第74話 間に合った春のステージ
住宅展示場で行われる、春のイベントライブ。
先に会場へ到着したルミエールとソレイユは、映画撮影を終えてから向かうノアールを待ちながら準備を進めます。
住宅展示場が開く少し前。
ルミエールとソレイユは、春のイベントライブが行われる会場へ到着した。
まだ来場者の姿はほとんどなく、いくつものモデルハウスが朝の静けさの中に並んでいる。
ある家の前では、営業担当の男性がホースを使い、玄関まわりや植木へ水をまいていた。
別の家の庭では、従業員がほうきで落ち葉や小さなごみを集めている。
窓ガラスを拭く人や、入口の案内板を整える人の姿もあった。
これから訪れる家族を迎えるため、展示場全体が少しずつ動き始めていた。
「開場前だと、こんなに静かなんだね」
ソレイユが、左右に並ぶモデルハウスを見ながら言った。
「はい。これから少しずつ人が増えていくのでしょうね」
少し離れた場所には、今日のライブで使用する特設ステージが設けられていた。
ステージの背後には、満開の桜を描いた大きな看板が掲げられている。
中央には、春色の文字でイベント名が書かれていた。
スタッフたちはマイクやスピーカーの位置を確認し、ステージの前へ花を使った飾りを並べている。
三体の猫型ロボットも、すでに持ち場へ運ばれていた。
黒いロボットはドラムの前。
白いロボットは中央のDJ機材の前。
ピンク色のロボットはベースを抱え、最終調整を受けている。
「今日もよろしくね」
ソレイユが声をかけると、三体の顔に明るい表示が浮かんだ。
二人はイベント関係者へ挨拶を済ませると、住宅展示場の管理事務所に用意された控室へ案内された。
室内には、大きな鏡や衣装を掛けるためのハンガーラック、飲み物などが準備されている。
ラックには、三人分の春らしいピンク色のアイドル衣装が並んでいた。
「かわいい!」
ソレイユは自分の衣装を手に取り、胸元やスカートを確かめた。
明るいピーチピンクを基調にした衣装には、小さな花や星を思わせる飾りが散りばめられている。
幾重にも重なった軽やかなスカートと、透け感のある袖が、ソレイユの明るさをそのまま形にしたようだった。
ルミエールの衣装は、白に近い桜色を基調にしていた。
胸元や腰には小さな水色の宝石が飾られ、花びらを重ねたようなスカートから、細い飾りが揺れている。
上品な桜色に、ルミエールらしい透明感が加わったデザインだった。
そして、二人の衣装の隣には、ノアールの衣装も掛けられている。
ノアールのものは、少し深みのあるローズピンク。
胸元には大きなリボンがあり、長く透けるケープと幾重にも重なったスカートが、落ち着いた華やかさを作っていた。
「三人ともピンクなんて新鮮だね」
ソレイユが笑う。
「同じピンクでも、少しずつ色やデザインが違いますね」
「三人で並んだら、絶対かわいいよ」
ソレイユはそう言ったあと、まだ誰も使っていないノアールの衣装へ視線を向けた。
「ノアール、まだ来てないね」
「映画の撮影が終わり次第、こちらへ来るそうです」
「今日も映画の撮影の予定なんだよね?」
「はい。撮影場所から直接こちらへ向かうと聞いています」
ルミエールは端末を確認した。
ノアールからは、少し前に届いた短い連絡だけが表示されている。
撮影が予定より長引いているけれど、終わり次第すぐに向かう。
そう書かれていた。
「間に合うかな……」
ソレイユの声に、先ほどまでの明るさとは違う不安が混じる。
「まだライブまでは時間があります。私たちは先に準備を始めましょう」
「うん……そうだね」
二人が衣装へ着替え、髪や飾りを整えている間に、住宅展示場は開場時間を迎えた。
管理事務所の外から、人の声が少しずつ聞こえてくる。
子どもを連れた家族や若い夫婦が、案内図を手にしてモデルハウスを見て回り始めていた。
ライブの開始を知らせる放送が流れると、特設ステージの周囲にも人が集まり始める。
控室を出たルミエールとソレイユは、先にステージで音響確認を行った。
マイクの音量を確かめ、立ち位置や曲の進行を確認する。
けれど、本来ノアールが立つはずの場所は、まだ空いたままだった。
