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第32話 三日月の贈り物

事務所での騒ぎの翌日。

ルミエールとソレイユは、ブランシュのCM打ち合わせに同席します。

 翌日。


 祖父の会社の会議室で、ブランシュのCM出演についての打ち合わせが行われた。


 大きな窓から、午後の光が入っている。


 昨日の事務所とは違い、部屋の空気は静かだった。


 机の上には、撮影日程や契約内容の資料が並んでいる。


 ブランシュは、少し緊張した様子で席についていた。


 その隣には、事務所の社長。


 少し離れた席に、ルミエールとソレイユも座っている。


 昨日のマネージャーの姿はなかった。


 祖父が、落ち着いた声で話を進めていく。


「今回のCMは、ブランシュさんの清潔感と品のある雰囲気を大切にしたいと考えています」


「ありがとうございます」


 ブランシュは、静かに頭を下げた。


 昨日の契約書の前で震えていた姿とは違う。


 けれど、完全に落ち着いているわけでもなかった。


 ルミエールは、ブランシュの横顔を見つめた。


 ママ。


 そう呼びそうになって、心の中で止める。


 この時代のブランシュは、まだルミエールを知らない。


 昨日、自分たちは彼女を助けた。


 でも同時に、彼女の前へ強引に入り込んだ。


 その距離は、まだ近いとは言えなかった。


     *


 打ち合わせは、思っていたより淡々と進んだ。


 撮影の内容。


 使う衣装。


 契約期間。


 出演料。


 事務所側が持ってきた資料は、昨日よりずっと整えられていた。


 祖父は、一つひとつ確認していく。


「この条件であれば、こちらとしては進められます」


 社長が、少しほっとしたように息を吐いた。


「ありがとうございます」


「ただし、昨日お話しした件は、引き続き確認します」


 祖父の声は柔らかい。


 けれど、そこに甘さはなかった。


「ショコラさん、ブランシュさん、ノアールさんの契約と借金の内訳については、後日、正式に資料を出してください」


「……承知しました」


 社長は、短く答えた。


 ブランシュは、そのやり取りを黙って聞いていた。


 昨日まで、自分たちだけでは止められなかったものが、少しずつ形を変え始めている。


 それが本当に良いことなのか、まだ分からない。


 でも、少なくとも、昨日の黒い契約書はもう目の前にない。


 そのことだけは確かだった。


     *


 打ち合わせが終わると、社長は先に席を外した。


 会議室には、祖父とブランシュ、そしてルミエールとソレイユが残った。


 祖父は、資料を閉じてからブランシュへ向き直る。


「ブランシュさん」


「はい」


「少し、お願いがあります」


 ブランシュの肩に、わずかに力が入った。


 事務所での出来事は、まだ胸に残っている。


 祖父は、それを急かさず、静かに続けた。


「私の知り合いから預かっている子たちなのですが」


 祖父は、ルミエールとソレイユを見る。


「あの二人が、ノアールさんに一度会いたいと言っています」


「ノアールに……ですか?」


「ええ。以前、街で助けてもらったお礼を言いたいそうです。それから、同じ学校に通っていることも分かったようで」


 ブランシュは、すぐには答えなかった。


 視線が、ルミエールとソレイユへ向く。


 昨日の事務所で見た二人は、強かった。


 急に扉を開けて、部屋の空気を変えてしまった。


 助けられた。


 それは分かっている。


 でも、何を考えているのか分からない怖さも、まだ残っていた。


「……ノアールは、まだ体調が戻ったばかりです」


「もちろん、無理はさせません」


 祖父は答えた。


「嫌がるようなら、すぐ帰らせます」


 ソレイユが、少し身を乗り出した。


「本当に、少しだけです。こないだ助けてもらったお礼を、ちゃんと言いたいんです」


 ルミエールも、静かに頭を下げる。


「私も、ブランのことでお礼を言いたいです」


 ブランシュは、しばらく二人を見ていた。


 昨日とは違う。


 今の二人は、普通の少女の顔をしている。


 それがかえって、不思議だった。


「……少しだけなら」


 ブランシュは、そう答えた。


「ありがとうございます」


 ルミエールの声は、少しだけ震えていた。


 祖父は、小さくうなずく。


「では、頼みます」


 それは命令ではなかった。


 けれど、ブランシュには断りにくい頼みだった。


 昨日、助けられた。


 今日も、守られる形で契約が進んだ。


 その相手からの、静かなお願い。


 だから、ブランシュはそれ以上断れなかった。


     *


 会社を出ると、夕方の街は少し冷えていた。


 ブランシュの少し後ろを、ルミエールとソレイユが歩く。


 ソレイユは、小さな箱を大事そうに持っていた。


「それは?」


 ブランシュが聞く。


「ノアールさんへのプレゼントです」


 ソレイユは、少し嬉しそうに答えた。


「プレゼント?」


「はい。こないだ助けてもらったお礼です」


 ブランシュは、それ以上聞かなかった。


 箱の中身までは分からない。


 けれど、ソレイユがその箱をとても大事そうに持っていることだけは分かった。


 ルミエールは、隣で静かに歩いている。


 昨日、事務所で見た二人とは違う。


 今の二人は、ただノアールに会うことを少し緊張している、普通の少女たちに見えた。


 そのことが、ブランシュには少し不思議だった。


     *


 マンションに着く頃には、空は薄暗くなっていた。


 エントランスの明かりが灯っている。


 ブランシュは、オートロックを開けながら振り返った。


「ノアールに、急に近づきすぎないで」


「はい」


 ルミエールはすぐに答えた。


「無理はさせません」


