ぶつかったのは聖女サマ!?
マルドの街を後にしてから、さらに1週間ほどの旅路。
俺たちは、ヘインズと王都ルシアのちょうど中間地点に位置する、かなり巨大な街の威容を前方に見据えていた。
「あれが、問題の……」
鈴音が足を止め、アイリスから貰った手書きの地図を広げて呟く。
(ああ。別名『聖女の街』――ルシアニアだな)
超巨大王国家「ルシア」。それは、かつて女神ルシアが地上の混乱を収めるために、バラバラだった人間の小国を一つにまとめ上げて建国したという歴史を持つ。
それゆえに各都市が元・国家としての強い独自色を残しているのだが、このルシアニアは特に異質だった。
王都を統治する王家は「女神の血を引く直系」とされているが、このルシアニアには別の説がある。
――『女神は地上に降りてなどいない。実際に国を作ったのは、女神から知恵と力を授かった【初代聖女】である』と。
この聖女信仰の総本山こそが、ルシアニア。今でこそルシア王国の一部となっているが、街の連中は今でも「自分たちはルシアニアという独立国家だ」と本気で主張しているらしい。……すべて、旅の前にアイリスから叩き込まれた受け売りの知識だけどな。
「止まれ! ここより先は神聖なるルシアニアの土地である! 異邦の者は『入国料』として15000ベルを支払え!」
門に近づくと、全身を銀色の重厚な鎧で固めた、やたらと威圧感のある兵士が歩み寄ってきた。
(他は『通行料』なのに、わざわざ『入国料』って言い張るあたりねぇ……)
『完全に自分たちの街をひとつの国として主張してますね、詠太さん』
とはいえ、この辺の偏屈な事情はアイリスから事前に聞いていた。鈴音は下手に逆らわず、素直に財布から15000ベルを取り出して兵士に手渡した。
「……ふむ。確かに受け取った。聖女様のご加護があらんことを」
兵士が尊大な態度で頷くと、ゴゴゴと重苦しい音を立てて木製の巨大な城門が開かれた。
警戒しながら街の中へと足を踏み入れたが、意外にも、中の光景はヘインズやマルドとさほど変わらない普通の賑やかな街並みだった。
「へえ、なんか身構えてましたけど、中に入っちゃえば意外と普通ですね」
(だな。まあ、見渡す限り白い大理石で作られた教会っぽい尖塔や、聖女の彫刻がやたらと目につく気はするけどな)
「おっと、そこのお嬢さん。もしや冒険者の方ですかな?」
不意に、背後から非常に穏やかで上品な声がかけられた。
「え?」
鈴音が振り返ると、そこには立派な金刺繍の黒いローブをまとい、長く豊かな白い髭を生やした、いかにも高潔そうな老人が立っていた。その後ろには、白一色のローブを着た上品な男女が数人、直立不動で控えている。
「あ、初めまして! 私、しがない新米冒険者の者です〜。えへへ……」
鈴音は相手のただならぬオーラに圧されて、緊張混じりに愛想笑いを浮かべた。
「ようこそルシアニアへ。この街は初めてですかな?」
にこやかに微笑む老人。
「あ、そうなんです。王都へ行く途中で……。えと、失礼ですが、あなたは?」
「おっと、これは失礼。名乗りが遅れましたな。私はルシア教の総司教を務めております、【ガリアーノ・ドレイク】と申します」
ドレイクと名乗った老人は、丁寧に胸に手を当てて頭を下げた。
(なっ……、総司教!? ルシアニアはルシア教の総本山だ。ってことは、実質この街で一番偉いトップ中のトップじゃねえか!)
『えええ!? 詠太さん、じゃあ今のうちに全力で媚び売っとかないと、後で不敬罪とか言われたら大変ですよ!』
(お前、そういうところだけは本当にちゃっかりしてるな……)
「そ、総司教様!? じゃあ、この街で一番偉い人ってことですか!?」
鈴音のどストレートな質問に、ドレイクの後ろに控えていた白いローブの側近たちの眉が、ピクッと不快そうに跳ね上がった。
それを察したドレイクは、すっと優雅に片手を上げて側近たちを制し、柔和な笑みを崩さずに言葉を続けた。
「フォフォフォ、偉いというわけではありませんよ。この地においては、皆平等。偉大なるルシア様の御前では、我らなど等しくただの羊に過ぎません。……しかし」
ドレイクはそこで一度言葉を切り、少しだけ目を細めた。
「もし、この街に『格差』があるとすれば……唯一、ルシア様の代弁者たる【聖女様】だけは絶対の特別。それだけはお忘れなきよう。彼女に対するほんの小さな侮辱や不敬であっても、この街では『神への反逆罪』として重罪に処されてしまいますので、どうかお気をつけください」
「わ、わかりました! 絶対に気をつけます!」
「ほほほ、素直な良い子だ。では、私は儀式の準備がありますので、これで失礼いたします。――あー、そうだ。明日は我がルシアニアにおいて、初代聖女様が初めて天啓を受けた日を祝う『大聖祭』があります。非常に賑やかなお祭りですので、良ければ参加なされるといい」
ドレイクは満足そうに頷くと、白いローブの集団を引き連れて、静かに去っていった。
「な、なんか、お偉いさんの割には、すごく優しそうなおじいさんでしたね」
鈴音がホッと息を吐きながら呟く。
(そうか? 俺のサラリーマン時代の勘だと、ああいう『皆平等』とか言いながら笑顔を崩さない奴ほど、裏で何考えてるか分からなくて怖いんだよな。まあ、聖女への反逆罪云々言ってたけど、そもそも俺たちみたいな一般冒険者が、そんな雲の上の存在の聖女様に会うことすら一生ねえだろうし、心配いらん――)
「……あの、詠太さん? 自分でフラグを立てるの、本当にやめてもらえます?」
鈴音が不吉なものを見るようなジト目を向けてくる。
(いやいや、小説じゃあるまいし、そんな都合よくフラグが速攻で回収されるわけが――。……ん? あれ? おい鈴音、なんかあっちの大通りから、ものすごい勢いでこっちに突っ走ってきてる奴がいないか?)