「ノアールのマイクだけ置いてあるの、寂しいね」
ソレイユが小さく言った。
「もう少し待ちましょう」
そう答えたルミエールも、何度も会場の入口へ視線を向けていた。
リハーサルを終えてステージを下りると、一人の男性が二人へ近づいてきた。
「こんにちは」
「桐谷君」
ルミエールが声をかけると、桐谷は二人へ軽く頭を下げた。
「今日はライブを見に来ました。それと、せっかくなのでモデルハウスの設備も見てみようと思って」
「やっぱり、そっちも目的なんだ」
ソレイユが笑う。
「もちろん、ライブが一番です」
桐谷はすぐに答えたあと、近くにあるモデルハウスへ目を向けた。
「最近の住宅設備には、室温や照明だけでなく、家族の生活に合わせて自動で調整する仕組みも増えているそうです」
「展示されている設備の中には、スターリング社の技術を応用したものもあります」
ルミエールが答えると、桐谷の表情が明るくなった。
「やっぱり知っているんですね。ライブが終わったら、少し教えてもらえませんか?」
「私に分かる範囲でしたら」
「また難しい話が始まりそう」
ソレイユが二人を見比べる。
そのとき、会場内にライブ開始時刻が近づいていることを知らせる放送が流れた。
ソレイユの表情が変わる。
「もうすぐだよ」
ルミエールも端末を見る。
ノアールから新しい連絡は届いていなかった。
二人が管理事務所へ戻ると、スタッフも少し落ち着かない様子で時計を確認していた。
「あと十分ほどで準備をお願いします」
「はい」
返事をしたものの、ノアールの衣装はまだハンガーに掛かったままだった。
「最初の曲、二人で始めることになるのかな……」
ソレイユが呟く。
「もう少し待ちましょう」
ルミエールはそう答えながらも、胸の奥に不安が広がっていくのを感じていた。
映画の撮影に何かあったのだろうか。
移動に時間がかかっているだけなのだろうか。
そのとき、控室の外から走ってくる足音が聞こえた。
扉が開く。
「遅くなって、ごめん……!」
そこに立っていたのは、ノアールだった。
「ノアール!」
ソレイユがすぐに駆け寄る。
「間に合った!」
「本当に、ぎりぎりになってしまって……」
ノアールは呼吸を整えながら、二人へ申し訳なさそうに言った。
黒い髪には、桜の花びらが一枚残っている。
ルミエールは、その花びらをそっと取った。
「映画の撮影は大丈夫だったのですか?」
「うん。少し長引いただけ。撮影はちゃんと終わったから」
「疲れてない?」
ソレイユが心配そうに顔を覗き込む。
「少しだけ。でも、ライブはできる」
ノアールはラックに掛かっている衣装を見て、小さく笑った。
「今日は三人ともピンクなんだ」
「かわいいでしょ? 早く着替えて」
「分かった」
スタッフもすぐに動き、ノアールの着替えと髪の準備が始まった。
時間はほとんど残っていなかった。
衣装へ着替えたノアールは、鏡の前で最後の飾りを整えてもらう。
ローズピンクの衣装は、黒い髪と紫色の瞳を鮮やかに引き立てていた。
胸元のリボンと花の飾りには上品な華やかさがあり、長いケープが歩くたびに春風のように揺れる。
「ノアール、すごく似合ってる」
「ありがとう。ソレイユも、ルミエールも似合ってる」
三人が並ぶと、同じピンクを基調にしながら、それぞれ違う春の花が咲いたように見えた。
明るく元気なピーチピンクのソレイユ。
澄んだ桜色に包まれたルミエール。
深みのあるローズピンクをまとったノアール。
「本番、お願いします」
スタッフの声がかかる。
ステージへ続く通路の前で、三人は一度足を止めた。
ノアールは、まだ完全には整っていない呼吸を静かに落ち着かせる。
ルミエールがノアールへ手を差し出した。
ソレイユも、その上へ自分の手を重ねる。
最後にノアールが手を重ねた。
「三人で行きましょう」
「うん」
「最高のステージにしよう!」
会場から、三人を呼ぶ声が聞こえた。
司会者の紹介に合わせて、三人は春の光が降り注ぐステージへ飛び出した。
大きな拍手が起こる。
ステージの前には、家族連れや子どもたちが集まっていた。
三体の猫型ロボットが演奏を始める。