 ソレイユも、箱を両手で持ったままうなずく。


「お礼を言って、少し話すだけです」


 ブランシュは、まだ少し疑うように二人を見た。


 昨日のソレイユを思い出す。


 冷たい声。


 金の延べ棒。


 大人たちを黙らせた強さ。


 そして今のソレイユ。


 明るくて、少し子供っぽくて、普通の友達みたいに笑っている。


 同じ人なのに、違いすぎる。


 そのことが、少し怖かった。


     *


 部屋の前に着くと、ブランシュが鍵を開けた。


 中から、ショコラの声がする。


「ブランシュ? おかえり」


「ただいま」


 玄関に出てきたショコラは、ブランシュの後ろにいる二人を見て、言葉を止めた。


「……え?」


 そこには、ソレイユとルミエールが立っていた。


 昨日の事務所で、扉を開けて入ってきた二人。


 契約書を止めた二人。


 そして今は、まるで普通に遊びに来た子みたいな顔をしている二人。


 ショコラは、ブランシュを見る。


「どういうこと?」


「ノアールに会いたいって」


 ブランシュは、少し困ったように答えた。


「スポンサーの社長にも頼まれたのよ。前にノアールに助けてもらったお礼を言いたいんだって」


 ショコラは、すぐには返事をしなかった。


 昨日のことが頭に残っている。


 助けられた。


 でも、怖かった。


 今の二人は、あまりにも雰囲気が違う。


 何なのだろう。


 演技なのか。


 それとも、こちらが昨日の姿しか知らないだけなのか。


「……ノアールに確認してからね」


 ショコラは、少し迷ってからそう言った。


「会いたくないって言ったら、今日は帰ってもらうから」


「はい」


 ルミエールは、静かに答えた。


 声は穏やかだった。


 昨日、歌っていた時の無機質なほど澄んだ雰囲気とは違う。


 ショコラは、胸の奥に小さな違和感を覚えた。


 ちょっと、怖い。


 でも、追い返す理由も見つからなかった。


「……聞いてくる」


 ショコラは、二人を玄関に待たせたまま、リビングの方へ向かった。


     *


 ノアールの部屋の前で、ショコラは一度立ち止まった。


 中から物音はしない。


 でも、何か空気が違っていた。


 ノアールが、もう気づいているような気がした。


 ショコラは軽くノックして、部屋へ入る。


「ねえ……」


 少し戸惑った声になった。


「何か、この二人がノアールに会いたいって言ってきたのよ」


 ノアールは、こちらを見た。


 顔色は悪くない。


 けれど、どこか身構えているように見えた。


 ショコラは、後ろを振り返る。


 ブランシュと並んで、ソレイユとルミエールが入ってくる。


「同じ事務所の子たちなんだけど……知り合い?」


 ノアールは、首を振った。


「……分からない」


 その瞬間、ソレイユの表情がぱっと明るくなった。


「やっぱり、ノアールってあの時の子だったのね!」


 柔らかく、弾むような声。


 昨日の高圧的な空気は、どこにもなかった。


 隣に立つルミエールも、穏やかに微笑んでいる。


 ショコラとブランシュは、思わず顔を見合わせた。


 何、これ。


 演技なのか。


 それとも、これが本来の二人なのか。


 そんな戸惑いをよそに、ソレイユはノアールへ一歩近づいた。


「ねえ、ノアール。こないだは助けてくれてありがとうね。ずっと、お礼が言いたかったの」


 ノアールは、少し戸惑いながらも、小さく頷いた。


「あ……う、うん……」


 ルミエールは、三日月の箱を持つソレイユを見た。


 ソレイユは、いつもの明るい顔でノアールを見ている。


 その横で、ルミエールは静かに息を整えた。


     *


 ソレイユは、自然にノアールの手を取った。


 少し強引だった。


 でも、冷たい強さではなかった。


「ノアールって、どこの高校に行ってるの?」


 ルミエールが、そっと尋ねる。


「私は……ネコノミヤ……」


「えっ、嘘、偶然!」


 ソレイユが声を弾ませた。


「私たちも、ネコノミヤ学院に通ってるの。最近、海外から転入したばかりなのよ」


 それは、事前に話すと決めていたことだった。


 けれど、ソレイユの声は作りものには聞こえなかった。


 本当に、これから一緒に学校へ行くのを楽しみにしているようだった。


「ねえ、今度一緒に学校行こう。ランチも一緒に食べよう?」


 ノアールは、圧倒されたように二人を見ていた。


 でも、拒む様子はなかった。


 その小さな変化に、ルミエールの胸が少しだけ温かくなる。


 ソレイユが、思い出したように箱を差し出した。


「あ、そうだ。これ、私たちからのプレゼント」


 小さな箱。


 ふたを開けると、ゴールドの三日月のペンダントが淡く光った。


「これ、私たちとおそろいのブランドなの」


 ソレイユは、自分の胸元の太陽のモチーフを指さす。


「私は太陽、ルミエールは星。で、ノアールは三日月」


 ルミエールは、静かにノアールを見た。


 三日月。


 真っ暗な夜に、少しだけ残る光。


 消えそうで、消えない光。


 ソレイユは、にっこり笑った。


「形は違うけど、おそろい。これで、私たち親友ね!」


 あまりに強引だった。


 ショコラもブランシュも、何も言えなかった。


 ノアールも、すぐには返事ができない。


 でも、その手はペンダントの箱から離れなかった。


 ルミエールは、それを見て、そっと息を吐いた。


 昨日、扉を開けた。


 今日、ノアールの前に立った。


 まだ何も終わっていない。


 でも、ひとつだけ始まった気がした。


 太陽。


 星。


 三日月。


 三つの光が、ようやく同じ部屋に並んだ。

これなら自然です。

三日月の意味は、ノアールに渡す場面で初めて出した方がきれいです。

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