「え? 本当ですね。なんですかあれ、暴走した牛ですか……?」
見ると、大通りの向こうから、凄まじい土煙を巻き上げながら【何か】が猛スピードでこちらへ直進してきていた。
「ちょっと、あれ、絶対に止まる気ないスピードなんですけど……!」
(だな。しかもここ、狭い路地の手前で左右に退路がねえ。……鈴音、短い付き合いだったけど、お疲れ様。来世でまた会おう)
「ちょっとおおおお! 何勝手に人生諦めてるんですか! ちょっと待って、本当にやば――うわぶふぉっっっ!?!?」
俺と頭の中で揉めるのに夢中になっていた鈴音は、回避のタイミングを完全に失い、正面から突っ込んできた【何か】と文字通り真っ正面から大激突した。
――ドゴォォォンッ!!!
凄まじい衝撃音と共に、鈴音の身体は横の露店に積まれていた空の木箱の山へと、派手に吹っ飛んで突っ込んでいった。
(おい! 鈴音!! しっかりしろ、無事か!?)
「……は、はい……。なん……とか、ステータス補正のおかげで…。骨とかは折れてないです……」
フラフラと頭を振りながら、木箱の破片の中から立ち上がる鈴音。
そして、その鈴音のすぐ目の前には、同じく激突の衝撃で目を回し、地面に大の字になってぶっ倒れている【青髪の少女】の姿があった。
少女は、なぜかドレイク総司教が着ていたのと同じような、上質な黒いローブを身にまとっている。
「こ、この人……大丈夫でしょうか。私が頑丈すぎて、死んじゃってないですよね……?」
(いや、たぶんこいつが時速100キロ近くで走ってきた張本人だろ……。自業自得とはいえ、完全に気絶してるな)
「ど、どうしましょう、詠太さん。とりあえず、起こして謝った方が……」
その時――。
「待てええええええええ!! そっちへ行ったぞ!!」
「絶対に逃がすな! 隅々まで叩き出せ!」
遠くの角から、何十人もの怒鳴り声と、激しい足音がこちらへ近づいてくるのが聞こえた。
「な、なんですかね、あの人たち! 鎧の音が聞こえますよ!?」
鈴音が慌てて周囲を見回す。
(分からん! けど、あいつらはこの倒れてる青髪の少女を追ってるみたいだぞ。俺たちはただの巻き添えだし、面倒に巻き込まれる前に一まず逃げるぞ!)
「ええっ!? ……いや、でも、この子をここに置いていったら、あの怖い人たちに捕まっちゃいますよね……? 駄目です! 私がぶつかっちゃったのも原因だし、この女の子も一緒に助けます!」
鈴音はそう言うと、気絶している少女の肩をガシッと掴んだ。
(あっ、おい! 馬鹿、早まるな――!)
