第三十六話 新撰組総長
「山南先生のようなお方が、新撰組にいらっしゃるとは思いませんでした」
「私の方こそ、伊東先生のようなお方が組に加わってくださるのは、頼もしい限りです。
……しかし、なぜ?あなたはなぜ新撰組に?」
これは、山南が以前から疑問に思っていることだった。
――これだけ優秀な人が、なぜ。なぜ新撰組に来たのか。
「……それについてですが、山南先生」
伊東の表情が変わった。山南は彼が何を言い出すのか、一言たりとも聞き逃してはならないというように、伊東の目を見つめた。
「私は尽忠報国の志のため、門弟の藤堂に誘われ新撰組へ参りました。
しかし、」
伊東はそこで大きく息を吸った。
「正直に申しますと、私が想像していた新撰組とはかけ離れているものでした。組の内部は佐幕で統一されており、攘夷を叫ぶ志士であっても、長州であれば迷わず斬る」
伊東は目を見開いている山南を気にもせず、話を続ける。
「それに、時代が大きく変わろうとしている中で、新撰組では内部の争いに必死になっている。局中法度という恐怖で隊士たちを締め上げる」
伊東は言い切ると、山南に向き直った。
「私はこの日本という国に尽くすために、限られた人生を使いたいのです。しかし、新撰組ではそれは叶わない」
「……伊東先生、」
「あなたもそうではありませんか。山南先生」
伊東にそう問われて、山南は思わず言葉を失った。
「山南先生。あなたほどのお方が、このまま新撰組で埋もれてしまうのは惜しい」
「……しかし、新撰組から抜けることはできません。脱走に当たります」
「そうですね」
伊東はそれだけ返すと、小さく苦笑いを零した。
「ですから、新撰組は内部から変えるしかない」
――嫌な予感がした。山南は、この先を聞きたくなかった。
「……そのためには、近藤先生にご退場いただくしかない」
ついに、伊東は言ってしまった。
「な、何を……馬鹿なことを……」
山南は何か言い返そうと口を動かしたが、あまりの衝撃に言葉が上手くまとまらなかった。
「私も近藤先生が憎いわけじゃない。彼にも考えがあるでしょうし、何より――ここまで新撰組を引っ張ってきたお人です」
伊東はそう続けると、静かに目を伏せた。
「しかし、新撰組を変えるには、もうそれしか道は残されていないのです。
山南先生……あなたにもご協力を願いたい」
「私に近藤先生を裏切れと言うのか!!」
山南はついに大声を出して立ち上がった。いつも温厚な彼にしては珍しく、激しい口調だった。
「私は近藤先生を信じ、浪士組から今までやってきたのです。私にとって近藤先生は、人生の師とも呼べる存在だ。
……あなたには悪いですが、このことは報告させていただきます」
山南が部屋を出ようと、伊東に背中を見せた時だった。
「それでも構いません」
伊東の声に、山南は襖にかけた手を止めた。
「あなたがそうすべきだと思うのなら、私は止めません。……だがこれだけは言わせてほしい」
山南の背後から、伊東が立ち上がる音がした。山南は思わず肩を揺らした。
「あなたは本当に、新撰組が今のままでもよいと思っていますか」
山南は振り返ることができなかった。
「山南先生。あなただから打ち明けたのです。
あなたと、二人で新しい新撰組を作りたかった」
山南は最後まで振り返ることができなかった。
――こんな顔を、伊東に見せる訳にはいかなかった。
「……そんなことが」
林太郎は思わず言葉を失った。伊東が、そんなことまで考えていたとは。
「結局、近藤先生にも、誰にもこのことは言えませんでした。そして、伊東先生にも答えを出さぬまま」
山南は林太郎の揺れる瞳を見つめた。
「私は、逃げたのです。決断することができない、自分の弱さから逃げた」
山南は眉を下げて小さく微笑んだが、その瞳には諦めの色が浮かんでいた。
「脱走以前の問題です。私は武士とも呼べぬような、卑怯な道を選んだ。……腹を切る覚悟は、屯所を出た時から決めていました」
「何を……」
「林太郎。君には、辛い役目を負わせてしまった。しかし、気に病むことはない。君は新撰組の一員として、正しい行いを」
「山南先生」
遮った林太郎の声はハッキリとしていた。
「……林太郎?」
「俺は許さない」
空気が、世界が止まった気がした。山南は思わず顔を上げた。
