第66話 小さな手伝い、大きな一歩
ノアールがドラマ撮影で忙しくなり始めた頃。
ルミエールは、祖父の会社が出展するロボット展示イベントを手伝うことになりました。
ノアールがドラマ撮影で忙しくなり始めた頃。
ルミエールは、祖父の会社が出展するイベントを手伝うことになっていた。
会場は、湾岸エリアにある大型イベントホールだった。
高い天井の下に、企業ごとのブースが並び、ロボット、家電、映像技術、住宅設備など、さまざまな展示が行われている。
スターリング社のブースは、その中でも入口に近い目立つ場所に作られていた。
猫型ロボットたちが並び、家庭向け支援ロボットの実演スペースも用意されている。
会場の奥には、小さなステージもあった。
今日はブランシュが出演しているスターリング社のCM発表も兼ねている。
ルミエールはスタッフ用のパスを首から下げ、ブースの前に立った。
最初は、少し手伝うだけの予定だった。
資料を配り、ロボットの配置を確認し、必要なら簡単な説明を補足する。
その程度のはずだった。
「ルミエール、来てくれて助かったよ」
祖父が声をかけてくる。
「今日はよろしく頼む」
「はい。できる範囲でお手伝いします」
ルミエールが答えた時、ブースの奥が慌ただしくなった。
スタッフの一人が、端末を手に祖父の元へ駆け寄る。
「すみません。展示説明の担当者が、急な体調不良で来られなくなりました」
「代わりは?」
「手配していますが、到着まで時間がかかります。もう来場者が集まり始めています」
祖父の表情がわずかに引き締まった。
展示スペースの前には、すでに親子連れや企業関係者が足を止め始めている。
猫型ロボットの動きに、子どもが目を輝かせていた。
ルミエールはロボットたちを見た。
何度も動かしてきた機体。
遊園地ライブやショッピングセンターのステージで使った動き。
安全距離。
音への反応。
人の表情に合わせたしぐさ。
説明できないことではなかった。
「私でよければ、代わりに説明します」
スタッフが驚いたようにルミエールを見る。
「でも、来場者の方だけでなく、取引先の方もいますよ」
「分かっています。子どもたちには、実際の動きを見せながら分かりやすく説明します。取引先の方には、専門的な部分も含めて、導入後の使い方が想像できるようにお話しします」
祖父がルミエールを見た。
少し考えたあと、静かにうなずく。
「頼めるかね」
「はい」
ルミエールは展示スペースへ向かった。
猫型ロボットが小さく手を振る。
子どもたちが近づくと、ロボットは少し首を傾け、距離を保ちながら反応した。
「このロボットは、ただ決まった動きを繰り返すだけではありません」
ルミエールは来場者へ向けて話し始めた。
「周囲の音や人の動きに合わせて、反応を変えられるようにしています。たとえば、子どもが近づいた時には、急に動かず、相手が怖がらない速度で反応します」
ロボットがゆっくり手を上げる。
小さな子が笑った。
「かわいい!」
母親が微笑み、近くの企業関係者がメモを取る。
ルミエールは説明を続けた。
家庭で使う場合。
イベントで使う場合。
教育現場で使う場合。
子どもには動きを見せ、大人には安全性と用途を伝える。
取引先には、導入後の運用や費用対効果まで想像できるように説明する。
スターリング社は、ルミエールにとって知らない会社ではなかった。
未来で何度も資料を読んだ。
創業期からの製品。
家庭向けロボットの普及。
教育用モデルの改良。
イベント用ロボットが社会に受け入れられていくまでの流れ。
昔の機種の性能も、当時どの機能が評価されたのかも、ルミエールの頭には入っている。
ただし、それをこの時代の人たちの前で口に出しすぎるわけにはいかない。
知っていることを全部話すのではなく、今この場の資料と実物から分かる範囲として伝える。
それでも、説明は十分すぎるほどだった。
「この説明を聞いて、導入イメージがかなり具体的になりました」
取引先らしき男性が、スタッフへ声をかけた。
「詳しい見積もりをお願いできますか」
スタッフの顔色が変わる。
別の企業担当者も続ける。
「うちの商業施設でも、イベント用に使えるか検討したいです」
「教育施設向けの資料もいただけますか」
ルミエールはそこでようやく、自分が予定よりずっと長く説明していたことに気づいた。
