第33話 星のシャワー
ノアールに三日月のペンダントを渡した夜。
ルミエールとソレイユは、もうひとつの準備を始めます。
別荘へ戻った頃には、夜になっていた。
玄関を入ると、祖父は書斎にいた。
まだ仕事の資料を見ていたらしく、机の上には書類が重なっている。
「戻ったか」
「はい」
ルミエールは、静かに答えた。
ソレイユは、いつもより少しだけ明るい顔をしている。
祖父は二人を見た。
「ノアールさんには会えたのか」
「会えました」
ルミエールはうなずく。
「少し驚かせてしまいましたが……ペンダントも受け取ってくれました」
「そうか」
祖父の声が少しやわらかくなった。
ソレイユは、嬉しそうに言う。
「ちゃんと受け取ってくれたわ。三日月のペンダント」
「三日月か」
「はい。私が太陽で、ルミエールさんが星。ノアールさんは三日月です」
祖父は、少しだけ考えるように目を伏せた。
「悪くない」
その一言に、ソレイユは満足そうに笑った。
ルミエールは、窓の外へ視線を向ける。
夜の庭は静かだった。
ノアールの胸元に光った、小さな三日月。
それを思い出すと、胸の奥が少しあたたかくなる。
「ソレイユ」
ルミエールは、小さく声をかけた。
「あのペンダントにも、魔法をかけていましたよね」
ソレイユは、当然のようにうなずいた。
「もちろん」
「やっぱり」
「だって、ただのおそろいではつまらないでしょう?」
ソレイユは、少しだけ得意げに言った。
「ノアールを守ってくれるわ」
ルミエールは、静かに目を伏せた。
守る。
その言葉が、今はとても重く感じた。
「ノアールさんが、受け取ってくれてよかったです」
「ええ」
ソレイユは、窓の外を見た。
「これで、ひとつは届いたわ」
祖父は、二人の会話を黙って聞いていた。
そして、ゆっくり口を開く。
「明日の朝は、どうするつもりだ」
「ノアールさんのマンションまで迎えに行きます」
ソレイユがすぐに答えた。
「一緒に学校へ行こうと思います」
「無理に連れ出すな」
「分かっています」
ルミエールも続ける。
「ノアールさんが嫌がったら、引きます」
「それでいい」
祖父は、書類を閉じた。
「最初の日は、大事だ」
「はい」
ルミエールはうなずいた。
ノアールが、明日学校へ行く。
そのことを考えると、胸の奥が静かにざわついた。
校門。
教室。
廊下。
昼休み。
そこには、ノアールを傷つけた空気がまだ残っているかもしれない。
ソレイユも、同じことを考えていたのかもしれない。
ふと、顔を上げた。
「……そういえば」
「どうしました?」
ルミエールが聞く。
「学校に、まだ魔法をかけていませんでしたわ」
その言葉に、ルミエールも息を止めた。
「明日からノアールさんが行くのなら……今夜のうちにしないと」
「ええ」
ソレイユは、もう立ち上がっていた。
「行きましょう」
祖父は、二人を見た。
「今からか」
「はい」
ソレイユは、迷いなく答える。
「明日の朝に間に合わせるためです」
祖父は少しだけ黙った。
それから、短く言う。
「目立つな」
「分かっています」
「誰かに見つかるな」
「もちろんです」
ソレイユは明るく答えた。
ルミエールは、少しだけ不安そうに祖父を見る。
祖父は、静かにうなずいた。
「行ってきなさい」
*
その夜。
別荘が静かになった頃。
ルミエールとソレイユは、目立たない魔女の服に着替えた。
手にはそれぞれの杖。
ルミエールの杖には、小さな星の飾りがついている。
ソレイユの杖には、太陽の飾りがついていた。
二人は、庭へ出た。
空には、三日月が浮かんでいる。
満月ほど明るくはない。
だからこそ、星がよく見えた。
ソレイユは、ほうきを一本手に取る。
「行きますよ」
「はい」
