第50話 ロボットに集まる視線
ショッピングセンターでの初ライブ当日。
猫型ロボットは、人の足を止める力を持っていました。
けれどルミエールは、その視線をノアールの歌へつなげる難しさを知ることになります。
「……少し、寝不足ね」
朝食の席で、ルミエールは紅茶のカップを両手で包んだ。
昨夜は、なかなか眠れなかった。
ライブが楽しみだったから。
それもある。
けれど、それだけではなかった。
猫型ロボット三体の搬入手順。
ショッピングセンター側へ提出する安全確認書。
電源の位置。
音量の上限。
子どもが近づいた時の距離。
演奏中にロボットへ触れられないようにするための配置。
ルミエールは夜遅くまで端末を開き、何度も確認していた。
ロボットを使う以上、可愛いだけでは済まない。
もし誰かが怪我をしたら、LUMISORA☽の最初のステージはそこで終わってしまう。
それだけは避けたかった。
「ルミエール、大丈夫?」
ソレイユが心配そうに覗き込む。
「大丈夫よ。少し眠いだけ」
「私もあまり眠れなかった。楽しみすぎて」
ソレイユはそう言いながらも、もう目が輝いている。
ノアールは静かに朝食を食べていた。
緊張しているのか、いつもより口数が少ない。
けれど、逃げるような顔ではなかった。
ルミエールはそれを見て、少し安心する。
今日は、ノアールがもう一度人前で歌う日だ。
大きなホールでも、テレビ番組でもない。
ショッピングセンターのイベント広場。
それでも、今のLUMISORA☽にとっては大切な一歩だった。
昼前。
ルミエールの家の大きなワンボックスカーが、ショッピングセンターの搬入口へ入った。
スタッフに案内され、三人は荷物を降ろしていく。
黒猫型ロボット。
白猫型ロボット。
ピンクリボンの猫型ロボット。
キーボード。
ギター。
音響機材。
ケーブル。
小さなステージとはいえ、準備するものは多かった。
「ここにロボットを置いて、前に柵を設置します。子どもたちが触れない距離を取ります」
ルミエールは、ショッピングセンターの担当者へ説明した。
担当者は資料を確認しながら頷く。
「安全確認は問題なさそうですね。音量も、この範囲でお願いします」
「分かりました」
ソレイユはギターケースを運びながら、広場を見渡していた。
「ここで歌うんだ……」
吹き抜けの天井。
二階から見下ろせる通路。
フードコートへ向かう家族連れ。
買い物袋を持った人たち。
まだ本番前なのに、ルミエールの胸も少し高鳴った。
ステージの準備をしていると、小さな子どもが近づいてきた。
「あ、ネコのロボット!」
その声につられて、別の子どもも走ってくる。
「これ、動くの?」
「さわれる?」
ルミエールはしゃがんで、子どもたちの目線に合わせた。
「ごめんね。この子たちは楽器を演奏するロボットなの。今日は触れないけれど、あとで演奏するところを見てね」
「ドラムするの?」
「ええ。黒い子がドラムよ」
子どもは黒猫型ロボットを見て、嬉しそうに跳ねた。
その様子を見て、ルミエールは思う。
やはり、ロボットには人を足止めする力がある。
通り過ぎるはずだった子どもたちが、自然に集まってくる。
親たちも少し離れたところで立ち止まり、スマホを向け始めていた。
まずは見てもらえる。
それは大きい。
でも。
ルミエールは、黒猫型ロボットの横に立つノアールを見た。
足を止めてもらうことと、歌を聴いてもらうことは同じではない。
その差を、今日のステージで埋めなければならない。
開演前。
ルミエールはキーボードの位置を確認しながら、ふと広場の端へ視線を向けた。
柱の影に、帽子を深くかぶった女性が二人いる。
顔はよく見えない。
服装も、いつもの雰囲気とは違う。
それでも、ルミエールの胸が小さく反応した。
ママ。
声に出しそうになって、すぐに飲み込む。
ブランシュが来ている。
隣にいるのは、きっとショコラだ。
ノアールは気づいていない。
今は、それでいいのかもしれない。
ノアールは、ステージの真ん中に立とうとしている。
