新たな旅立ち
「やあ、無事でよかったよ。娘から詳しいことは聞いているかな?」
魔法病院を退院した俺たちが、アイリスと共に案内されたのは、ヘインズ七世の広大な屋敷の一室だった。そこでデスクいっぱいの書類に追われながらも、笑顔で迎えてくれたのはアイリスの父、ヴォルフ・リンガルドだった。
「はい。私が気絶してからのことは、アイリスさんから全て聞きました」
鈴音がペコリと頭を下げる。
現在、臨時でヘインズの領主代行を務めているヴォルフは、前領主の残した山のような悪政を正すために、文字通り不眠不休で仕事に追われているらしかった。
「それでだ、まずは今回の護衛依頼の報酬の話なのだが……」
ヴォルフがペンを置き、真面目な顔で切り出す。
「え? 報酬ですか? 私、バトルの途中で気絶しちゃいましたし、そんなもらうわけには……」
恐縮する鈴音に、ヴォルフは「ははは!」と豪快に笑った。
「そんなことは気にしなくていい。実際、私の愛娘は傷一つなくここにいるのだ。しっかりと報酬は出そう。――今回の護衛依頼の報酬は、500万ベルで良いかね?」
「「ご、ごひゃくまんっ!!?」」
あまりの額の桁違いっぷりに、鈴音の絶叫と俺の脳内絶叫が完璧にシンクロした。
「……やはり、足りないかな? 本当はもうすこし出してあげたいんだが、これが今私が出せる限界でね。ヘインズの財政状況があまりにも悪すぎて、私のポケットマネーからも補填しないとこの街が破綻してしまうのだよ……」
ヴォルフが申し訳なさそうに眉を下げる。
「いやいやいや! 滅相もないです! めちゃくちゃ多くて、むしろ貰いすぎなくらいで……!」
鈴音は両手をブンブンと振ってパニックになっている。
(一回の依頼で500万ベルなんて……。おい鈴音、これ確実に元サラリーマンの俺の年収を超えてるんだが……!)
『ですよね……!? 異世界の相場が分からなすぎて、逆に怖いんですけど!』
(まあ、ヴォルフさんもアイリスもああ言ってるんだし、貰えるもんは貰っとけ!)
「いいんですわよ、鈴音。あなたはそれくらい命をかけて働いてくれましたわ」
アイリスも当然のように頷く。鈴音は少し考えると、むー、と小さく唸ってから、
「……わかりました。ありがとうございます、大切に使わせていただきます!」
と、ありがたく受け取ることにした。
「そして、次の話だが……アイリスからルシア国王との謁見のことは聞いているね?」
「あ、はい。アイリスさんと一緒に王都ルシアまで行くと聞いています」
「そのことなのだがね。――アイリス、お前は一度リンガルドに戻りなさい」
ヴォルフが静かに、しかし威厳のある声で告げた。
「えっ!?」
鈴音が驚くと同時に、アイリスも「そんな!? お父様、なぜ急にそんなことを!」とデスクに詰め寄った。
「……ここの状況は思った以上に悪い。私は当分、リンガルドの本拠地へ戻れなくなるだろう。だからこそアイリスよ、お前が代理としてリンガルドへ戻り、領主としての仕事をこなすのだ」
「そんな……。じゃあ、誰が鈴音を王都まで案内するのですか!?」
アイリスが焦ったように鈴音を見る。ヴォルフはすまなそうに視線を鈴音へと向けた。
「鈴音くんには本当に申し訳ないが、1人で王都ルシアまで向かってもらうことになる。もっとも、君ほどの圧倒的な実力があれば、道中の道程など余裕だろう」
「お父様! 鈴音は記憶を失っているのですわよ! 右も左も分からないのに……!」
猛抗議するアイリスの横で、鈴音はスッと背筋を伸ばした。
「――大丈夫です、アイリスさん。私、1人でルシアに向かいます」
「っ!? 鈴音、あなたまで何を……!」
アイリスが絶句する。
(おい鈴音、本当にいいのか? 1人旅だぞ?)