ルミエールも、ほうきにまたがった。
次の瞬間。
二人の体は、ふわりと夜の空へ浮かび上がった。
別荘の屋根を越える。
木々の影を越える。
街の灯りが、足元で小さくなっていく。
夜風が、魔女の服を揺らした。
ソレイユの髪が、星明かりの中で淡く流れる。
ルミエールは、前を見た。
向かう先は、ネコノミヤ学院。
ノアールが明日、戻る場所だった。
*
やがて、学校が見えてきた。
休日の夜。
校舎には、ほとんど明かりがない。
校庭も、廊下も、教室も、眠っているようだった。
二人は、学校の上空でほうきを止めた。
下には、静かなネコノミヤ学院。
上には、三日月と星空。
ソレイユが、杖を取り出した。
ルミエールも、星の杖をそっと握る。
「ここですね」
「はい」
二人は、同時に杖を振った。
杖の先から、小さな星のかけらのような光があふれる。
金色。
銀色。
白。
青。
たくさんの粒が、夜空にほどけていく。
それは、やがて流星群のように学校の上を流れた。
音もなく。
静かに。
でも、確かに。
星のシャワーが、校舎へ降りそそいでいく。
屋上に。
窓に。
廊下に。
教室に。
机に。
椅子に。
黒板に。
明日の朝、ノアールが通る場所へ。
光は、夜の学校をやわらかく包んだ。
ソレイユは何も言わなかった。
ただ、まっすぐ学校を見ていた。
ルミエールも、言葉を出さなかった。
ノアールさんが、明日ここへ来る。
そのことだけを、胸の中で思う。
星のシャワーは、しばらく降り続いた。
やがて、光は校舎に溶けるように消えていく。
何も変わっていないように見えた。
けれど、夜の学校は、さっきより少しだけ違って見えた。
*
「終わりましたね」
ルミエールが小さく言った。
「ええ」
ソレイユは、ようやく少し笑った。
「これで、明日の朝を迎えられます」
ルミエールは、校舎をもう一度見下ろす。
あの場所に、ノアールが来る。
ひとりではなく。
自分たちと一緒に。
「明日、迎えに行きましょう」
「もちろん」
ソレイユは、ほうきの向きを変えた。
「ノアールが断っても?」
「その時は、もう一度誘います」
ルミエールは、少しだけ笑った。
「でも、無理はさせません」
「分かってます」
ソレイユは、三日月を見上げた。
「今日は、ここまで」
二人は、再び夜空を飛び始めた。
星の下を、ほうきで渡っていく。
背後には、眠る学校。
その上に、もう見えない星の光が静かに残っていた。
*
別荘へ戻ると、祖父はまだ起きていた。
書斎の明かりが、細く廊下に漏れている。
「戻ったか」
「はい」
ルミエールは答えた。
「見つからなかったか」
「誰にも」
ソレイユが得意そうに言う。
「完璧です」
祖父は、少しだけ疑うようにソレイユを見た。
「その言葉が一番心配だ」
「大丈夫ですわ」
ソレイユは明るく返した。
ルミエールは、静かに言う。
「学校に、星の魔法をかけてきました」
「そうか」
祖父は、それ以上詳しく聞かなかった。
ただ、二人の顔を見て、小さく息を吐く。
「明日の朝は早い。もう休みなさい」
「はい」
ルミエールはうなずいた。
ソレイユも、少しだけ眠そうに目をこすった。
部屋へ戻る途中、ルミエールは窓の外を見た。
三日月が、まだ空にある。
ノアールの胸元にも、同じ形の光がある。
そのことが、少しだけ心強かった。
明日。
ノアールのマンションへ迎えに行く。
そして、一緒に学校へ行く。
ルミエールは、静かに胸に手を当てた。
明日の朝が、ノアールにとって怖いものになりませんように。
言葉にはしなかった。
でも、その願いは、まだ胸の奥で光っていた。
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