第76話 それぞれの新学期
春休みが終わり、新学期が始まりました。
三年生になったノアールとルミエール、二年生になったソレイユ。
新しいクラス、新しい部活の空気の中で、それぞれの春が少しずつ動き出します。
春休みが終わり、新学期が始まった。
校舎の中には、いつもより少し浮き立った声が響いていた。昇降口の近くにはクラス発表の紙が貼り出され、生徒たちが自分の名前を探しながら、友達と笑い合っている。
ルミエールも、三年生の欄に自分の名前を探した。ほどなくして自分の名前が見つかり、その近くにノアールの名前もあることに気づいた。
また、同じクラスだった。
胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなる。春休みのあいだは、仕事や撮影で忙しい日が続いていた。けれど、今日からは新学期だ。三年生としての春が始まる。その始まりにノアールが同じ場所にいることが、ルミエールには少し心強かった。
「ノアール」
声をかけると、ノアールが振り向いた。
「ルミエール。久しぶり」
ノアールは、いつものように笑っていた。けれど近くで見ると、目の下にうっすらとクマができている。
春休みのあいだも、映画の撮影が続いていたのだろう。
「元気にしていた?」
ルミエールが尋ねると、ノアールは一瞬だけ間を置いた。
「うん……元気だよ」
笑顔は、ちゃんといつものノアールだった。声も明るい。けれど、その短い間が、ルミエールには少しだけ気になった。
「春休み中も、撮影があったんだよね」
「うん。でも大丈夫。ちゃんとやれてるから」
ちゃんとやれてる。その言葉が、少しだけ強く聞こえた。
ルミエールは、それ以上深くは聞かなかった。きっと仕事が忙しかったのだろう。責任感の強いノアールだから、少しくらい疲れていても、いつも通りに振る舞おうとしているのかもしれない。
「また同じクラスだね」
ルミエールが言うと、ノアールは少し表情をやわらげた。
「うん。よかった」
その返事は、今度は自然に聞こえた。
教室へ向かう途中でも、廊下はにぎやかだった。新しいクラスの話や、春休みの話、これからの進路の話があちこちから聞こえてくる。三年生になったことで、周りの会話にも少しだけ未来の色が混じっていた。
「ノアールって、卒業したらやっぱり芸能の仕事を続けるの?」
「ルミエールも、ブランシュさんと一緒の仕事が増えてるよね」
「二人、ほんと姉妹みたいだよね」
そう言われて、ルミエールは少しだけ笑った。
姉妹みたい。そう言われるたびに、胸の奥が不思議に揺れる。ブランシュは、若い頃の母だ。けれど、この時代では、そんなことは誰にも言えない。
春休み中の仕事は、ルミエールにとって、ただの仕事ではなかった。未来へ持ち帰りたい、大切な時間だった。
一方で、ソレイユも二年生になっていた。
ソレイユは、新しいクラスでもすぐに声をかけられていた。明るく笑えば、周りの空気は自然とやわらかくなる。
「ソレイユちゃん、またよろしくね」
「うん、よろしく!」
いつものように元気な声が返る。新しいクラスでも、友達はできそうだった。それは本当だった。
けれど、クラス発表の紙を見たとき、ソレイユは少しだけ胸の奥が沈むのを感じていた。悠斗とは、同じクラスではなかった。
分かっていたことなのに、紙の上に名前がないことを確かめると、思っていたより寂しかった。
廊下の向こうから、明るい女子の声が聞こえた。
「やった。悠斗君と同じクラスだ」
その声に、ソレイユは思わず顔を上げた。嬉しそうに笑っている女の子がいる。悠斗の名前を、何の迷いもなく口にしていた。同じクラスになれたことを、ただ素直に喜んでいた。
ソレイユは、少しだけ視線をそらした。
いいな、と思ってしまった。
自分も、ただ同じクラスになれたことを喜べる立場だったらよかった。人前で距離を考えなくてもよくて、噂を気にしなくてもよくて、いつか帰らなければならない星のことも考えなくてよかったら、もっと普通に悠斗の近くにいられたのかもしれない。
「ソレイユちゃん?」
声をかけられて、ソレイユはすぐに笑顔を戻した。
「ううん、なんでもない!」
明るい声は、ちゃんと出た。新しいクラスは楽しい。友達もできそう。それは嘘ではない。
けれど、悠斗がいない教室は、少しだけ広く感じた。
放課後、ルミエールたちは部室へ向かった。
部室は、前よりもにぎやかになっていた。新入部員も増えて、机の周りには明るい声が重なっている。スケッチブックを広げる子、タブレットでラフを描いている子、好きなキャラクターの話で盛り上がっている子。春の空気が、部室の中にも入り込んでいた。
「悠斗君、一緒にイラスト描こう」
「悠斗君、私のイラスト見て」
「悠斗、男の子のキャラクター描きたいから、モデルになって」