姉たちの視線に気づいたら、安心するかもしれない。
でも、余計に緊張するかもしれない。
ルミエールは、ほんの一瞬だけ柱の方へ目を向け、それからキーボードに手を置いた。
見ていて、ママ。
そう心の中でだけ呟いた。
今日のノアールは、ちゃんと歌うから。
やがて、店内アナウンスが流れた。
『一階イベント広場にて、ロボットと共演するユニット、LUMISORA☽のライブが始まります』
広場に人が集まってくる。
子どもたち。
親子連れ。
買い物途中の学生。
二階の通路にも、足を止める人が増えていた。
視線は、やはりロボットに向いている。
黒猫型ロボットの耳。
白猫型ロボットの光るリング。
ピンクリボンの猫型ロボットが抱えるベース。
「すごい、本当に動くんだ」
「あの猫、ドラム叩くの?」
「可愛い。動画撮っていいのかな」
声が聞こえるたび、ルミエールは少しだけ手元の鍵盤を見た。
分かっていた。
ロボットは目立つ。
だからこそ使った。
けれど、目立ちすぎる。
その不安を飲み込み、ルミエールはノアールの方を見る。
ノアールはマイクの前に立っていた。
背筋は伸びている。
手は少し強張っている。
でも、逃げていない。
ソレイユが明るく手を上げた。
「LUMISORA☽、始めます!」
黒猫型ロボットがスティックを構える。
白猫型ロボットの耳が光る。
ピンクリボンの猫型ロボットがベースを抱え直す。
音楽が始まった。
黒猫のドラムが、正確にリズムを刻む。
白猫のDJが、星の粒のような電子音を散らす。
ピンクリボンのベースが、低く曲を支える。
ソレイユのギターが明るく重なり、ルミエールはキーボードで全体を包んだ。
そして、ノアールが歌い出す。
声は出ていた。
練習の時よりも少し硬い。
けれど、ちゃんと前へ届いている。
ルミエールは鍵盤を押さえながら、観客を見た。
子どもたちは黒猫型ロボットのドラムに夢中だった。
大人たちはスマホを構え、白猫型ロボットの動きを追っている。
ピンクリボンの猫型ロボットがベースを弾くたび、前列の子どもたちが笑う。
ノアールの声は、広場に響いている。
けれど視線は、歌声の方へ流れていかない。
ルミエールの指先が、ほんの少しだけ鍵盤の上で重くなる。
私は、足を止めてもらうことを考えていた。
でも、そのあとを作りきれていなかった。
ロボットに集まった視線を、どうやってノアールへ向けるか。
その道筋が足りなかった。
曲は最後まで止まらずに進んだ。
ソレイユは笑顔で手を振り、ノアールは最後のフレーズを歌い切った。
拍手はあった。
子どもたちの歓声もあった。
でも、その中心にいるのは猫型ロボットたちだった。
「すごい! 猫がドラム叩いてた!」
「あの白い子、耳が光ってた!」
「もう一回見たい!」
ルミエールは、笑顔を崩さないようにした。
ここで沈んだ顔を見せるわけにはいかない。
ライブは終わったばかり。
ノアールも、ソレイユも、まだステージの上にいる。
終了後、イベント担当の男性が近づいてきた。
「いやあ、すごかったですよ。お客様、かなり足を止めていました」
「ありがとうございます」
ルミエールは丁寧に頭を下げる。
男性は満足そうに猫型ロボットを見た。
「特にロボットがいいですね。親子連れにかなり強いと思います。安全面さえ整えば、またお願いしたいくらいです」
その言葉に、ソレイユは嬉しそうな顔をした。
ノアールは、マイクを片付けながら少しだけ俯いている。
ルミエールは男性へ微笑んだ。
「ありがとうございます。次回があれば、見せ方をもう少し工夫したいと思います」
「ぜひ。あのロボットは目玉になりますよ」
目玉。
その言葉が、ルミエールの耳に残った。
ロボットは目玉になった。
でも、LUMISORA☽の歌はどうだったのだろう。
片付けが始まる。
子どもたちは、柵の向こうから猫型ロボットを見続けていた。
「バイバイ、黒猫!」
「また来てね!」
黒猫型ロボットが、決められた動作でスティックを一度鳴らす。
子どもたちは喜んだ。
