第一話 再び、文久三年
うんざりするような暑さの日だった。
一人の男が墓場を歩いていた。
男は初老に差し掛かっていた。天然理心流の免許を持ち、かつては新徴組小頭の一人として戊辰戦争を戦い抜いた男であったが、今は見る影もない。
「総司、今年も来たぞ」
男は墓石の前で足を止めると、そう独りごちゆっくりと腰をかけた。
「そうか…お前が死んで、もう十五年経つ」
墓石に刻まれた数字を指でなぞり、男はまた呟く。
男の名は沖田林太郎。
あの新撰組の一番隊隊長を務めた天才剣士、沖田総司の実の兄であった。
「そっちで、先生は元気にしているか」
そう林太郎が問いかけても、もちろん返答はない。
先生とは、やはり新撰組局長の近藤勇のことである。
総司が誰よりも慕い、その背中を追い続けた男であった。
また林太郎にとっても、試衛館で少年の頃から共に剣を振り続けてきた師であり仲間だった。
「父上」
林太郎がじりじりと照りつける陽光に額の汗を拭うと、背後から彼を呼び止める声がする。
「父上は本当に叔父上がお好きですね」
「ふふ、素敵な人だったもの」
「もう何度も聞きましたよ、皆そう言いますから」
林太郎の妻のみつと、息子の芳次郎だ。芳次郎も幼い頃には総司によく可愛がられていた。しかし当時の芳次郎はまだ幼く、その記憶も今では朧気なものになっていた。
芳次郎は呆れなような顔をしてそう言う。
「まあ、そうだな」
風貌も、天才的な剣技も、総司に一番似ているのはこの芳次郎なのだが。皮肉めいた笑いが林太郎の口から漏れた。
幸せな日々だ。
妻がいて、息子がいて、かつてのような激しい戦いも今はもうない。これ以上ない幸福な老後のはずだった。
(総司……)
しかし林太郎の顔は晴れない。弟を失ったのだ。
まだ若かった。これからだった。
弟も自分のように、家族を持ち幸せに暮らせるはずだった。
総司は病を患っていた。それなのに、数々の激戦の末に病を拗らせたった一人で死んでいったのだ。
林太郎も、近藤も、誰も彼を看取れなかった。
どんなに苦しくて、辛くて、寂しかっただろうか―
総司の死から十五年が経った今でも、林太郎の後悔は絶えない。
「林太郎さん?どうかされました?顔色が悪いですよ」
あまりの暑さに、視界がくらくらとしてきた。林太郎はその場に倒れ込む。
「……父上?父上!!」
「林太郎さん!しっかりして!」
あぁ、俺は死ぬのか。林太郎は倒れ込んだまま、きわめて冷静な頭でそう感じた。
これでも幾千の死線をくぐり抜けてきたのだ。自分が死ぬ時くらい自分でわかる。
「総司……」
愛する妻と、息子が傍にいて。それなのに、最期に出てくる言葉が弟の名前とは……俺はなんと非情な男だろうか。
ぷつん、と林太郎の意識が途切れた。
「……さん?……兄さん!兄さんってば!」
は、と林太郎の意識が覚醒する。
目の前には―
「総、司……?」
林太郎は信じられないものを見たかのような顔で、もう一度瞬きをした。
林太郎が見間違うはずもない。目の前にいるのは、間違いなく――弟の総司だった。
「やっと気づいた。どうしたの?兄さん。なんだか抜け殻みたいになってたよ」
総司が不思議そうに林太郎の顔を覗き込んだ。
「おい林太郎、何ボーッとしてんだよ」
「まあまあ土方さん、林太郎は体調が優れないのかもしれないし」
(……トシに、山南さん)
土方歳三も、山南敬助も、とっくの昔に死んだはずだった。
しかし、今はどういうことだろうか。二人とも、まだ生きていた――
「大丈夫か、林太郎」
林太郎はその声を聞いて息を呑んだ。
振り返れば、そこにいる。そうわかっていても、身体が言うことを聞かなかった。
「……近藤先生」
「おう。どうした林太郎」
近藤は何気なく笑って返事をした。
その笑顔を見た瞬間、林太郎は胸の奥が熱くなるのを感じた。
――俺の遠い記憶と、何も変わっていない。
「……それで、本当なのか。お前は江戸へ戻ると言うのは」
林太郎はその言葉を聞いて、一気に現実に引き戻される心地がした。
この問いを聞くのは、初めてではなかった。
「やっぱり一緒にここに残ろうよ~。兄さんが家族を大事に思ってるのもわかるけどさ。絶対こっちの方が楽しいよ!」
「清河の思い通りにはさせねえ。俺たちで新しい浪士組を結成する。なぁ近藤さん」
「あぁ。俺たちは上様をお守りするために集められた。それを曲げることはできない」
近藤の声に迷いはなかった。
それを聞いていた永倉や原田らも、覚悟を決めたように深く頷く。
「林太郎。お前も一緒に来てくれないか」
※史実では、沖田林太郎は沖田総司の義兄ですが、ここでは実兄という設定にしています。