女子部員たちが、悠斗の周りに集まっていた。悠斗は少し困ったように笑いながら、一つずつ返事をしている。
ソレイユはその様子を見て、いつものように笑った。
悠斗は、相変わらず周りに人が集まりやすい。
それは分かっている。
分かっているけれど、今日は胸の奥が少しだけざわついた。
新しいクラスにも友達はできた。部活もにぎやかになった。楽しいことは、ちゃんと増えている。それなのに、悠斗が自分とは違う場所で、別の誰かに囲まれているのを見ると、ほんの少しだけ寂しかった。
ソレイユは近くのスケッチブックを手に取った。
「私は、アイドルの絵でも描こうかな」
そう言って、自然に別の机へ移動する。
近づきすぎない。人前では、特別に見えないようにする。それは、ソレイユが自分で決めたことだった。でも、自分で決めた距離なのに、寂しくないわけではなかった。
ルミエールは、その横にそっと近づいた。
「ソレイユ、どう? 絵、描いてる?」
「うん、描いてるよ」
ソレイユは、いつものように明るく答えた。スケッチブックには、ステージ衣装を着た女の子のラフが描かれている。
「かわいいね」
「でしょ? もっとキラキラにするの」
ソレイユは笑って、ペンを動かした。その声は明るかった。けれど、悠斗の方へ一瞬だけ視線が向いたことに、ルミエールは気づいた。
何かを言うべきか迷って、それでも深くは聞かなかった。今は、そばにいるだけでいい。ルミエールはそう思い、ソレイユの描くアイドル衣装を静かに見守った。
部室の中には、それぞれの新学期があった。三年生になったノアールとルミエール、二年生になったソレイユ、新しく入った部員たち。少しずつ変わっていく日常の中で、それぞれが自分の場所を探しているように見えた。
そのとき、ノアールの端末が小さく鳴った。
ノアールは画面を見て、すぐに表情を戻した。
「そうだ。今日、事務所に呼ばれてるんだ」
ルミエールが顔を上げる。
「今日?」
「うん。だから帰り、一人で寄って帰るね」
ノアールは、いつものように笑った。
「一緒についていこうか?」
ルミエールがそう尋ねると、ノアールは少しだけ驚いたように目を向けた。それから、首を横に振る。
「ううん。一人で大丈夫。次の仕事の話だと思うから」
「そう……?」
「うん。心配しないで」
明るい声だった。けれどルミエールには、その声の端に少しだけ疲れが混じっているように聞こえた。
「無理しないでね」
「大丈夫。ちゃんとやるよ」
ノアールはそう言って、軽く手を振った。その笑顔は、いつものノアールだった。でも、目の下のうっすらとしたクマが、ルミエールの中に少しだけ残った。
ノアールが部室を出ていく。扉が閉まると、部室のにぎやかさが、また戻ってきた。
けれどルミエールは、しばらくその扉を見つめていた。
夜になってから、ルミエールは端末を手に取った。
ノアールのことが、少しだけ気になっていた。事務所に呼ばれていると言っていた。次の仕事の話だと思うから、一人で大丈夫。そう言っていたけれど、昼間の笑顔が、ほんの少し疲れて見えた。
ルミエールは、短くメッセージを送った。
『事務所、どうだった?』
しばらくして、返事が届いた。
『やっぱり新しい仕事だった』
続けて、もう一つ。
『またレンと一緒で、ドラマの仕事だって』
ルミエールは、その文字を見つめた。
新しい仕事。ドラマ。また、レンと一緒。
ノアールは評価されているのだと思う。春休みのあいだも努力してきたことが、次の仕事につながっている。それは、きっと喜ばしいことだった。
けれど、昼間のノアールの目の下にあったクマを思い出す。元気だよ、と言う前の、ほんの少しの間。ちゃんとやれてるから、という言葉の強さ。それが、少しだけ気になった。
でも、ブランシュは前に言っていた。レン君は優しくて、現場でもノアールを気にかけてくれている、と。
子役の頃からノアールを知っている相手なら、きっとノアールも安心できるのだろう。私がそばにいなくても、レン君がいるなら大丈夫かもしれない。
ルミエールは、そう思うことにした。
『すごいね。無理しないでね』
そう送ると、すぐに返事が来た。
『大丈夫。ちゃんとやるよ』
短い文字だった。いつものノアールらしい返事だった。
ルミエールは端末をそっと伏せた。
ノアールは、大丈夫だと言っていた。
ソレイユも、いつものように明るく笑っていた。
けれど今日のルミエールには、二人の笑顔がほんの少しだけ気になっていた。
明日、また二人の顔を見よう。
そう思いながら、ルミエールは静かに息をついた。
読んでいただきありがとうございます。
新学期の明るい空気の中で、ノアールとソレイユにも少しずつ変化が見え始めました。
ルミエールは二人の笑顔を見守りながら、自分にできることを考えていきます。




