終わりにしたいなら
次の日、美月から連絡は来なかった。
俺も送らなかった。
送れるわけがなかった。
あんな終わり方をして、何を言えばいいのか分からない。
講義中も、移動中も、風呂に入ってるときも、ずっと昨日の通話が頭から離れなかった。
『……うん』
たった一言。
それだけで、人ってこんなに壊れるんだなと思った。
食欲もなかった。
コンビニで適当に買ったパンを半分食って、そのまま放置する。
部屋も暗いまま。
ベッドに寝転がって天井を見ていると、時間の感覚がおかしくなる。
何もしてないのに、妙に疲れていた。
スマホが震える。
反射的に身体が動く。
でも画面を見た瞬間、少しだけ落胆した。
友人からだった。
――最近どうした?顔死んでるぞ
既読だけつけて閉じる。
説明できる気がしなかった。
そもそも、自分でもまだ整理できてない。
浮気された。
たぶん。
別れ話された。
たぶん。
でも、美月の最後の声がどうしても引っかかっていた。
“好きな人ができた”って言う人間の声じゃなかった。
無理やり言わせてるみたいな、そんな声だった。
考えるのをやめたいのに、頭が勝手に繋げようとする。
夜の男の声。
大学で一緒にいた男。
電話越しの沈黙。
泣きそうな声。
全部が噛み合いそうで、噛み合わない。
「……なんなんだよ」
小さく呟く。
そのとき、インターホンが鳴った。
一瞬で心臓が跳ねる。
こんな時間に誰だよ、と思いながら立ち上がる。
玄関を開ける。
そこにいたのは、美月だった。
息が止まる。
黒いパーカーに、少し大きめのマスク。
髪もちゃんと乾いてなくて、急いで来たのが分かった。
でも一番目についたのは、目だった。
赤かった。
泣いたあとみたいに。
「……何」
声が自然と硬くなる。
美月が少し俯く。
「ちょっとだけ、話したくて」
「電話で十分だろ」
「……顔見て言いたかってん」
その言葉に、胸が少し痛む。
でも、簡単に優しくしたら駄目な気がした。
「で?」
美月が黙る。
寒い風が廊下を抜ける。
沈黙が長かった。
前なら、その沈黙すら落ち着いたのに。
今はただ苦しい。
「……入れば」
自分でも驚くくらい、自然に言葉が出た。
美月が少し目を見開く。
「ええの」
「ここで話すの嫌だから」
それだけ言って部屋に戻る。
後ろで小さく「お邪魔します」と聞こえた。
聞き慣れた声なのに、妙に遠かった。
美月は部屋に入っても、なかなか座らなかった。
落ち着かないみたいに立ったまま視線を泳がせている。
付き合って一年以上になるのに、そんな態度初めてだった。
「座れば」
そう言うと、ゆっくりソファに腰を下ろす。
少し距離を空けて。
それが地味にきつかった。
前なら当たり前みたいに隣に来てたのに。
沈黙。
時計の音だけが聞こえる。
耐えきれなくなって、先に口を開いた。
「……で、何」
美月が膝の上で指を握る。
小さく震えていた。
「昨日は、ごめん」
「もう聞いた」
「ちゃんと話したかってん」
「じゃあ話せよ」
少し強めに言ってしまう。
美月がびくっと肩を揺らした。
そんな反応するくらいなら、なんでこんなことしたんだよ。
胸の奥がぐちゃぐちゃになる。
「……あの人とは、悠真が思ってるような感じちゃう」
呼吸が止まりそうになる。
「じゃあどういう感じ」
美月がまた黙る。
それを見た瞬間、苛立ちが込み上げる。
「だから何で黙るんだよ」
「……言われへん」
「は?」
「ごめん」
またそれだった。
謝って、黙って、何も言わない。
そればっかり。
「俺さ」
声が低くなる。
「ずっとお前のこと信じようとしてたんだよ」
美月が俯く。
「でもお前、何も言わないじゃん」
「……」
「俺だけ何も知らないまま、お前だけ勝手に終わろうとしてる」
そこまで言って、息を吐く。
感情を抑えきれない。
「なあ美月」
名前を呼ぶ。
美月の肩が小さく揺れる。
「終わりにしたいなら、ちゃんと言えよ」
声が掠れる。
「俺のこと嫌いになったって」
「……っ」
「好きなやつできたって」
「……違」
反射みたいに、美月が顔を上げる。
でも次の瞬間、言葉を止めた。
今、“違う”って言いかけた。
確かに。
「今、違うって言った?」
美月の顔が青くなる。
「……」
「なあ」
心臓がうるさい。
期待したくないのに、してしまう。
「何隠してんの」
美月の唇が震える。
泣きそうな顔だった。
でもその目は、今まで見たどんな顔より苦しそうだった。
「……悠真には、関係ないから」
その瞬間、頭に血が上った。
「関係ないわけねえだろ!」
美月がびくっと身体を縮める。
でも止まれなかった。
「恋人だろ俺ら!」
声が部屋に響く。
息が荒い。
美月は何も言わない。
ただ、泣きそうな顔で俯いてる。
「なんで一人で決めんだよ……」
怒鳴りたかったわけじゃない。
本当は。
ただ、置いていかれるのが怖かった。
知らないところで勝手に終わらされるのが。
耐えられなかった。
長い沈黙のあと、美月が小さく呟く。
「……優しいからやん」
「は?」
「悠真、優しいから」
声が震えていた。
「知ったら、絶対うちから離れへんやん……」
その言葉だけが、やけに耳に残った。




