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第86話 覚醒ライブ ― 第二夜 ―

第二夜のステージが始まります。


ルミエールたちは、舞台袖からノアールとレンを見守っていました。

第二夜。


会場の熱気は、前の夜よりも強かった。


観客は、昨日よりさらに高い期待を抱いている。


桜色のステージ。


映画の世界をそのまま映したような光。


その奥にあるものを、ほとんどの人は知らない。


ルミエールは舞台袖に立っていた。


隣には、ブランシュがいる。


反対側の舞台袖には、ショコラとソレイユ。


四人の手には、それぞれ一本ずつ杖があった。


まだ、何も始まっていない。


けれどルミエールには分かっていた。


今夜、もう一度あの闇は動く。


ノアールとレンの声が重なった時。


あの日から残っていた黒い影と欠片が、もう一度呼び合う。


ルミエールは、杖を握る手に力を込めた。


客席の歓声が大きくなる。


照明が落ちる。


ステージ中央に、ノアールとレンが立った。


音が始まる。


黒と紫の光が、足元から広がっていく。


観客席から歓声が上がった。


「やばい!」


「今日も演出すごい!」


誰も疑っていない。


それが本当に、ステージの演出だけだと思っている。


ノアールが歌い出す。


低く、甘く、闇の奥へ沈むような声。


レンの声が重なる。


昨日よりも深い。


逃がさないように。


引き寄せるように。


二人の足元に、黒と紫の紋様が浮かび上がった。


鋭い線。


冷たい幾何学。


ノアールの影と、レンの足元に残っていた欠片が、呼び合うように揺れる。


ルミエールは息を止めた。


「……来ました」


ブランシュが、わずかに杖を持ち直す。


ステージの上で、ノアールがレンへ視線を向けた。


その瞬間。


ノアールの瞳が、ほんの一瞬だけ赤く染まった。


観客席の最前列で、海斗の体が固まる。


凛の視線が鋭くなる。


レンも気づいている。


けれど歌は止まらない。


止められない。


二人の声は、黒と紫の光の中で絡み合っていく。


昨日よりも危うい。


昨日よりも近い。


巨大LEDが反応するように、闇色の波を広げていく。


プロジェクションが天井まで走った。


観客はさらに叫ぶ。


「神演出!」


「鳥肌立つ!」


誰も知らない。


今、ステージの上で本当に何が起きているのかを。


ルミエールは、静かに息を吸った。


舞台袖の音に紛れるように、客席には届かない低い声で詠唱を始める。


Umbra ad lucem.


Alba memoria.


Sol verus.


Redde veritas.