「【転移】!!!!」
鈴音が叫んだ瞬間、二人の身体がカッと眩い光に包まれ――次の瞬間、視界が完全にブレて、景色が一瞬で切り替わった。
『……どこだ!? おかしい、確かに今、そこの木箱の裏から光が見えたはずだぞ!』
『チッ、煙に巻かれたか! 手分けして探せ!』
壁一枚を隔てたすぐ表の路地から、教会の兵士たちの焦った声が聞こえてくる。
俺たちは、転移スキルによって、元いた場所から数十メートルほど離れた、死角になっている別の薄暗い裏路地へと一瞬で移動していたのだ。
(はぁ……。おい、鈴音……。またそうやって、見過ごせないからって面倒事に首を突っ込みやがって……。もし指名手配にでもなったらどうするんだよ)
『ごめんなさい、詠太さん……。でも、なんだか放っておけなくて……』
鈴音が脳内で手を合わせながら、足元でうつむく少女を見つめる。
そんな押し問答をしていると、少女の長い睫毛がピクリと動き、うっすらと瞳が開いた。
「あれ……? ここ、は……?」
「あっ! 気が付きましたか!? 大丈夫ですか!?」
鈴音が顔を覗き込ませる。少女は鈴音の顔を見るなり、はっとしてガタガタと震えながら、蜘蛛の子を散らすように背後の壁まで飛び退いた。
「ひっ……! 許してください! 私はただ――あ、あれ?」
少女は自分の身なりと、鈴音のチャイナ服、そして周囲の静かな路地を見回し、ぽかんと口を開けた。
「ああ! いや、驚かせてすみません! 私は怪しい人じゃないです! 冒険者の鈴音って言います。えへへ……」
「怪しい人じゃ……ない? あ! ……ごめんなさいっ! ついつい、教会の追っ手かと思って身構えちゃいました……」
少女はホッと胸を撫でおろした。鈴音は、さっき激突したことと、兵士たちから隠れるために魔法でここまで移動したことを、かいつまんで説明した。
「――っ! 本当にごめんなさいっっ!!」
説明が終わるや否や、少女は路地の地面に額を擦り付けんばかりの、見事な「土座下」を敢行した。
「私の不注意で猛スピードでぶつかってしまった上に、そんな危険な目にお遭わせしてしまうなんて……!」
「ちょ、ちょっと! お願いですから顔を上げてください! 私は頑丈だから全然平気ですから!」
鈴音が慌てて少女の肩を持ち上げる。
「でも、本当にご迷惑をおかけしました。……助けていただき、ありがとうございます。私は、【イリーナ】と申します」
(イリーナ……? 待て、イリーナって、さっき……)
『あ、あれですよ詠太さん! さっきのドレイクっていう総司教が言ってた、現在の【聖女】と同じ名前……!』
(いやいや、まさか本物の聖女様が、時速100キロで大通りを爆走して一般人にラリアット喰らわせるわけが――。……でも待て、この子の着てる黒いローブ、ドレイクの着ていたローブと全く同じ仕立てだぞ……?)
「あ、あの……?」
黙り込んでフリーズしてしまった鈴音の顔を、イリーナが不安そうに覗き込んでくる。
「あっ! え、ええと、なんでもないです! それで、イリーナさん……。その、これ以上は言いにくいんですけど、さっきの教会の集団は一体……?」
「ああ、あれですか。大丈夫ですっ! あれは、明日のお祭りの退屈な儀式の準備がどうしても嫌で、神殿から脱走した私を、司教たちが必死に追いかけてるだけですから! あはは!」
イリーナは屈託のない、ひまわりのような笑顔で言い放った。
「お祭り……? ってことは、あなた、まさか……」
「あっ、自己紹介が遅れました! 私、ここルシアニアの現役の【聖女】なんです。……まあ、毎日お祈りばかりの退屈な仕事からはすぐ逃げ出すし、肝心の聖なる力も上手く使えない、教会お墨付きの『ポンコツ聖女』なんですけどね!」
イリーナはてへっ、と可愛らしく自分の頭を軽く叩いた。
(うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! 本物の聖女じゃねえか!!! フラグ回収の速度が光速を超えてるだろ!!)
『どうしましょう詠太さん!! これ、私たち、聖女様を誘拐した大罪人として、国家指名手配になっちゃいますか!?』
念話の中で大パニックを起こして完全に硬直している鈴音を見て、イリーナは優しく微笑んだ。
「あ、もし捕まっても、あなたのことは『私を暴走から止めてくれた恩人』って教会にちゃんと言いますから、心配しないでくださいね」
「え? あ、よかっ……じゃなかった! イリーナさんは、どうしてそんなに必死に逃げてたんですか? 聖女様なのに……」
「それは……」
イリーナの笑顔が、一瞬だけ、ひどく寂しげなものに曇った。
「……まあ、私も、あなたのような自由な冒険者みたいに、一度でいいから、自分の足で広い世界を歩いて、自由になってみたかっただけなんです。籠の中の鳥じゃなくてね」
「自由……」
鈴音はその言葉を、前世の自分と重ね合わせるように、小さく反芻した。
「あっ、変なこと言って気にしないでくださいね! 私には聖女っていう、みんなのための大事な仕事がありますから! ちゃんと戻ります!」
イリーナはすぐにいつもの明るい笑顔に戻ると、「じゃあ、ご迷惑をおかけしました! 私、行きますね!」と振り返り、再び走り出そうとした。
「イリーナさん!」
その背中に向けて、鈴音が思わず大きな声を投げかけた。
(……おい、鈴音。お前、まさか……)
『ごめんなさい、詠太さん。……でも、私のカンが、ここでこの子を行かせちゃダメだって言ってるんです』
鈴音はイリーナの背中に向かって、これ以上ないほど悪戯っぽく、そして最高に頼もしい笑顔を浮かべて言った。
「――ねえ、イリーナさん。もしよかったら、私と一緒に、少しだけ『家出』しませんか?」
「えっ……?」
振り返ったイリーナの青い瞳が、驚きと、そして心の底から溢れ出んばかりの歓喜の色で、大きく、大きく輝いた。
教会の追っ手を背後に感じながら、異世界転生カンフー少女とポンコツ聖女の、「逃避行」が幕を開けようとしていた。




