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第38話 気の抜けた夜

ノアールをマンションまで送ったあと。

ルミエールとソレイユが、別荘で今日一日を振り返る平和回です。

 放課後の教室で、LUMISORAアニメ同好会の名前が決まったあと。


 ノアールは、ルミエールとソレイユと一緒に、黒い車へ乗った。


 夕暮れの街を、車は静かに走っていく。


 朝、学校へ向かった時とは違って、車内の空気は少しだけやわらかかった。


 ノアールは窓の外を見ている。


 疲れているようにも見えた。


 けれど、朝よりは呼吸が落ち着いているように見えた。


(今日は、ここまで来られた)


 ルミエールは、そう思った。


 マンションの前で車が止まる。


 ノアールはカバンを持って、車を降りた。


「送ってくれて、ありがとう」


 小さな声だった。


 ルミエールは、窓越しに静かに微笑んだ。


「また明日。朝、迎えにくるね」


 ノアールは、少し迷うようにしてから、うなずいた。


 マンションの入口へ向かう背中を、ルミエールは車の中から見送った。


 ノアールが中へ入る。


 扉が閉まる。


 そこでようやく、車は静かに動き出した。


 別荘へ戻る頃には、空は夜の色に変わり始めていた。


 玄関を入ると、祖父がリビングにいた。


「戻ったか」


「はい」


 ルミエールは、ソレイユと一緒にリビングへ入った。


 祖父は二人を見た。


「学校はどうだったかね」


 ルミエールは、少しだけ表情を明るくした。


「今日は、無事に一日過ごせました」


「そうか」


「それと、おじいちゃん。学食のこと、ありがとうございました」


 祖父は静かにルミエールを見る。


「役に立ったか」


「はい。とても助かりました。席も予約できて、ノアールをスムーズに誘えました」


 ソレイユもすぐにうなずく。


「しかもおいしかったです。あのスープ、また食べたいです」


 祖父は、ほんの少しだけ口元をやわらげた。


「それならよかった」


「便利で、おいしくて……本当に助かりました」


 ルミエールは、丁寧に頭を下げた。


「協力してくれて、ありがとうございます」


「私にできるのは、環境を整えることくらいだ」


 祖父は静かに答えた。


「だが、一日うまくいったからといって、安心しすぎない方がいい」


「はい」


 ルミエールはうなずいた。


「まだ、油断はできないと思っています」


 祖父はそれ以上、強くは言わなかった。


「今日はよく頑張った。二人とも、少し休みなさい」


「はい」


 祖父が席を外すと、ソレイユはソファに沈み込むように座った。


「あー、疲れた」


 その声があまりにも素直で、ルミエールは少しだけ笑った。


「私もです。今日は朝から疲れました」


「ルミエールも?」


「はい。ずっと気を張っていたので」


「だよね。朝早く起きて、サンドイッチ作って、ノアールのマンションへ迎えに行って、学校に行って、学食行って、図書室行って、部活も作って」


「部活はまだ同好会です」


「細かいなあ」


 ソレイユが笑う。


 ルミエールは、テーブルの上のカップを両手で包んだ。


「でも、今日は本当に助かりました」


「何が?」


「売店の前です。ソレイユがノアールを引き留めてくれて」


「あー、あれね」


 ソレイユは、少し照れたように笑った。


「偶然だったの」


「偶然?」


「一年の子と話してて、売店の近くを通ったら、ノアールが見えたの。パン買おうとしてたから、これは呼ばなきゃって」


「そうだったんですね」


「うん。間に合ってよかったね」


「はい。本当に」


 あの時、ノアールがパンを買っていたら。


 たぶん、いつもの昼休みに戻っていた。


 誰とも話さず、早く食べて、どこかで時間を過ごす。


 その流れを変えられたのは、ソレイユが声をかけてくれたからだった。


「ソレイユは、動くのが早いですね」


「考える前に動いちゃうだけかも」


「でも、今日はそれに助けられました」


 ソレイユは、少しだけ得意そうに笑った。


「じゃあ、明日も頑張る」


「頑張りすぎないでください」


「それ、ルミエールにも言いたい」


 ルミエールは、少しだけ言葉に詰まった。


 ソレイユはそのまま続ける。


「ノアール、今日は頑張ってたね」


「はい」


「でも、まだ学校に慣れたわけじゃないよね」


「うん。まずは学校生活を安定させたいです」


 ルミエールは静かに言った。


「勉強の遅れは、私が見ます。数学と英語は、少しずつ取り戻せると思います」


「ルミエールが教えると分かりやすいもんね」


「ノアールが焦らないようにしたいです」


「部活の方は?」


「それも、ゆっくりでいいと思います」


 ルミエールはカップを置いた。


「ノアールが中心でいられる場所にしたいので」


「あ、そうだ」


 ソレイユが思い出したように顔を上げた。


「新しく部活を作るかもって、同級生の友達に少し話したんだよね」


「もう話したんですか?」


「詳しくは言ってないよ。ただ、私が作るかもって言ったら、ソレイユが作るなら入りたいって」


「それは、心強いですね」


「うん。でも、ノアールが部長だもんね」


「はい」


「その子たちが、ノアールと仲良くなったらいいなって思ってる」


 ルミエールは、静かにうなずいた。


「ノアールが置いていかれないようにしたいです」


「分かってる」


 ソレイユは、まっすぐ答えた。


「ノアールが部長。そこはちゃんと守る」


「お願いします」


「それで、お仕事は?」


 ソレイユが少し声を落とした。


「ルミソラの活動とか、ノアールのこととか」


「今は、まだ早いと思います」


 ルミエールは、はっきり言った。


「学校生活が落ち着いてからでいいです。朝、登校すること。授業を受けること。昼休みを過ごすこと。放課後の居場所を作ること」


「うん」


「まずは、そこからです」


 ソレイユは、ソファにもたれたまま天井を見た。


「学校に普通に行くって、こんなに大変なんだね」


「ノアールにとっては、きっと大きなことです」


「うん」


 少しの間、二人は黙っていた。


 リビングの外では、夜の風が静かに窓を揺らしている。


 大きな事件があったわけではない。


 けれど、朝から夜まで、ずっと気を張っていた。


 ノアールが車を降りたこと。


 おはようの声を受け取ったこと。


 学食で席に座ったこと。


 図書室でノートを書いたこと。


 放課後に、LUMISORAと名前を書いたこと。


 ひとつひとつが、ルミエールの中に残っていた。


「明日も、朝迎えに行きます」


 ルミエールが言うと、ソレイユがうなずいた。


「うん。明日も行こう」


「でも、無理はさせない」


「分かってる」


 ソレイユは、カップを持ち上げた。


「今日はもう、少し休もう」


「そうですね」


 ルミエールは窓の外を見た。


 ノアールのマンションの方角は、ここからは見えない。


 それでも、胸の中で静かに思った。


(明日も、迎えに行く)


 今日一日が終わっても、まだ何も終わっていない。


 けれど今だけは、少しだけ気を抜いてもいい気がした。

読んでいただきありがとうございます。


ノアールの学校復帰初日を終えて、ルミエールとソレイユも少しだけ一息つきました。

けれど、明日もまた朝はやってきます。

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