声に出しているのは、ルミエールだけだった。


けれど、ブランシュも、ショコラも、ソレイユも、心の中で同じ言葉を唱えていた。


四本の杖の先に、白金の光が灯る。


その光は、ルミエールの詠唱に合わせるように重なり合っていく。


四人の力が、一本の流れになった。


白金の光は、細い線となってステージの床へ伸びる。


ノアールとレンの足元に浮かぶ、黒と紫の紋様へ向かって。


黒い紋様の上に、白金の円陣が静かに重なった。


観客には、それも演出に見えていた。


黒と紫のステージが、白金の光へ変わっていく。


桜の世界へ戻っていくための、華やかな演出。


そう見えているはずだった。


けれどルミエールには分かっていた。


これは映像ではない。


あの日から残っていた闇を、光へ戻すための術式だった。


押さえ込まない。


塗りつぶさない。


ただ、満たしていく。


ノアールの足元で、黒い紋様がほどけるように薄れていく。


レンの足元にあった小さな影も、白金の光に包まれた。


ノアールの赤く染まっていた瞳が、ゆっくりと本来の色へ戻る。


ルミエールは、息を殺して見つめていた。


まだ終わっていない。


ここで崩れたら、ノアールは歌い切れない。


レンの声が伸びる。


ノアールの声が、その奥に重なった。


今度は、闇に引きずられる声ではなかった。


二人の声は、深く重なっていた。


その瞬間。


天井から、桜の花びらが舞い落ちた。


本物の花びらだった。


金色の光を受けて、星屑のように降り注ぐ。


観客は総立ちになる。


拍手。


歓声。


叫び声。


ノアールは最後まで歌い切った。


最後の音が消える。


照明がゆっくり落ちる。


歓声だけが、遠く響いていた。


ステージ裏へ戻ってきたノアールの顔は、もうステージの上の顔ではなかった。


ルミエールは、声をかけようとした。


「ノアール……」


けれどノアールは、目を合わせなかった。


ルミエールにも。


ブランシュにも。


ショコラにも。


ソレイユにも。


何も言わず、ただ通り過ぎようとする。


その先に、海斗がいた。


レンがいた。


凛がいた。


ノアールの足が止まる。


「……ごめんなさい」


それだけを絞り出すと、ノアールは走り出した。


ヒールの音が、廊下に響く。


振り返らない。


誰も、すぐには追えなかった。


ソレイユは、ノアールが走っていった方を見つめていた。


「ノアール……」


すぐにでも追いかけたい顔をしている。


ルミエールは、何も言わずにブランシュを見る。


ブランシュも、小さくうなずいた。


これから話すことは、ソレイユには少し重すぎる。


ノアールの過去。


レンの想い。


海斗と凛のこと。


今のソレイユに、聞かせるべきではない。


ショコラが、そっとソレイユの肩に手を置いた。


「ソレイユ、今日は私のマンションに泊まらない?」


「え……?」


「ちょうどね、私が作ったスイーツがあるの。それを一緒に食べましょう」


ショコラの声はやわらかかった。


ソレイユは迷うようにルミエールを見る。


ルミエールは静かにうなずいた。


「大丈夫です。ここは私が残ります」


「……分かりました」


ソレイユはまだ不安そうだったが、ショコラに促されるように、その場を離れていった。


ブランシュは、ソレイユとショコラの背中を見送ってから、ルミエールの隣に残った。


廊下には、ルミエールとブランシュ。


そして、レンと海斗と凛だけが残った。


しばらく、誰も口を開かなかった。


さっきまで響いていた歓声が、嘘のように遠い。


ブランシュが、先に静かに頭を下げた。


「レン君、海斗君、凛さん。ノアールが迷惑をかけたようで、ごめんなさいね」


レンが顔を上げる。


「ブランシュさんが謝ることじゃないです」


海斗も、すぐに首を振った。


「俺にも責任があります」


凛は、何も言わなかった。


ブランシュは静かに息を吐く。


「私は、ノアールの中に闇があることには気づいていたわ」


その言葉に、三人がブランシュを見る。


「でも、それでノアールが皆さんにご迷惑をかけていたとは知らなかったの」


ブランシュは、海斗へ視線を向けた。


「撮影所でノアールと海斗さんを見かけた時も、私は役に入っているのだと思っていたわ」


海斗は何も言えなかった。


「でも、ルミエールはおかしいと気づいていたのよね」


ブランシュの視線が、ルミエールへ向く。


ルミエールは小さくうなずいた。


「はい。撮影所で見かけた時、ノアールと海斗さんの距離が少し近すぎるように感じました」


ルミエールは、海斗を見る。


「それに、そのあと少し離れて歩いていたレンさんと凛さんの様子も、普通には見えませんでした」


レンも凛も、何も言わなかった。


「あの時は、ただ気まずい場面を見てしまっただけかもしれないと思いました。でも、ずっと引っかかっていました」


ルミエールは、少し迷ってから続けた。


「そのあと、同じ事務所のアンナさんから話を聞きました」


空気が、静かに張りつめる。


「私からは、とても言いにくいことです。でも、確認させてください」


ルミエールは、凛を見る。


「アンナさんは、ノアールがレンさんに手を出して、海斗さんにも手を出して、凛さんが怒っていると言っていました」


レンも、海斗も、凛も黙っていた。


ルミエールは声を落とした。


「この噂は、本当なんですか?」


凛はすぐには答えなかった。


しばらくして、小さく息を吐く。


「全部が全部、本当ではないわ」


凛の声は低かった。


「でも、本当な部分もある」


海斗が、顔を伏せる。


凛は続けた。


「私は怒っていた。ノアールが海斗に近づいているように見えたから」


そこで一度、言葉が止まる。


「でも、今なら分かる。あれは、ノアールが全部わざとやっていたわけじゃない」


海斗は、しばらく黙っていた。


そして、伏せていた顔を上げる。


「俺も悪かった」


短い言葉だった。


「久しぶりにノアールに会って……向こうから近づいてきてくれたのが、正直うれしかった」


凛の指先が、かすかに動く。


海斗は続けた。


「ノアールと俺が共演したドラマでは、恋人みたいな役だった。その延長で、距離が近くなった」