「あなたが逃げるなんて、俺は断じて許さない」
「……ですから、今から屯所へ戻って」
「たしかに、他の連中は腹を切ることであなたの覚悟を認めるかもしれない。しかし、俺は許せない。
――あなたが死という最終手段に逃げることを」
「……は、何を言って……」
山南は思わず言葉を失った。
「山南先生」
もう一度その名を呼んだ林太郎は、山南の両肩を掴み無理やり目を合わせた。
「あんたが死んで逃げるなんて、俺が許さない!」
林太郎の声は大きかったが、わずかに震えがあった。
「……だったら、私はどうしたらいいのです!腹を切る以外に、責任の取り方なんて」
山南の精神はもう十分追い詰められていた。そこに林太郎からの追撃もあり、瞳には涙が滲み始めていた。
「生きて、その方法を考えればいい」
林太郎のその言葉に、山南の瞳が大きく揺れた。
「しかし、そんなことをしたら君が……」
「山南先生、あなたは何もわかってないな」
林太郎は山南の両肩からゆっくりと手を離し、距離を取った。
「先生を本当に連れ戻す気なら、追手を一人だけに任せるはずがない」
「……そんな、まさか」
「近藤先生も、トシも総司も……。皆、あなたに死んでほしくないと思っている」
林太郎はついにそう言い切った。迷いのない声だった。
「そうは言っても……」
それでも山南はなかなか引き下がらない。
――どうしてそこまで腹を切りたがるのか。
林太郎は思わず眉をひそめたが、話を続けた。
「山南先生。あなたは江戸に行って、新徴組を頼ってください。兵助には話を通してある」
「兵助とは、もしや……」
「試衛館の馬場兵助です。あなたも覚えているでしょう」
林太郎が新撰組へ行くことになっても――馬場兵助が新徴組に向かうのは変わらなかった。
そして、兵助もまた、試衛館の門人だった。山南との面識ももちろんある。
「新徴組は、新撰組と違って厳しい隊律もない。それに、庄内藩と会津藩です。表立って対立することはまずない」
庄内藩も会津藩も、強固な佐幕派である。後に会庄同盟も結ぶことになる――
たかが隊士一人の出入りだけでは、争いに発展することもない。林太郎はそう読んだのだった。
「一旦新徴組に身を寄せ、後のことはその後に考えればいい。もちろん、隊を抜けたら切腹なんて規律も向こうにはありません」
「……」
山南は林太郎の用意周到さに思わず黙り込んだ。この男は、いつからこんなことを考えていたのだろうかと――。
「林太郎。君が手を尽くしてくれたのは痛いほどわかった。しかし、やはり私は江戸に行くことはできない」
山南はもう一度、林太郎の目をじっと見つめた。
「私はこれ以上逃げたくないのです」
「……勘違いするな」
ここまで言っても、まだ腹を切ろうとする。林太郎の声は苛立ちを隠せないでいた。
「あんたのためじゃない。……総司のためだ」
「……総司?」
「俺はあんたが腹を切ろうがどうでもいい。
しかし、総司は悲しむだろう」
「……」
山南はそう言い切った林太郎の顔を見つめていたが、やがて笑いが込み上げてきた。
「はは、やはり――君は変わってしまった、と私は思っていたが」
山南はひとしきり笑い切ると、再び口を開いた。
「嘘が下手なのは、今も昔も変わらないままだ」
山南は場に似合わないような、悪戯っぽい笑みをこぼした。
(嘘が下手……)
その言葉に、山南と過ごした日々が林太郎の脳裏を駆け巡った。
思わず空を見上げると、何羽もの鳥が何にも縛られることなく自由に羽ばたいている。
「……わかりました。江戸に向かいましょう」
「……!」
「林太郎。君がここまでしてくれたこと、生涯忘れません。生きて、また会える日が来たのなら――必ず恩返しをさせてください」
山南はそう言って、林太郎に深く頭を下げた。
「……早く、行ってください」
散々山南に向かって強い言葉を投げてきた林太郎は、今更優しい言葉など口に出せるはずもなく。ぶっきらぼうにそう言った。
「そうだ、林太郎。もう一つ、言っておきたいことが」
荷物をまとめ始めた山南が、ふと思い出したように林太郎の方を振り返った。
「あの時――池田屋の時。私を信じて、頼ってくれてありがとう。君のその行動が、私はどうしようもなく嬉しかった」
それが、新撰組の山南敬助の最後の言葉だった。




