリーナは頭を押さえながら、ゆっくりと身体を起こす。
「よかったです、本当に……! 気分はどうですか?」
「な……なんで、私……。たしか、大広間で祈っていたら、ガリアーノが来て……」
「実はですね、あのドレイクとかいう総司教のジジイが……」
鈴音は急いで、大広間で何が起きたのか、地下遺跡でイリーナのスキル【天啓】が奪われていたこと、そして『碧い星(地球)』を巡るドレイクの恐ろしい狂気について、かいつまんで説明した。
「そんな……。私の【天啓】を、ガリアーノが……!?」
イリーナはショックのあまり言葉を詰まらせる。
(まあ、あのジジイは『奪ったスキルは数時間しか持たない』とか言ってたが……実際のところ、イリーナの身体はどうなんだ?)
「あれっ……? ウタゴエさんの声が……脳内に聞こえます……!」
イリーナが目を見開き、驚いたように胸に手を当てた。
(おお! よかった! ってことは、ドレイクに一時的に奪われていた【天啓】が、無事にイリーナの元へ戻ったみたいだな)
「本当ですか!? よかったぁ……!」
鈴音が心底ホッとしたように胸を撫で下ろす。
(よし、イリーナの安全も確保できたし、スキルも戻った。じゃあ、これからこの包囲網をどう破るか、作戦会議と行こう――)
俺がそう言いかけた、その時だった。
『――あー、あー。コホン。街の善良なる市民の皆様、聞こえますでしょうか』
ルシアニアの街中に配置された拡声魔道具から、キーンという不快なハウリング音と共に、重々しくもしわがれた老人の声が響き渡った。
(なっ……!?)
「ガリアーノ……!?」
イリーナが息を飲んで顔を強張らせる。
『現在、我がルシアニア大聖堂より、尊き聖女様を連れ去った極悪非道なる【異教徒】が街中に潜伏しております。大聖祭を楽しんでおられる市民の皆様は、大変危険ですので、ただちに自宅や建物内へ避難し、決して外へ出ないでください。なお――これより外を歩き回る者は、すべて【異教徒の同味】と判断し、教団の騎士団によって即座に処罰いたします』
放送が途切れ、街が一気に不気味な静寂に包まれる。
(な、あの野郎……! 『聖女誘拐』の濡れ衣を着せて、街全体を完全ロックダウンしやがった!)
「完全に私たちを捕まえに来てますね……。街の人たちを盾にして、動きを封じる気です」
鈴音が歯噛みする。
「すいません……っ! 私が、頼りない聖女のせいで、二人をこんな危険に巻き込んでしまって……!」
イリーナが申し訳なさそうに下を向く。
(いや、気にすんなイリーナ。あのクソジジイの本当の狙いは、イリーナというより俺たち――『碧い星の転生者』なんだ。お前は巻き込まれた被害者だよ)
そんな話し合いをしている最中、廃倉庫の外の路地から、慌ただしい足音が聞こえてきた。
「おい、いたか!?」
「いや、こっちの路地にはいない! あっちの建物の陰を探そう!」
(ちっ……! もう教会の白ローブどもが、目と鼻の先まで捜索に来てやがるな! 長居は無用だ、ここから離れるぞ!)
「そうですね! イリーナ様、歩けますか!?」
鈴音が手を差し伸べる。
「大丈夫です……! 行きましょう!」
意を決して立ち上がったイリーナと共に、俺たちは恐る恐る廃倉庫の扉を開け、裏路地へと走り出した。
「どうしますか詠太さん!?」
風を切って走りながら、鈴音が背後のステータス画面に向かって叫ぶ。
(とにかく、この狂った街から脱出するのが最優先だ! イリーナ、大聖堂の正面門以外に、街の外へ出られる隠し通路とか抜け道を知らないか!?)
「……すいません! 私は幼い頃から大聖堂とその周辺から出たことがなくて、街の外壁の構造までは……!」
イリーナが申し訳なさそうに息を乱しながら答える。
(まあ、箱入り娘の聖女様なら当然そうだよな……! クソっ、こうなればマップ機能をフル稼働して、壁の薄い場所を突っ切るしか――)
俺たちが路地裏の角を勢いよく曲がった、まさにその瞬間だった。
「あっ――!?」
「――いたぞッ! 異教徒どもだ!!」
角の曲がり角の真正面から、白装束に身を包んだ教団の神官(白ローブ)が3人、突如として姿を現した。彼らは俺たちの顔を見るや否や、腰の剣を抜いて叫び散らす。
「やるしかありませんね……!」
鈴音は瞬時に足を止め、腰を落として拳を構える。
(ああ、サクッと倒して突破するぞ! イリーナ、下がってろ!)
「……はいっ!」
イリーナを背後に庇い、鈴音が前方の3人へ踏み込もうとしたその時。
――ざっ、ざっ、ざっ、ざっ!
「逃がさんぞ、邪教徒ども!」
後ろの路地からも、重厚な鎧の擦れる音と共に、数人の白ローブの神官たちが退路を塞ぐように雪崩れ込んできた。
(やべえ……前後を完全に塞がれた……っ!)
気づけば俺たちの前後、狭い路地裏の挟み撃ちの形になり、十数人の白ローブがジリジリと間合いを詰めてくる。
「聖女様! 今すぐその悪党どもから離れてください! お助けいたします!」
「おのれ異教徒め、聖女様に何をした!」
口々に叫びながら、白ローブたちが武器を突きつけてくる。
鈴音はイリーナを守るように背後に庇いながら、冷や汗を流してジリジリと足を引いた。
「これぞまさに……絶対絶命、ってやつですね……」
白ローブたちの包囲網が狭まり、もはや万事休すかと思われた、その刹那――。
――ガッ!!
「ぐはっ……!?」
俺たちの背後を塞いでいた白ローブの最後尾から、鈍い打撃音と短い悲鳴が上がった。
(えっ……!?)
その音を聞き逃さなかった鈴音が、超人的な反射神経で即座に地を蹴る!
――バッ!!!
「ハッ!!!」
疾風のような踏み込みから繰り出された鈴音の重厚な【掌底】が、前方にいた3人の白ローブの胸板へ一瞬にして叩き込まれた。
「ガハッ……!?」「ごふっ……!」
ドカァン!と壁に激突し、崩れ落ちる3人の神官。
前方の脅威を一瞬で排除した鈴音は、すぐさま身体を反転させ、背後の異変へと視線を向けた。
「誰ですか……!? 味方……なんですか!?」
鈴音が叫んだ視線の先――。
倒れ伏す白ローブたちの真ん中に、ポツンと一人の人物が立っていた。
女神教の煌びやかな白ローブとは明らかに異なる、旅慣れた深緑の旅装と、深く被られた漆黒のフード。
その人物は、転がっている神官たちを一瞥すると、ゆっくりと両手でフードを後ろへと追いやった。
――さらり。
フードの奥から現れたのは、夜風に揺れる艶やかな黒髪と、親しみを感じさせる東洋風(アジア人)の凛とした顔立ち。
(…こないだぶりだな)
口元にニヤリと不敵な笑みを浮かべ、彼女は軽く手を振ってみせた。
「久しぶりね――鈴音」
「――ゼノン!!???」
鈴音の大絶叫が、暗い路地裏に響き渡った。