黒いロボットが力強くドラムを鳴らし、白いロボットが明るい音を重ね、ピンク色のロボットがベースを奏でる。
最初の曲が始まった。
三人のピンク色の衣装が、青空と桜の装飾の前で鮮やかに広がる。
ノアールはライブが始まると、それまでの疲れを感じさせなかった。
まっすぐに伸びる歌声。
曲に合わせた正確な動き。
観客へ向ける笑顔。
ルミエールとソレイユも、その歌声に重なるように声を響かせた。
三人が横へ並び、同時に手を差し出す。
透ける袖と軽やかなスカートが、春風を受けて揺れた。
ステージ前の子どもたちが、楽しそうに手を振っている。
ソレイユは大きく腕を上げ、客席へ笑顔を届けた。
ルミエールは一人一人へ語りかけるように歌い、ノアールは三人の中心で曲を支えていた。
一曲目が終わると、大きな拍手が送られた。
「みんな、今日は来てくれてありがとう!」
ソレイユの明るい声が響く。
「春の一日を、私たちの歌と一緒に楽しんでください」
ルミエールが続ける。
ノアールは一度客席を見渡してから、マイクを握った。
「私たち三人で、今日ここに立てたことがうれしいです。最後の曲まで、心を込めて歌います」
再び、客席から温かな拍手が起こった。
次の曲が始まる。
歌声は春の住宅展示場いっぱいに広がり、モデルハウスを見ていた人たちも足を止めてステージへ集まってきた。
最後の曲では、三人が肩を並べて歌った。
ノアールがぎりぎりに到着したことなど、観客には分からない。
三人の声は一つのステージの上で重なり、最後まで途切れることなく会場へ届いた。
曲が終わる。
三人がそろって頭を下げると、温かな拍手が長く続いた。
「ありがとうございました!」
三人の声がそろう。
ライブは、無事に終わった。
ステージを下りたあと、ソレイユは真っ先にノアールへ近づいた。
「ノアール、間に合って本当によかった!」
「心配かけて、ごめんね」
「ライブは大丈夫でしたが、無理はしていませんか?」
ルミエールが尋ねると、ノアールは少しだけ息を吐いた。
「大丈夫。三人で歌ったら、元気が出た」
その言葉に、ルミエールとソレイユも笑った。
桐谷も三人のもとへやって来る。
「お疲れさまでした。とてもいいライブでした」
「ありがとう!」
ソレイユが答える。
「ノアール先輩、撮影のあとだったんですよね。間に合ってよかったです」
「ありがとうございます」
ノアールは丁寧に頭を下げた。
ライブが終わっても、住宅展示場には多くの家族が残っていた。
明るい窓の向こうでは、モデルハウスを見学する人々が、リビングや台所を楽しそうに見て回っている。
「せっかくだから、少し見てから帰らない?」
ソレイユが、並んでいる家々を指した。
「そうですね。まだ時間はあります」
ルミエールも頷く。
ノアールは二人を見てから、少しだけ笑った。
「うん。私も一緒に行く」
三人は、近くにある一軒のモデルハウスへ入った。
玄関の先には、明るいリビングと台所が一つの空間につながっている。
必要なものが手の届きやすい場所へまとめられ、限られた空間を無駄なく使えるように工夫されていた。
ルミエールは、台所からリビング、階段へと順番に視線を移した。
「こういう家は、コンパクトに機能的に作られているのですね」
月で暮らしていた頃のルミエールの家は、月面に建つ大きなドーム型の住居だった。
広い窓の向こうには月面と地球が見え、室内にも十分な空間が用意されていた。
地球へ来てから長く過ごしているのも、祖父が用意した広い別荘だった。
そのため、一つの空間に暮らしに必要なものが近い距離で整えられている家は、ルミエールには新鮮に映った。
「家の中が広すぎないから、移動するだけで疲れなくて済みそう」
ソレイユが、リビングから台所を見ながら言った。
宇宙で暮らしていた頃のソレイユが知っているのは、広い王宮だった。
地球へ来てからも、ルミエールの別荘で暮らしている。
廊下を長く歩かなくても、家の中にいる家族の声が届きそうな距離は、ソレイユにとって珍しいものだった。
「家族との距離も近いよね」
「はい。別の部屋にいても、お互いの気配が分かりそうです」
