女神!?神様!?俺はサラリーマンだッ!
「……さあ、時間はあまりありませんからね。さっさと儀式の準備を始めましょうか」
不気味な壁画が四方を囲む地下遺跡の広間で、ドレイクは冷酷に言い放ち、すっと右手を宙に掲げた。
「――来なさい、イリーナよ」
その絶対の命令に従うように、広間の奥にある岩陰から、フラフラとした足取りで一人の少女が現れた。青い髪を乱し、完全に焦点を失った瞳をした――聖女イリーナだった。
『イリーナ様!?』
鈴音の悲痛な叫びが脳内に響く。
意思を奪われた操り人形のように、イリーナはドレイクの真横へと歩み寄り、力なく直立した。
ドレイクは冷笑を浮かべながら、イリーナの頭上へと自身の掌をかざす。
「ふふふ……これだけは、私の【聖言】を以てしても、一生の内に数回しか使えぬ秘奥の命令……。だが、今日この時のためにこそ、残しておいたのですよ! ――『渡せ(キャッチ)』、イリーナァァアア!!!」
ドレイクが狂ったように叫んだ瞬間。
――カアアアアアンッ!!!
鼓膜を震わせる高い金属音と共に、イリーナとドレイクの身体が目も眩むような黄金の光に包まれた。
そして、その光がゆっくりと収まると同時に、イリーナは糸が切れたようにその場に崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった。
『イリーナ様ーっ!!』
鈴音が心の中で絶叫する。
(落ち着け鈴音! ……大丈夫だ、微かにだが胸が上下してる。息はある、死んではいねえ! ……だけど、あのクソジジイ、今一体何をしやがった!?)
すると突然、ドレイクが自分の両手を見つめながら、「おおお……! おおおお!」と歓喜の咆哮を上げた。
「これだ……この感覚だ! 聞こえる、聞こえるぞ! 女神様よ! ……いや、この脳内に直接響く声は、妙に図太く、男性のような……! ということは、女神ではなく『男神』様であらせられるか!?」
ドレイクは天を仰ぎ、狂ったように叫び散らす。
『な、何言ってるんですか、あのジジイ……。急に一人で大声を出し始めて……』
(わ、分からねえ……。あまりの狂信ぶりに、ついに頭のネジが全部ぶっ飛んじまったのか? だとしたら隙が生まれて好都合だが……)
「ふふふ、頭がおかしくなってなどいませんよ。私は至って正常、かつ聡明でございます、神様」
ドレイクが、ニヤリと気味の悪い笑みを浮かべて、俺たちの『念話』に応じるように言葉を返してきた。
「「なっ!?(なっ!?)」」
俺と鈴音の声が、驚愕で完全に重なる。
「……驚かれましたか? 先ほど私の【聖言】によって、そこのイリーナから聖女のユニークスキル【天啓】を一時的に『強制譲渡』させたのです。ゆえに、今や貴方様の尊きお声は、この私の脳内へ直に響き渡っております!」
ドレイクは自身の頭を指差し、歪んだ笑みを深くした。
「しかし、私の【聖言】で無理やり奪い取った他者のスキルは、持って数時間というところ……。だからこそ、その時間が切れる前に是非! ……是非とも私に、エデンの大いなる力の一部を分け与えてくださいますでしょうか……!」
(なっ……、何言ってんだこのジジイ……! イリーナの【天啓】を奪ったから、俺の声が聞こえるようになっただと……!?)
「おお! そうですとも! 神様! ですから私に、世界を統べる神の力を……!」
ドレイクは完全に俺のことを『地球の神』か何かに勘違いし、恍惚の表情で鈴音に向かって跪いている。
(こ、こいつ……俺を神様と勘違いしてやがる。とんでもねえ勘違いだが……いや、待てよ? これ、上手くハメれば鈴音を解放させられるんじゃねえか……?)
俺は脳内で一つ呼吸を置き、システム音声をできる限り低く、威厳のあるトーンに変えて響かせた。
(……こ、コホン! あー……ジジイ、いや、お前! 名前は何という?)
「はいっ! 私はここルシアニアにて、大いなるエデンを信仰する女神教の総司教を務めております、ガリアーノ・ドレイクと申します! 我がドレイク一族は、碧い星エデンを何代にもわたって追い求めてきました。すべては今日この時、貴方様に出会うために他なりません!」
(そ、そうか。力か? 我がエデンの力が欲しいのだな?)
「そうです! 貴方様の持つ神の力を少しでもお貸しいただければ、このルシアニアの軍勢を以てルシア全土を掌握……! やがて世界全域をこの手中に収めることができるでしょう! そうすれば、全世界の愚民どもが貴方様を唯一神として崇めることになります!」
ドレイクは顔を真っ赤にし、熱弁を振るう。
(うーむ、そうだな。お前に力を与えてやるのは構わないが……その前に、私の隣にいるこの娘の拘束を解き、自由に動かせるようにしてくれないか?)
その言葉を聞いた瞬間、ドレイクの身体がピクッと不自然に反応した。
「……そこの娘を、ですか? 貴方様の神聖なる力さえあれば、私にはもうその娘など無用なはずですが……? なぜそこまでその娘に固執されるのです?」
ドレイクの目が、うっすらと猜疑心で細くなる。
(い、いやぁ……何と言ってもこの娘は、我が星エデンから直接連れてきた存在だからな。いわば、俺と同類、身内のようなものだ。だからこそ、この娘を解放しないと言うなら、お前に力は一切渡せないな!)
