第48話 幽霊と呼ばれた歌
LUMISORA☽の最初の音源を持って、三人は事務所へ向かいます。
そこは、ノアールが一度「幽霊」と呼ばれた場所。
けれど今日は、一人ではありません。
翌日の地下スタジオ。
最後の音が消えたあと、ルミエールは録音データを保存した。
短い沈黙。
それから、ソレイユが一気に跳ねるように立ち上がった。
「できた……できたよね!? これ、できたよね!」
ノアールは、まだヘッドホンを外したばかりで、画面をじっと見つめていた。
そこには、保存されたばかりの音源ファイルが表示されている。
自分の声が、今も耳の奥に残っている。
ソレイユのギターも、ルミエールのキーボードも、猫型ロボットたちの音も、ひとつの曲の中に収まっていた。
ノアールは何も言わなかった。
けれど、画面から目をそらさなかった。
ソレイユは、その横顔を見て、嬉しそうに笑った。
「LUMISORA☽の曲だよ。私たちの、最初の曲!」
ルミエールは音源ファイルを確認し、静かに息を吐いた。
完璧ではない。
けれど、今の三人を見せるには十分だった。
ノアールの声が、ちゃんと真ん中にある。
ロボットは支えている。
ソレイユの明るさも、自分の音も、歌を押し上げる場所に収まっている。
「これなら、事務所へ持っていけるわ」
その言葉に、ノアールの表情が少し固まった。
「事務所……」
そこは、ノアールにとって軽い場所ではない。
けれど、避けていては前に進めない。
ルミエールはノアールを見る。
「大丈夫。今日は一人ではないわ」
ソレイユもすぐに、ノアールの隣へ寄った。
「うん! 三人で行くんだから!」
ノアールは、保存された音源ファイルをもう一度見た。
「……行く」
小さな声だった。
けれど、その言葉は地下スタジオの中で、はっきり響いた。
録音データを保存し、予備のファイルも作る。
短い紹介資料も整えた。
ノアールの再始動。
三人組ユニットとしての方向性。
猫型ロボットとの演奏は、あくまでサポート。
主役はノアールの声。
そこだけは、資料の中でもはっきりさせた。
午後。
三人は事務所へ向かった。
自動ドアが開いた瞬間、ノアールの指先がわずかに冷たくなった。
「……大丈夫よ、ノアール」
隣でルミエールが静かに告げる。
その声は、地下スタジオで音を整える時と同じように落ち着いていた。
「うん! 今日、私たちのLUMISORA☽が正式に動き出す日だもんね!」
ソレイユはいつも通り明るく笑い、ノアールの背中を軽く叩いた。
受付を抜け、エレベーターへ向かおうとしたその時。
「あら……ノアールじゃない。まだこの世界にいたのね?」
香水の強い香りと共に、ひとりの女性が立ち塞がった。
事務所の看板モデル兼タレント、アンナだった。
最近はショコラやブランシュに仕事を奪われ、焦りを隠せない女。
「……お久しぶりです」
ノアールが微かに声を絞り出す。
アンナは、ノアールを上から下まで眺めた。
「久しぶりなんて、よく言えるわね。幽霊のくせに」
ノアールの指先が、かすかに強張る。
アンナはそれを見逃さず、口元だけで笑った。
「あなた、今さら何を売り込むつもりなの? 一度消えた名前を、そんな簡単に戻せると思っているの?」
ソレイユの表情が変わりかける。
けれど、アンナの視線はすぐにソレイユへ移った。
「隣の子も、ずいぶん明るいけれど……まだ子どもっぽいわね。友達同士でユニットごっこ? この世界、そんなに甘くないわよ」
ソレイユの笑顔が、一瞬だけ消えた。
アンナは、今度はルミエールを見る。
「それに、あなたはずいぶん落ち着いているのね。苦労を知らないお嬢様が、友達を守る正義の味方ごっこ? ここはそんなに優しい場所じゃないわよ」
ルミエールは、表情を変えなかった。
アンナは、もう一度ノアールへ視線を戻した。
「あなたのお姉さんたち、最近ずいぶん鼻につくのよ。私の仕事を横取りして……」
そこで、わざとらしくため息をついた。
「ショコラは知的で清楚。ブランシュは上品で特別。そう言われているんでしょう?」
アンナの声が、少しだけ低くなる。
「でも、裏では違う噂も聞くわよ。清楚ぶっているだけで、結構色気を使って仕事を取っているとか。お上品な顔をして、ずいぶん激しい売り込みをしているとか」
ノアールの顔から、血の気が引いた。
ルミエールの胸の奥で、静かに熱が広がる。
違う。
ママは、そんな人ではない。
無理な写真集の契約を押しつけられそうになった時も、嫌がっていた。
傷ついて、それでも周りに迷惑をかけないように、真面目に立っていた。
