第一話 帰ってきた島
羽田空港第二ターミナル。
午前七時四十分。
出発ロビーの大型モニターには、
「八丈島 定刻」
と表示されていた。
「……最後に乗ったの、何年前だっけ。」
山田春人は、搭乗券を指で挟んだまま苦笑した。
二十五歳。
都内のゲーム会社に勤める、ごく普通の会社員。
学生時代からゲーム漬けの人生だった。
RPGなら攻略本を作れる。
推理ゲームは発売日当日に真犯人を当てる。
恋愛ゲームは全ルート制覇。
ホラーゲームは怖くない。
「現実もゲームみたいにルールが分かれば楽なのにな。」
それが口癖だった。
昨日までなら。
スマートフォンが震える。
『本日、父・山田健一様の葬儀は午後一時より――』
その文字を見て、胸の奥が少しだけ痛んだ。
父が死んだ。
心筋梗塞。
享年五十八歳。
会社のデスクで訃報を聞いたときも、どこか現実味がなかった。
「ゲームだったらさ。」
誰に言うでもなく呟く。
「ここでイベントムービーが流れるんだよ。」
もちろん流れない。
搭乗開始のアナウンスだけが響いた。
飛行機は三十分ほどで海の上へ出た。
窓の外は青一色。
その中に、小さな島影が浮かぶ。
「八丈島か……。」
高校卒業以来、一度も帰っていない。
東京に出て、就職して、それなりに忙しかった。
父とも年に数回しか話していない。
最後の電話は一か月前。
『元気か。』
『忙しい。』
『そうか。』
たった三分。
その会話が最後になった。
「もっと話せばよかったな。」
春人は目を閉じた。
八丈島空港は昔と変わらない匂いがした。
潮風。
湿った土。
少し甘い植物の香り。
「春人!」
母、美咲が手を振っていた。
「ああ。」
「久しぶり。」
「……そうね。」
ぎこちない。
母も春人も、何を話していいか分からなかった。
車に乗り込む。
道路の左右には、見慣れた椰子やガジュマル、濃い緑が流れていく。
「島、変わらないね。」
「少しずつ変わってるわ。」
「そう。」
会話は続かない。
ゲームなら、ここで選択肢が出る。
▶ 父のことを聞く
▶ 母を気遣う
▶ 景色の話をする
現実には選択肢なんて表示されない。
沈黙だけが車内を満たした。
家に着くと、仏間には父の遺影が置かれていた。
写真の父は笑っている。
「……ただいま。」
返事はない。
線香を一本立てる。
煙がゆっくり天井へ昇る。
春人は遺影を見つめた。
「親父。」
「なんで死んだんだよ。」
心筋梗塞。
医者がそう言った。
それ以上でもそれ以下でもない。
そのはずだった。
玄関の戸が開く音がした。
「失礼します。」
入ってきたのは五十代くらいの男だった。
背広姿。
日に焼けた顔。
父によく似た目元。
「久しぶりだな、春人。」
「……叔父さん。」
父の弟、黒川恒一。
子どもの頃から島役場で働き、今では地域でも有力者として知られている。
彼は穏やかな笑みを浮かべ、春人の肩を軽く叩いた。
「兄貴も、お前が帰ってきて喜んでるよ。」
その手の温もりに、春人はなぜか違和感を覚えた。
理由は分からない。
ただ、ゲームをやり込んできた勘が、心のどこかで囁く。
「この人物は重要NPCだ。」
だが、その勘がどれほど当てにならないものか、春人はまだ知らなかった。
その夜。
葬儀の準備で疲れ切った春人は、仏間の隣の和室に布団を敷いて眠りにつく。
夜更け。
カタン――。
どこかで、木が軋むような音がした。
「風か……。」
そう思って寝返りを打った、そのときだった。
襖の向こうに、人影が立っている。
逆光で顔は見えない。
しかし、その輪郭だけは見間違えようがなかった。
亡くなったはずの父、山田健一だった。
春人の全身から、一瞬で眠気が吹き飛んだ。
(第一話・了)




