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第30話 未来で父が守った人

ノアールたち三姉妹が所属する芸能事務所。

祖父は、ブランシュのCM契約を口実に、事務所へ話を聞きに行きます。

 翌日。


 祖父は、朝から仕事用の車で出かけていった。


 行き先は、キャットスター三姉妹が所属する芸能事務所。


 表向きは、ブランシュをCMに起用するための打ち合わせだった。


 ルミエールとソレイユは、別荘で待つことになった。


「私たちは、行かない方がいいんですね」


 ソレイユが言った。


「最初はな」


 祖父は、出かける前にそう答えていた。


「向こうは契約と金で動く相手だ。まずは、こちらが会社として話を聞く」


「分かりました」


 ルミエールはうなずいた。


 けれど、胸の奥は落ち着かなかった。


 昨日、祖父から聞いた話が残っている。


 キャットスター。


 借金。


 先代社長。


 買収先から来た、今の社長とマネージャー。


 資料の中の話だったはずなのに、もう遠いことには思えなかった。


     *


 芸能事務所の応接室には、所属タレントの写真が並んでいた。


 その中に、ショコラ、ブランシュ、ノアールの写真もある。


 三人で笑っている写真だった。


 祖父は、その前で一度だけ足を止めた。


 やがて、今の社長とマネージャーが入ってきた。


「このたびは、CMのお話をいただきまして」


 社長は、丁寧に頭を下げた。


「まだ正式決定ではありません」


 祖父は落ち着いて答えた。


「候補の一人として、ブランシュさんの名前が上がっている段階です」


「もちろんです」


 社長はすぐに笑った。


「ただ、ブランシュは御社のイメージにも合うと思います。上品で、清楚で、見た目も良い」


 祖父は、すぐには答えなかった。


 見た目も良い。


 その言い方が、少し引っかかった。


「今後の展開案も拝見できますか」


「ええ。ちょうど資料を用意しています」


 マネージャーが、数枚の資料を机に並べた。


 復帰コンサート。


 雑誌特集。


 写真集。


 映画とドラマの出演案。


 スポンサー向けの会食。


 そこには、ショコラとブランシュの名前が大きく書かれている企画がいくつもあった。


 祖父は、一枚ずつ目を通す。


 そして、ある資料で手を止めた。


「これは」


「有名写真家による写真集企画です」


 マネージャーが軽く言った。


「かなり話題になると思いますよ。芸術性の高いものとして売れます」


 祖父は、資料の文面を見た。


 そこに書かれている内容は、ただの写真集ではなかった。


 裸になることを前提にした企画だった。


「ブランシュさんに、これを?」


「ブランシュだけではありません。ショコラも候補です」


 マネージャーは、悪びれずに続けた。


「今のうちに出せば、かなり売れるでしょう。話題性もあります」


 祖父の声が低くなる。


「本人たちは了承しているのですか」


「これから説明します」


 社長が答えた。


「借金のこともありますし、本人たちも分かってくれるでしょう」


 祖父は、次の資料に目を移した。


 映画。


 ドラマ。


 そこにも、濡れ場を含む役の話が並んでいた。


「これもですか」


「女優としての挑戦です」


 マネージャーは笑った。


「ただのアイドルでは終われませんから」


 さらに、スポンサー向けの会食予定。


 企業イベント。


 撮影。


 取材。


 復帰コンサートを軸に、短期間で一気に詰め込まれている。


 祖父は、資料を机に置いた。


「この内容では、うちの会社のイメージに合いません」


 社長の笑顔が、少しだけ固まった。


「と、言いますと?」


「ブランシュさんをCMに起用するなら、彼女の品のある印象を大切にしたい」


 祖父は、まっすぐ社長を見る。


「同時期にこのような企画が出れば、広告のイメージと合わない」


「ですが、話題性はあります」


「話題性だけで広告は作りません」


 祖父の声は静かだった。


 けれど、部屋の空気は少し変わった。


「ショコラさんについても同じです。借金を理由に、本人たちが断りにくい仕事を詰め込む事務所とは、わが社は組みにくい」


 マネージャーが口を開きかけた。


 祖父は、その前に続けた。


「CM契約を進めるなら、この企画は外してください」


「そこまで条件をつけられると、こちらも」


「では、契約は見送ります」


 祖父は、あっさりと言った。


 社長の表情が変わった。


 金額の大きい契約だ。


 しかも、相手は大手企業。


 簡単に捨てられる話ではない。


「……調整は、可能です」


 社長は、少し声を落とした。


「御社の意向に合わせられる部分は、合わせます」


「では、契約書と借金の内訳も確認します」


「それは」


「ブランシュさんを起用する以上、権利関係は確認が必要です」


 祖父は、資料を整えた。


「後日、正式に伺います」


 社長は、もう笑っていなかった。


     *


 祖父が別荘に戻ったのは、夕方だった。


 ルミエールとソレイユは、すぐに書斎へ呼ばれた。


 机の上には、事務所から持ち帰った資料が置かれている。


「どうでしたか」