ルミエールは、何も言わずに聞いていた。


「でも、それは言い訳にならない」


海斗は、ようやく凛を見た。


「凛がいるのに、俺はノアールを連れて帰った」


凛が、息を止めた。


「ただ距離が近かっただけじゃない。連れて帰って、一線を越えた」


海斗は、凛から逃げなかった。


「凛、ごめん」


凛はすぐには答えなかった。


レンの表情も変わる。


「……やっぱりか」


低くこぼれた声に、海斗は何も返せなかった。


「俺は、レンに勝ったと思っていた」


海斗は苦しそうに続けた。


「でも、ノアールの心は俺に向いてなかった」


レンが、海斗を見る。


「ノアールには言われた。勘違いしないでって」


凛は、しばらく海斗を見ていた。


「結局、お互い気持ちは通じ合ってなかったのね」


海斗は答えられなかった。


責められるより、その一言の方が重かった。


しばらく沈黙が落ちた。


ルミエールは、今度はレンを見る。


「レンさんは……ノアールのことを、どう思っていたんですか?」


レンは、少しだけ視線を落とした。


「俺は……ずっと覚えてた」


ルミエールは、静かに息をのむ。


「あの日のことも、ノアールが言ったことも、全部」


レンの声は低かった。


「ノアールが芸能界に復帰して、久しぶりに会えた時、本当はうれしかった。でも、どう声をかければいいのか分からなかった」


レンは続けた。


「ノアールは何も覚えてなかった。俺のことも、あの日のことも」


少しだけ、声が苦くなる。


「どう接していいか分からなかった。だから、意地悪を言ったり、冷たくしたり……逆に、甘い言葉をかけたりもした」


レンは、拳を握った。


「素直に言えばよかったのに、言えなかった」


短い沈黙が落ちる。


「カードも渡した。思い出してほしかった」


ルミエールの頭に、黒いカードの文字が浮かぶ。


04.01 — You were there.


「でも、ノアールは思い出さなかった」


レンは小さく息を吐いた。


「そのあと、ノアールが海斗と近くなって……俺は、何も言えなかった」


その声には、苦さが混じっていた。


「ただ、嫉妬していた」


ルミエールは、何も言えなかった。


ノアールも、レンも、海斗も、凛も。


それぞれ違う形で、ずっと傷ついていた。


ブランシュが、静かに目を伏せる。


「もっと早く、気づいてあげればよかったわ」


ルミエールも小さくうなずいた。


「私もです。撮影所で見た時に、ただの違和感で終わらせるべきではありませんでした」


ルミエールは、三人を見つめる。


「ここだけの話にしてください」


四人の視線が、ルミエールに集まる。


「昨日のライブで、私は見ました。ノアールとレンさんの足元に、黒い魔法陣のようなものが浮かんでいたんです」


レンの表情が変わる。


「黒い魔法陣……?」


「はい。観客には演出に見えていたと思います。でも、私には演出だけには見えませんでした」


ルミエールは、静かに続けた。


「それで、どうしても確かめる必要があると思いました。ノアールとレンさんの間に、昔何があったのかを」


「私は、過去に行って確認してきました」


その言葉に、四人の表情が変わる。


ブランシュも、息をのんだ。


「川沿いの桜の下に、幼いノアールとレンさんがいました。そして、少し離れた場所に、幼い海斗さんと凛さんもいました」


レンの顔が、かすかに強張る。


海斗は何も言えない。


凛も、視線を動かさなかった。


「あの日、ノアールは魔法を使いました。レンさんのお母さんに会わせようとして」


そこで一度、言葉を切る。


「でも、詠唱を一文字間違えていました」


沈黙が落ちる。


「その一文字で、術式が歪みました。ノアールの中に黒い影が入り、レンさんにも欠片が落ちたんです」


レンが小さく息を呑んだ。


「俺にも……?」


「はい」


ルミエールはうなずく。


「だから、今回のライブでノアールとレンさんの声が重なった時、二つが共鳴したんだと思います」


海斗は、拳を握った。


「じゃあ、最近のノアールの様子が変だったのも……」


「おそらく、同じ原因です」


ルミエールは答えた。


「ノアールが救急車で運ばれて入院した時も、ソレイユとノアールの力が揺れた時も、黒い影や魔法陣のようなものが現れていました。あれは、その場で突然生まれたものではありません」


凛が、小さくつぶやく。


「ずっと……残っていたのね」


「はい」


ルミエールは、三人を見つめた。


「ノアールは、全部を分かってやっていたわけではありません。けれど、皆さんが傷ついたことも、なかったことにはできません」


その言葉に、誰もすぐには答えなかった。


やがて、凛が静かにうなずいた。


「だから、おかしかったのね」


海斗が低く言う。


「それでも、俺のしたことが消えるわけじゃない」


レンも続けた。


「俺もだ。覚えていたのに、ちゃんと言えなかった」


ブランシュは、何も言わずに三人の言葉を受け止めていた。


ルミエールは、もう一つだけ伝えた。


「そして、今日のステージで、私たち四人の魔法を合わせました」


ルミエールは、舞台袖の方を見る。


「ノアールとレンさんに残っていた黒い影と欠片を、浄化するためです」


レンが、息を止めた。


「浄化……」


「はい。完全に何もなかったことにはできません。でも、闇として残っていたものは、光へ戻せたと思います」


ルミエールは、ノアールが走っていった廊下を見つめる。


「ただ……浄化したことで、ノアールは忘れていた記憶を取り戻したのかもしれません」


レンも、海斗も、凛も、何も言えなかった。


「あの日のことも。レンさんのことも。海斗さんとのことも。凛さんとのことも」


言葉にするほど、胸が重くなる。


「だから、走って行ってしまったのだと思います」


廊下の奥に、もうノアールの姿はない。


残っているのは、ライブの余韻と、戻ってしまった記憶の重さだけだった。

第二夜のステージで、闇は浄化されました。


けれどノアールは、忘れていた記憶まで取り戻してしまったのかもしれません。

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