「……少し話しすぎましたか?」
祖父が近づいてくる。
その表情は、驚きと喜びが混じっていた。
「いや。十分すぎるほどだ」
その時、また別のスタッフが駆け込んできた。
「社長、大変です。ステージで登壇予定だったプレゼン担当者も体調不良で、声が出ないそうです」
会場奥のステージでは、すでに準備が進んでいる。
CM発表の前に、スターリング社のロボット事業について短いプレゼンを行う予定だった。
スタッフたちの空気が一気に慌ただしくなる。
「資料はありますか?」
ルミエールが尋ねた。
「あります。でも、急に読める人が……」
「私でよければ、やってみます」
祖父が目を止める。
「ルミエール、本当にできるのかい?」
「資料の流れは分かります。会社の紹介と製品説明なら、先ほどの内容を整理して話せます」
一瞬だけ沈黙が落ちた。
祖父は、ルミエールの目を見た。
「……頼もう」
ステージ横で資料を受け取り、ルミエールは流れを確認した。
スターリング社の歩み。
家庭用支援ロボットの開発。
教育現場への展開。
そして、今回の新しい猫型ロボットの可能性。
ルミエールは深く息を吸った。
未来で読んだ言葉を、そのまま使うわけにはいかない。
けれど、未来で知った価値を、この時代の人たちに届く言葉へ変えることはできる。
司会者に名前を呼ばれ、ルミエールはステージへ上がった。
会場の視線が集まる。
「本日は、スターリング社のブースへお越しいただき、ありがとうございます」
最初の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
ルミエールはスクリーンに映るロボットの写真を示す。
「ロボットは、人の仕事を奪うものではなく、人のそばで支える存在になれると考えています」
子どもに寄り添う動き。
高齢者の見守り。
商業施設での案内。
ステージでの演出。
一つずつ、具体的な場面を挙げながら話した。
難しい技術の話だけではなく、それを使う人の生活まで想像できるように。
会場の空気が変わっていく。
最初は急な代役を見る目だった。
けれど途中から、来場者たちはルミエールの言葉を真剣に聞き始めた。
プレゼンが終わると、拍手が起きた。
予想していたよりも大きな拍手だった。
ステージを降りると、祖父が待っていた。
「ルミエール」
声が少し低い。
「今の説明、よく知っていたね。古い機種の特徴まで、かなり正確だった」
ルミエールは一瞬だけ言葉を止めた。
話しすぎただろうか。
けれど、祖父の表情は責めるものではなかった。
ただ、純粋に驚いている。
「どうして、そこまで知っているんだい?」
ルミエールは少しだけ視線を落とし、それから静かに答えた。
「未来で、スターリング社のことを全部勉強しました」
祖父はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと息を吐く。
「……そうか」
その声には、驚きと、誇らしさのようなものが混じっていた。
「未来で、うちの会社はそこまで残っているんだね」
ルミエールはうなずいた。
「はい。たくさんの人の暮らしを支える会社として、記録に残っています」
祖父は何度か静かにうなずいた。
その横顔を見て、ルミエールは胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
イベントの後半。
ブランシュが控室から出てきた。
白を基調にした上品な衣装が、会場の照明をやわらかく受けている。
CM発表のため、ブース横のフォトスペースへ向かうところだった。
ルミエールは資料を抱えたまま、ブランシュの隣へ立つ。
その瞬間、近くにいたスタッフが思わず声を漏らした。
「……ブランシュさんの妹さんですか?」
ルミエールの指先が止まる。
祖父も、ほんの一瞬だけ表情を固くした。
けれど、ブランシュは自然に微笑んだ。
「妹ではありません。妹の親友で、私にとっても大切なお友達です」
その答え方があまりに落ち着いていたので、スタッフはすぐに納得したようにうなずいた。
「そうなんですね。でも、髪の色も目の色も雰囲気も似ていますね。並ぶと本当に姉妹みたいです」
別のスタッフも二人を見比べる。