 ルミエールが聞いた。


 祖父は、少しの間黙っていた。


 それから、低い声で言った。


「予想より悪い」


 その一言で、ルミエールの指先が冷たくなった。


「復帰コンサートだけではなかった」


 祖父は資料を開く。


「写真集、雑誌特集、映画やドラマの話、スポンサー向けの会食。ショコラとブランシュを中心に、短期間で一気に仕事を入れるつもりらしい」


「普通の仕事ではないのですか?」


 ソレイユが聞いた。


「普通の仕事もある。だが、そうでないものも混ざっている」


 祖父は、資料の一部を伏せるように置いた。


「有名写真家によるヌード写真集。濡れ場を含む映画やドラマ。本人たちが望むかどうかより、話題性と金が優先されている」


 ルミエールの手が止まった。


「ママに……そんなことを?」


「ああ」


 祖父は短く答えた。


「今止めなければ、とんでもないことになる」


 その声には、企業の判断だけではない重さがあった。


 ルミエールは、膝の上で手を握った。


 ブランシュ。


 未来で、ママになる人。


 この時代では、まだルミエールのことを知らない人。


 その人が、借金を理由にそんな仕事へ押し出されようとしている。


「……嫌です」


 小さな声だった。


 けれど、部屋にはっきり落ちた。


 ソレイユがルミエールを見る。


 祖父も、何も言わずに待った。


「ママに、そんな仕事をさせたくありません」


 ルミエールの声が震えた。


「この時代のブランシュさんは、私のことを知りません。でも、私にはママなんです」


 言葉が止まらなかった。


「ショコラさんにも、ノアールさんにも、そんなふうに使われてほしくありません」


 ソレイユの表情から、明るさが消えていた。


「それが、最後のひと稼ぎということですか」


「そうだろうな」


 祖父は答えた。


「売れるうちに売る。話題になるうちに出す。そういう考え方だ」


 書斎に、重い沈黙が落ちた。


 やがて、祖父が別の資料を取り出した。


「未来の私からの手紙にも、似たことが書かれていた」


 ルミエールは顔を上げた。


「未来の……おじいちゃんからの手紙に?」


「ああ」


 祖父は、手紙の写しを机に置いた。


「その未来では、ノアールはもういなかった」


 ルミエールの胸が強く痛んだ。


「はい……」


「残されたショコラとブランシュに、事務所は同じような仕事を押し込もうとしていたらしい」


「ママと、ショコラさんに……」


「息子は、それを嫌がった」


 祖父の声が、少しだけ変わった。


「ブランシュにそんな仕事をさせたくないと、かなり強く反対したようだ」


「パパが……」


「ああ。結果として、わが社はかなり高額なCM契約を結んだ。事務所にとっては、そちらの方が金になる形にした」


 祖父は、今度は今日の資料に視線を落とした。


「今回も、構造は似ている」


「でも、今回はノアールさんが生きています」


 ソレイユが言った。


「そうだ」


 祖父はうなずいた。


「本来の未来では、私と息子が守ったのはショコラとブランシュだった。だが今回は違う。ノアールもここにいる」


 ルミエールは、息を吸った。


「今回は、三人とも……」


「ああ」


 祖父は静かに答えた。


「ショコラとブランシュについては、私と息子で動く。CM契約を使い、事務所に条件を出す。少なくとも、二人を望まない仕事へ押し出させるつもりはない」


「ママと、ショコラさんを……」


「こちらで守る」


 祖父は、まっすぐルミエールを見た。


「だが、ノアールは君たちの力も借りたい」


「私たちの……」


「学校も同じだ。年齢も近い。私や息子が企業として守れる範囲とは別に、君たちでなければ届かない場所がある」


 ルミエールは、黙ってうなずいた。


 教室。


 昼休み。


 学校の空気。


 ノアールの隣。


 そこへ行けるのは、祖父ではない。


 未来の父でもない。


「ノアールさんのそばにいることですね」


「そうだ」


 祖父は答えた。


「だから、君たちにも協力してほしい」


 ソレイユが、少しだけ姿勢を正した。


 祖父は、机の上の資料を整えた。


「明日の夕方、もう一度事務所へ行く。表向きは、CM契約の話だ」


「私たちも行っていいのですか?」


 ルミエールが聞く。


「ああ。現地で待っていなさい。私は仕事がある。少し遅れて合流する」


 祖父は二人を見た。


「私が着くまでは動かない。中にも入らない。いいね」


「はい」


 ルミエールは答えた。


 ソレイユは、少しだけ視線を落とした。


 その様子を見て、祖父は小さく息を吐く。


「もしもの時の後始末は、こちらで引き受ける。だが、最初から騒ぎを起こしに行くな」


 それ以上、ソレイユは何も言わなかった。


 書斎の明かりが、机の上の資料を白く照らしている。


 未来で父が守ろうとした人。


 今、この時代で守りたい人。


 そして、まだ生きているノアール。


 ルミエールは、胸の奥に残る震えを押さえるように、静かに息を吸った。


 明日。


 ついに、事務所へ行く。


 待つだけの時間は、終わろうとしていた。

読んでいただきありがとうございます。

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