第54話 湯気の中の恋バナと一通のメール
悠斗たちが帰った夜。
お風呂の湯気の中で、ソレイユは今日の出来事を話し始めます。
友達の恋を応援したい気持ち。
少しだけ置いていかれるような寂しさ。
そして、ルミエールのもとには、桐谷君から一通のメールが届きます。
悠斗と桐谷君が帰ったあと、家の中は少し静かになった。
リビングには、まだ作戦会議の名残がある。
サイン用紙の試作。
ステージ構成のメモ。
猫型ロボットの資料。
ルミエールはタブレットを片づけながら、先ほどの桐谷君の言葉を思い出していた。
――また、ロボットの話を聞かせてもらってもいいですか?
軽い調子で話す人だと思っていた。
けれど、ロボットを見る目は真剣だった。
同じ年頃の人と、あれほどロボットの話をしたのは、この時代に来てから初めてだった。
「ルミエール、まだ片づけてるの?」
ソレイユがリビングの入口から顔を出した。
「もう終わるわ」
「じゃあ、お風呂行こうよ。今日はいっぱい話したから、体も頭も疲れたよ」
ソレイユの声はいつも通り明るかった。
けれど、夕方に庭から戻ってきた時の静かな表情が、ルミエールの中に残っている。
ノアールもルナを猫用の部屋へ戻してから、浴室へ向かった。
広いジャグジーには、温かな湯気が立ち込めていた。
お湯に入ると、昼間から続いていた緊張が少しずつほどけていく。
最初に口を開いたのは、ソレイユだった。
「……ルミエール、今日はありがとう」
「何が?」
「ゆうとと二人で話す時間、作ってくれたでしょ」
ルミエールは少しだけ視線を向けた。
「私は桐谷君とロボットの話をしていただけよ」
「うん。でも、ありがとう」
ソレイユは湯面を見つめた。
その頬が、湯気のせいだけではない色になっている。
ノアールが少し迷うように指先でお湯を揺らした。
「……私、見てしまったの」
ソレイユが顔を上げる。
「え?」
「ルナを抱っこして部屋へ行く途中で、庭が見えて……ソレイユと悠斗くんが、その……」
最後まで言わなかった。
ソレイユの顔が一気に赤くなる。
「えっ、見られてたの!?」
ノアールは申し訳なさそうに小さくなる。
「ごめん。見るつもりじゃなかったの」
「ううん。ノアールが謝ることじゃないよ。庭だったし……」
ソレイユは両手で顔を覆いかけて、途中でやめた。
「……今日、ゆうとと初めてキスしたの」
浴室の中に、少しだけ違う静けさが降りた。
ソレイユは、照れたように笑おうとして、うまく笑えない顔になった。
「嬉しかった。すごく」
その声は、いつもの太陽みたいな明るさよりも、少しだけ低かった。
「でも、嬉しいだけじゃなくて……なんて言えばいいのかな。温かかったの」
ルミエールは何も言わずに聞いた。
ソレイユがこういう声で話す時は、急かさない方がいい。
「私、あっちの星ではお姫さまだったけど、生まれてすぐ乳母に預けられたから、お母様に抱っこされた記憶がないの」
ノアールが静かにソレイユを見た。
「まわりにはお手伝いさんも、ロボットもいた。何でも用意されてたし、困ることはなかった。でも、家族の手っていうのかな。そういう近さは、あまり知らなかった」
ソレイユは肩までお湯につかった。
「お父様も王様として忙しかった。会えても、私の前にいるのは父親というより王様だった」
言葉にするたび、ソレイユの明るい輪郭の奥に隠れていたものが見えてくる。
「地球に来て、ショッピングセンターで親子連れを見たでしょ。手をつないで、子供が笑って、お母さんやお父さんが普通にそばにいるのを見て……羨ましいって思った」
ルミエールは、あの日の光景を思い出した。
子供たちが猫型ロボットへ走ってくる。
親が後ろから笑って見ている。
ソレイユはその輪の中で、いつもより少し静かだった。
「だから今日、ゆうとがそばにいてくれて、すごく温かかった。もう少しだけ、このままでいたいって思ったの」
ノアールはお湯の中で手を握った。
「……私、見た時、嬉しいって思わなきゃって思った。でも、少しだけ寂しかった」
ソレイユがノアールを見る。
「ノアール……」