ショコラも、ブランシュも、そんな噂で汚されていい人たちではない。
本当なら、今すぐ否定したかった。
あなたにママの何が分かるの、と。
けれど、この時代でブランシュを「ママ」と呼ぶことはできない。
特別に庇いすぎてもいけない。
アンナは、さらにノアールへ笑みを向ける。
「姉が姉なら、妹も妹ね。あなたもまた、這いつくばって仕事をもらいに来たの?」
美しく整えられた瞳の奥にあるのは、嫉妬と苛立ち。
背後では、かつてショコラたちを担当していた、あの感じの悪い男性マネージャーが、嫌味な笑みを浮かべていた。
ノアールの胸の奥で、黒い霧のようなものが広がりかける。
その時だった。
「――そこまでにしてくれる?」
ソレイユが一歩前へ出る。
その瞬間、廊下の空気が凍りついたように静まり返った。
「ノアールは、私たちのセンター。それ以上彼女を傷つけるなら――私が黙っていないわ」
ルミエールも、静かに前へ出た。
怒鳴る必要はない。
けれど、これ以上は聞かせない。
「アンナさん」
声は静かだった。
けれど、自分でも分かるほど冷たかった。
「根拠のない噂を、本人の妹の前で口にするのは品がありません」
アンナの眉が、ぴくりと動く。
「あなたに何が分かるの?」
「少なくとも、自分の焦りを他人の噂で晴らすのは見苦しいわ」
ルミエールは、ノアールの前に静かに立った。
「私たちは、社長に音を聴いていただくために来ました。あなたの私怨に付き合う時間はありません」
二人の放つ空気に、アンナは思わず一歩後ずさる。
「……ふふ。どうせすぐに消えるわよ。この世界は、そんなに甘くないもの」
捨て台詞を残し、彼女は去っていった。
ノアールはしばらく、その場に立っていた。
ソレイユがそっと隣に戻る。
「ノアール、大丈夫?」
「……うん」
声は小さかった。
けれど、完全には折れていなかった。
ルミエールは、それを確認してからエレベーターの方へ視線を向けた。
社長室。
机の向こうには、数字だけを信じるような冷たい目をした男が座っていた。
「……例の音源か」
社長は、前置きを好まない。
ルミエールはそれをすぐに理解した。
感情で押しても意味がない。
必要なのは、短く、分かりやすく、価値を示すこと。
「はい」
ルミエールは音源データを差し出した。
「ノアールの再始動です。ただし、以前のCat*Star☆とは違います。三人組のユニットとして、音楽と映像で展開します」
社長の目が、わずかに動く。
「三人組?」
「ノアールをメインボーカルに置きます。ソレイユはギターとパフォーマンス。私はキーボードと構成を担当します」
ルミエールは端末を操作し、短い資料を表示した。
「猫型ロボットとの共演は、話題性になります。ただし、主役はロボットではありません。中心に置くのは、ノアールの声です」
社長は黙って資料を見た。
ノアールは息を詰めている。
ソレイユも、さすがに静かだった。
ルミエールは再生ボタンを押す。
室内に音が流れ出した。
黒猫のドラム。
白猫のDJ。
ピンクリボンのベース。
ソレイユのギター。
ルミエールのキーボード。
そして、その上に乗るノアールの歌声。
『私は旅人 それは秘密――』
ノアールは、自分の声が社長室に響くのを聞きながら、指先を握りしめていた。
ルミエールは、社長の顔を見ていた。
感情は読めない。
けれど、机の上に置かれた指が、一度だけ止まった。
曲が終わる。
短い沈黙。
社長は音源を止め、資料へ目を戻した。
「……なるほど」
それだけ言って、少し考える。
「LUMISORA☽。試験的に動かす価値はある」
ソレイユの顔がぱっと明るくなった。
ノアールは、まだ信じられないように社長を見る。
社長は淡々と続けた。
「スタジオ、宣伝、衣装。必要なものは最低限用意する。まずはネット公開で反応を見る」
それは、合格を意味していた。
ノアールが小さく息を吐く。
ソレイユは声を上げそうになって、ぎりぎりでこらえた。
ルミエールは、静かに頭を下げる。
「ありがとうございます」
社長室を出ると、ノアールは胸の前で手を握っていた。
「……戻ってこられたのかな」
ソレイユがすぐに頷く。
「戻ってきたんだよ。しかも、今度は三人で!」
ノアールは少しだけ笑った。
ルミエールも小さく頷く。
前と同じ場所に戻ったわけではない。
今度は、自分の声を持って。
仲間と一緒に。
LUMISORA☽として。
今回は、完成した音源を事務所へ持っていく回でした。
アンナの言葉に傷つきながらも、LUMISORA☽の音は社長に届きました。
ノアールは、前とは違う形で一歩を踏み出します。