その光景は可愛くて、間違いなく成功の一部だった。
なのに、ルミエールの胸には小さな重さが残っている。
柱の影を見ると、ショコラとブランシュの姿はもうなかった。
ノアールは気づかなかったようだった。
それでよかったのかもしれない。
今の表情を見る限り、ノアールは自分の中で何かを整理しようとしている。
ルミエールは、すぐに声をかけなかった。
三体の猫型ロボットを車へ積み込み終えたあと、ルミエールは少し離れた場所で通信端末を開いた。
画面に祖父の顔が映る。
「おじいさま。今日、ショッピングセンターで演奏してきたわ」
「無事に終わったか」
「ええ」
「猫型ロボットの様子は?」
ルミエールは、広場に集まった子どもたちの顔を思い出した。
スマホを向ける大人たち。
耳の動きに歓声を上げる子ども。
黒猫型ロボットのドラムを夢中で見ていた親子。
「人気だったわ。とても」
祖父は少しだけ笑った。
「それはよかった」
「でも……」
ルミエールは言葉を止めた。
画面の向こうの祖父は、急かさなかった。
「私たちの歌は、あまり聴いてもらえなかったかもしれない」
そう言った瞬間、胸の奥に残っていた重さが形になった。
「みんな、ロボットを見ていたの。ロボットは人を集めた。でも、その視線をノアールの歌へつなげるところまで、私たちは作れていなかった」
祖父は静かに頷いた。
「技術は人を振り向かせる。だが、振り向いた人を何へ導くかは、また別の設計だ」
「……ええ」
「失敗ではない。課題が見えたのだろう」
ルミエールは、片付けの終わった広場を見た。
さっきまで子どもたちの声でいっぱいだった場所が、今は静かになっている。
「次は、ロボットを見て足を止めた人たちが、自然にノアールの歌も聴きたくなる流れを作りたいの」
「なら、演出を変える必要があるな。ロボットを先に見せすぎると、主役を奪う」
「今日、それを思い知ったわ」
祖父は少しだけ表情をやわらげた。
「相談してくれれば、技術面の資料や安全管理は手伝える。だが、どう見せるかは、お前たちが考えることだ」
「はい、おじいさま」
「ノアールさんは?」
ルミエールは、少し離れた場所にいるノアールを見た。
ソレイユが何か話しかけている。
ノアールは小さく頷いていた。
「平気な顔をしているわ。でも、きっと傷ついている」
「なら、今日はそばにいてやりなさい。反省会は明日でもできる」
「……そうね」
通信を切る前に、祖父は穏やかに言った。
「ロボットが人気だったことは、悪いことではない。それをどう歌へつなげるか。そこからだ」
「分かったわ」
通信が切れる。
ルミエールは端末を閉じた。
猫型ロボットは、人を集めた。
次は、その視線をノアールの歌へ向けなければならない。
ルミエールが戻ると、ソレイユがこちらを振り返った。
「ルミエール、片付け終わった?」
「ええ。帰りましょう」
ノアールはマイクケースを両手で持っていた。
少し疲れた顔をしている。
ルミエールは、その横に並ぶ。
「今日は、よく歌ったわ」
ノアールは少しだけ目を伏せた。
「……でも、みんなロボットを見てた」
「ええ」
ルミエールはごまかさなかった。
「だから、次は見せ方を変えましょう」
ノアールはゆっくり顔を上げる。
ソレイユも、二人の間に入るように元気よく言った。
「そうだよ! 今日で終わりじゃないもん。次はもっとちゃんと歌も聴いてもらおう!」
ノアールは少しだけ笑った。
「……うん」
その小さな返事を聞いて、ルミエールは歩き出した。
ショッピングセンターの明かりが、背中側で少しずつ遠ざかっていく。
今日、視線はロボットに集まった。
でも、足を止めた人は確かにいた。
そこから先を作ればいい。
ルミエールは、マイクケースを持つノアールの歩幅に合わせて、少しだけ歩く速さを落とした。
今回は、LUMISORA☽の初ステージでした。
猫型ロボットは人を集めましたが、ノアールの歌まで届けるには、まだ工夫が必要でした。
ルミエールは、次に考えるべき課題を見つけます。