『この際、しょうがないですよ。知らない世界での旅は確かに怖いですけど、私、1人じゃないですし』
(ま、まあ、俺は頭の中で話し相手くらいにはなってやれるけどよ)
鈴音はアイリスの方を向くと、ニコッと安心させるような笑顔を浮かべた。
「アイリスさん。王都ルシアに行ったら、美味しいものとか可愛いお土産、いっぱい買って帰りますね!」
「…………」
アイリスは無言のまま、ゆっくりと鈴音の前に歩み寄った。
「アイリスさん……?」
――ガバッ!!!
いきなり、アイリスが鈴音の身体を強く抱きしめた。
(おっ、これは美しい友情のハグ……!)
『ちょ、ええええ!? アイリスさん!?』
「……鈴音。必ず、無事で戻ってきて……。約束よ」
耳元で、アイリスが消え入りそうな声で呟く。
(これはこれは……おじさん、ちょっと感動しちゃったぞ)
鈴音は少し照れくさそうにしながらも、嬉しそうに微笑んだ。
「――はいっ! 約束します!」
『……ちょっと詠太さん、頭の中でおじさん丸出しで野次馬するのやめてください、雰囲気台無しです!』
こうして、俺たちはアイリスと別れ、単独で王都ルシアへと向かうことになったのだった。
ヘインズから王都ルシアまでは、徒歩で約1ヶ月ほどの道のりらしい。
幸い、国王との謁見スケジュールにはかなり余裕を持たせてあるため、急ぐ必要はない。道中にある他の街や村を観光しつつ、気楽に行こうという話になった。
翌日、ヘインズの巨大な大門の前――。
「では、行ってきますね!」
大きな旅用リュックを背負った鈴音が、元気に手を振る。
「はい……。本当に、気をつけてくださいね」
見送りに来たアイリスは、いつもの覇気が嘘のように、少し寂しそうな顔で佇んでいた。
「大丈夫ですよ! 私、こう見えて『チート』ですから!」
鈴音が胸を張る。
「ちー……と?」
「そうです! 自分でもびっくりするくらい、とっても強いってことです!」
鈴音のおかしな言葉に、アイリスは一瞬きょとんとした後、ふっ、といつもの気品ある笑顔を取り戻した。
「ふふふ、わかったわ。ルシアでの謁見が終わったら、すぐにリンガルドにいらっしゃい。……良い旅を、鈴音」
「っ!! ……はい! 行ってきます!」
少し泣きそうになるのを堪えながら、鈴音は力強く頷いた。
こうして、俺たちのルシアを巡る異世界の旅が、本格的に幕を開けたのだった。
――その頃、ルシア王国の国境付近。
鬱蒼とした森の奥深くに佇む、今はもう誰も使っていない廃れた教会の中。
「……ゼノン。ヘインズはどうなった」
静まり返る廃教会の礼拝堂に、ボロボロのフードを深く被った人物の、しわがれた声が低く響いた。
「ダメね……。スラムに『それらしきもの』があるかと思って潜入したけれど、空振りだったわ」
天井の梁の陰から、不意に、あの黒髪の転生者――ゼノンの声がどこからともなく返ってくる。
「……そうか。『何も』なかったのだな?」
フードの男が確認するように呟く。
「ええ、何一つ。……じゃあ、私はもうここに用はないから、次の街へ行くわよ」
気配が、風のように窓の外へと消えていく。
残されたフードの男は、しばらく沈黙した後、暗闇に向かって冷酷に命じた。
「……シノン、カノンよ。ゼノンを監視しろ。あの女、何かを隠している」
影の中から、二つの低い声が重なった。
「――はっ」
「――わかった」
男は、天井の割れた隙間から差し込む、冷たい月を見つめながらぽつりと言った。
「……すべては。すべては、我らが望郷の、あの【碧い星】のために」
忙しくて全然更新できない