二階へ上がると、子ども部屋として作られた部屋があった。
ベッドと机、本棚が置かれ、壁には小さな飾り棚がついている。
ソレイユは入口から部屋を見回した。
「子ども部屋って、思っていたより小さいんだね」
「でも、必要なものは全部入っています」
ルミエールは机の収納や、ベッドの下に作られた引き出しを確かめた。
「狭く感じないように、いろいろ工夫されていますね」
「これくらいなら、落ち着きそう」
ソレイユは部屋の中央に立ち、両手を広げてみた。
「自分の好きなものを置いたら、自分だけの場所って感じがしそうだね」
ノアールも部屋の中を見渡した。
二人ほど驚いてはいなかった。
これまで暮らしてきたマンションの部屋と比べても、広さはそれほど変わらないように思えた。
「私には、そんなに小さく感じないかな」
「そうなの?」
ソレイユが振り返る。
「うん。マンションの部屋も、これくらいだったから」
ノアールにとっては見慣れた広さでも、ルミエールとソレイユにとっては、新しい暮らしの形だった。
モデルハウスの中には、三人のほかにも何組もの見学者が訪れていた。
台所では、結婚したばかりのような若い夫婦が、並んで収納や作業台を確かめている。
「ここなら、一緒に料理できそうだね」
そんな会話をしながら笑い合う姿は、これから始まる二人の暮らしを思い描いているようだった。
別の部屋では、子どもたちを連れた家族が子ども部屋を見学していた。
子どもたちは、どちらの部屋を使うか楽しそうに話しながら、ベッドや机を順番に見ている。
その少し後ろには、お腹の大きな女性と家族の姿もあった。
女性はゆっくりとお腹へ手を添えながら、赤ちゃんを迎えるための部屋を穏やかな表情で見つめている。
そばにいる家族も、これから増える新しい家族のことを想像しているのか、幸せそうに笑っていた。
ソレイユは、そんな人たちの姿を静かに見つめていた。
結婚したばかりの二人。
子どもたちと一緒に家を選ぶ家族。
これから生まれてくる赤ちゃんを迎えようとしている人たち。
誰もが、その家で始まる未来を楽しみにしているように見えた。
「いいな……」
ソレイユの口から、小さな声がこぼれた。
「何がですか?」
ルミエールが尋ねる。
ソレイユは、幸せそうに家を見て回る人たちへ目を向けた。
「こういうの」
新婚らしい夫婦や、子どもたちと笑う家族。
そして、これから生まれてくる赤ちゃんを待つ人たち。
「広い家じゃなくてもいいんだ」
ソレイユは、明るいリビングを見渡した。
「小さな家でも、好きな人と一緒に暮らして、いつか家族を作れたらいいなって」
言い終えたあと、少し恥ずかしくなったのか、小さく笑った。
「悠斗君とですか?」
ルミエールが静かに尋ねる。
ソレイユは一瞬だけ黙り、それから小さく頷いた。
「うん……」
けれど、その表情はすぐに曇った。
「でも、私はいつか星へ帰らなきゃいけないし……向こうには、親が決めた婚約者もいるんだよね」
明るく言おうとした声が、最後だけ小さくなる。
地球に残れるのか。
悠斗と離れずにいられるのか。
親が決めた婚約を断ることができるのか。
今のソレイユには、何一つ分からなかった。
だからこそ、目の前にいる人たちの幸せそうな姿が、少し羨ましかった。
結婚したばかりの二人。
子どもたちと一緒に家を選ぶ家族。
これから生まれてくる赤ちゃんを迎えようとしている人たち。
誰もが、自分で選んだ相手と未来を作っているように見えた。
「私も、自分で選びたいな……」
ソレイユが小さく呟く。
広い王宮でも、豪華な別荘でもない。
好きな人と一緒に帰る、小さくても温かな家。
「そんな未来があったらいいな」
ノアールは、ソレイユの隣に並んだ。
「いつか、そうなれるといいね」
「うん」
ソレイユは、少し寂しそうに微笑んだ。
まだ遠く、簡単には手の届かない未来だった。
それでも、好きな人と過ごす小さな家の灯りは、ソレイユの心の中に確かに浮かんでいた。
三人がそろった春色のステージは、温かな拍手の中で無事に幕を閉じました。
ライブのあとに見つけたのは、家の広さではなく、その中で育まれる家族の暮らしでした。