「……そうですか」
ドレイクはふっと視線を落とし、静かに下を向いた。
(お? 上手くいったか!? よし、このまま鈴音の身体を動かせるようにさえすれば、あとは鈴音のスキルでこのジジイをぶっ飛ばす方法を……)
「――そうして私を油断させ、その娘に私を倒させようとしても無駄ですよ、神様」
ドレイクがゆっくりと顔を上げた。
その表情は、先ほどまでの穏やかな老人のものでは決してなかった。血管を浮き上がらせ、目を血走らせた、まさに【般若】そのものの恐るべき形相だった。
「なっ……!?」
「私が【天啓】を得た最初の瞬間……貴方様と、その娘が激しく『会話(念話)』していた声が、私にもすべて聞こえていたのですよ? 私がそれを聞き逃していたとでもお思いですか?」
ドレイクは冷酷に言い放ち、鈴音を一瞥した。
「どうやら神様は、その使者の娘がとっても大事なようだ。そして……何らかの制約のせいで、貴方様自身は直接その『神の力』を行使できない状態にある……違いますか?」
(や、やべえ……っ! こいつ、老いぼれと舐めてたらクソほど頭が回りやがる……! 神の力ってなんだよ! そもそも俺はただの元サラリーマンだっつの!)
冷や汗が止まらない俺を他所に、ドレイクの顔は、再び何事もなかったかのように静かで穏やかな老人の仮面へと戻っていった。
「まあ、良いでしょう。貴方様が直接力を使えないのであれば、この使者の娘の身体を色々と『研究』し、弄くり回せば、神の力を引き出す方法が見つかるかもしれません。どうせ貴方たちは、私の【聖言】によって指一本動かせないのです。これからこの場所で、ゆっくりと時間をかけて調べ尽くしましょう」
『ちょっとおおおおお!!! 全然ダメじゃないですか詠太さん!! バレバレですよ!!』
念話の内容が完全に看破されていると知り、絶望した鈴音は我慢の限界とばかりに脳内で大絶叫した。
(すまねえ鈴音! 俺の神様演技じゃ無理だった!)
「ほうら、やはりそちらの娘も、心の中で神様と会話ができている。ふむふむ……貴方はやはり、本物の『使者』だ。そこの床に寝ている『偽物の聖女』とは格が違うというわけですね」
ドレイクは足元に倒れているイリーナを一瞥し、鼻で笑った。
(こいつ……! イリーナのことを偽物呼ばわりしやがって……!)
『絶対に許せません……! 私の身体が動きさえすれば、今すぐその顔面に拳を叩き込んでやるのに……っ!』
「なるほど、神様はそこの偽物ともすでに面識があるようですね。まあ、偽物とはいえ【天啓】のスキルだけは本物だった、ということでしょう」
ドレイクは懐から懐中時計を取り出し、時間を確認する。
「さて、時間がありませんから、一旦あなた方はここで大人しくしていてもらいましょう。私はこれから一度広場へ戻り、私の術を見た街の人々の記憶を【聖言】で消去してこなければなりませんのでね。……ああ、戻ってきたら、【天啓】の代わりにイリーナを私の人形で縛り、貴方様との『通訳』として利用させてもらいますよ」
ドレイクはそう言い残すと、再び床の昇降機を起動させ、一人で上層へと上がっていった。
暗い地下洞窟の遺跡には、微動だにできない鈴音と、意識を失ったままのイリーナだけが残された。
『どうしましょう詠太さん……! 一旦ドレイクは行っちゃいましたけど、これじゃあただの執行猶予というか、先延ばしになっただけですよね!?』
鈴音は動かない身体のまま、涙目で焦燥しきっている。
(……ああ、そうだな。ジジイが戻ってきたらマジで解剖コースだわ。……というか、お前さ)
『えっ? 何ですか? 何か一発逆転のすごい作戦でもあるんですか!?』
(いや……お前さ、自分の能力の【ショートカット】、完全に忘れてるだろ?)
『……え?』
鈴音の思考がピタリと停止した。
『あ、ああああああああっっっ!!!! 空間転移!!! なんでそれを早く言わないんですか!! それがあれば、こんな地下に連れてこられる前に逃げ出せたじゃないですか!!』
(いや、ごめん、俺もドレイクのチートスキルにビビりすぎて今の今まで完全に失念してたわ。すまん)
『もうーーーっ!! 詠太さんのアホーーー! ……じゃあ、ドレイクが戻る前に早速っ! ――【転移】!!!』
鈴音が心の中でスキル名を叫んだ瞬間。
彼女の身体の周囲の空間が一瞬だけ歪み、ガクン、と彼女の肉体が数センチメートルほど真横の座標へと強制的にスライドした。
(……どうだ!?)
「――ぷはっっっ!!! う、動ける!! 動けましたよ詠太さん!!!」
鈴音は自由になった両手を何度も握り締め、現実の声で嬉しそうに飛び跳ねた。
ドレイクの【聖言】による命令は、対象の肉体や魔力そのものを特定の座標へ「固定・拘束」するものだった。しかし、鈴音の【転移】は、肉体を動かすのではなく『存在している空間の座標そのものを強制的に上書きする』という、世界の理の外にあるユニークスキル。
空間ごと別の場所に移動したことで、ドレイクの絶対命令の呪縛は綺麗に破綻し、霧散したのだ。
(おおおっ! よし、やったな鈴音! だが喜んでる暇はねえぞ、急いで床に倒れてるイリーナを手当てするんだ! ジジイが街の奴らの記憶を消し終えて戻ってくる前に、ここからズラかるぞ!)
「はいっっっ!!!」
鈴音は大急ぎでイリーナの元へ駆け寄り、その小さな身体を抱え上げた。
こうして俺たちは、総司教ドレイクの完璧なる絶対拘束から、最大の盲点を突く形で間一髪、抜け出すことに成功したのだった。