「ソレイユのこと、応援してる。悠斗くんも優しい人だと思う。でも、二人が少し遠くに行ったみたいに見えて……私だけ置いていかれるみたいで」
ノアールの声は小さかったが、逃げていなかった。
「ルナを抱っこしてたら落ち着いた。でも、自分でも少し驚いたの。友達の幸せなのに、寂しいって思うなんて」
「それも、ノアールの本当の気持ちだと思うわ」
ルミエールが言った。
ノアールは顔を上げる。
「応援したい気持ちと、寂しい気持ちは一緒にあっていいのよ。どちらかを消さなくてもいいと思う」
ソレイユが湯の中でノアールの方へ少し近づいた。
「私、ノアールを置いていきたいわけじゃないよ」
「うん。分かってる」
「でも、寂しくさせたなら、ごめん」
「謝らなくていいの。私が勝手にそう思っただけだから」
「勝手じゃないよ」
ソレイユの声がやわらかくなる。
「言ってくれて嬉しい」
ノアールは少しだけ目を伏せた。
湯気が三人の間に薄く広がっている。
ルミエールは、その光景を見ながら胸の奥に小さな不安を感じていた。
ソレイユは、悠斗といる時、本当に幸せそうだった。
その幸せを守りたい。
けれど、ソレイユには帰る星がある。
地球での恋が深くなればなるほど、いつか来る別れの痛みも深くなるかもしれない。
ルミエールは、その言葉を今ここで口にはしなかった。
ソレイユは、今日知った温もりをまだ大切に抱えている。
そこに不安を重ねるのは違うと思った。
「ねえ、ルミエールは?」
ソレイユが急に顔を向けた。
「え?」
「ルミエールは、好きな人とかいないの?」
ノアールも少しだけ興味ありげに見る。
ルミエールは一瞬、返事に困った。
「私は……お父様が大好きだから、ほかの男性を好きになる自分が想像できないわ」
「それ、ファザコンってやつ?」
ソレイユが少し笑う。
「そうかもしれないわね」
ルミエールも小さく笑った。
「お父様より素敵な人が現れたら考えるわ」
「現れるよ」
ソレイユが言う。
「ルミエールなら、きっと」
その言葉に、昼間の桐谷君の顔がふと浮かんだ。
ロボットの資料を見つめる真剣な目。
偶然触れた指先。
すぐにロボットの話へ戻ってしまった横顔。
ルミエールは、自分の中に浮かんだその記憶に少しだけ戸惑った。
好き、というほどのものではない。
ただ、思い出しただけ。
そう思うことにした。
お風呂から上がると、三人はそれぞれ髪を乾かした。
ソレイユは少し眠そうで、ノアールはルナの様子を見に行くと言って部屋を出た。
ルミエールは自分の部屋へ戻り、スマホを手に取った。
通知が一件届いていた。
差出人は、桐谷君だった。
帰ってから、まだそれほど時間は経っていない。
ルミエールは画面を開いた。
『今日はありがとうございました。型落ちロボットの資料、すごく面白かったです。さっそく質問なんですけど、関節の動きって、モーターの数だけで決まるんですか? それとも制御の仕方でかなり変わるんですか?』
ルミエールは思わず、少し笑った。
本当に、さっそくだ。
軽い人だと思っていた。
けれど、興味は本物らしい。
ルミエールは机に座り、返信画面を開いた。
すぐに長く説明しすぎるのはよくない。
でも、短すぎても彼の質問には足りない。
少し考えてから、文章を打ち始めた。
『質問ありがとう。関節の動きは、モーターの数だけで決まるわけではありません。制御の仕方でかなり変わります。次に会った時、今日見せた資料の続きで説明するわ』
送信ボタンを押す。
画面が静かになる。
ルミエールはスマホを机に置き、窓の外を見た。
夜の庭に、淡い灯りが落ちている。
ソレイユの恋。
ノアールの寂しさ。
桐谷君から届いたロボットの質問。
今日一日で、それぞれの心が少しずつ動いた。
ルミエール自身も例外ではなかった。
まだ名前のつかない変化が、胸の奥に小さく残っている。
その感覚を急いで言葉にする必要はなかった。
今はただ、次に届く質問を少しだけ楽しみにしている。
読んでいただき、ありがとうございます。
恋の話と、ロボットの質問。
まったく違うようで、どちらも誰かとの距離が少し近づくきっかけになりました。