「二人でCMに出たら映えますよ。スターリング社のイメージにも合います」
「写真集みたいなビジュアルも見たいです」
「テレビで並んだら、絶対話題になりますよ」
次々と出る言葉に、ルミエールは少し戸惑った。
ロボットの説明を手伝いに来ただけだった。
自分が映像に出ることまでは考えていない。
けれど、ブランシュは少しも慌てなかった。
「ルミエールさんと一緒なら、楽しそうですね」
やわらかくそう言う。
ルミエールはブランシュを見る。
その横顔は落ち着いていて、会場のざわめきさえ受け止めているようだった。
祖父も少し考え込む。
「なるほど。ブランシュさんだけでなく、ルミエールも一緒に……」
「私も、ですか?」
「今日の説明を聞けば、ただの出演者ではないことは分かる。ロボットを理解している本人が、会社の未来を語る。そこにブランシュさんが並べば、印象は強い」
会場の空気が、少し変わっていく。
ルミエールは、スターリング社のイベントを手伝いに来ただけだった。
けれどその日、彼女自身もまた、会社の表へ立つ存在として見られ始めていた。
その少し離れた場所で、父がブランシュを見ていた。
話しかけたいのは分かる。
けれど、あと一歩が出ない。
ブランシュがスタッフと話している間も、父は少し離れた場所から様子をうかがっているだけだった。
ルミエールはその姿を見て、内心で小さく息を吐いた。
パパ。
今のままだと、ママと結婚する未来まで遠すぎます。
もちろん、父は何も知らない。
ルミエールのことも、未来のことも。
今の父にとってルミエールは、父の知り合いの家から預かっている、少し不思議で優秀な少女でしかない。
その時、祖父が父の隣へ立った。
「お前も、もう少し頑張らないとな」
父が慌てて姿勢を正す。
「な、何の話ですか」
祖父は会場の方を見ながら、少し楽しそうに笑った。
「あの子を見てみろ。少し手伝いに来ただけで、取引先を引きつけている。うかうかしていると、社長の椅子を取られるかもしれんぞ」
「父さん、冗談がきついです」
「半分は冗談だ」
「半分なんですか」
祖父は何も答えず、ブランシュの方へ視線を向けた。
父もつられて同じ方向を見る。
けれど、やはり自分からは近づかない。
ルミエールは、もう一度小さく息を吐いた。
イベントが終わったあと、ブランシュは近くのカフェへルミエールを誘った。
窓際の席に座ると、会場のざわめきが少し遠くなる。
「今日はお疲れさま」
ブランシュが紅茶のカップを持ち上げる。
「ルミエールさん、大活躍だったわね」
「私は、少しお手伝いするつもりだったのですが……」
「少しではなかったわね」
ブランシュは楽しそうに笑った。
その笑顔を見て、ルミエールも少しだけ肩の力を抜く。
「でも、驚いたわ」
「何にですか?」
「私たち、姉妹に間違われてしまったでしょう?」
ルミエールの指先が、カップの縁で止まった。
ブランシュは気づいていない様子で、穏やかに続ける。
「でもね、ルミエールさんに初めて会った時から、少し不思議だったの」
「不思議……?」
「髪の色も、目の色も、雰囲気も。どこか私に似ている気がしたの」
ブランシュは窓の外を見た。
「だから、今日みたいに姉妹に見えると言われても、少し分かる気がしてしまって」
ルミエールは、すぐには答えられなかった。
言えることと、言えないことがある。
その境目が、紅茶の湯気の向こうで揺れているように見えた。
「私も……ブランシュさんのそばにいると、不思議と落ち着きます」
それだけを、ようやく言った。
ブランシュはやわらかく微笑んだ。
「なら、似ているのは見た目だけじゃないのかもしれないわね」
ルミエールはカップの中の紅茶を見つめた。
小さな手伝いのつもりで来た一日だった。
けれど、その一日は、思っていたよりもずっと大きなものにつながり始めていた。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
今回は、ルミエールがスターリング社のイベントを手伝う回でした。
少しだけ手伝うつもりが、ロボット説明やプレゼンまで任されることに。
ブランシュと並んだことで、二人の雰囲気が似ていることにも周囲が気づき始めます。
ルミエールにとって、小さな手伝いのつもりだった一日は、思っていたより大きな一歩になりました。




