第29話 事務所の影
ノアールたち三姉妹が所属する芸能事務所。
その裏側にあるものが、少しずつ見えてきます。
その夜。
別荘の書斎には、いくつもの資料が並んでいた。
ルミエールとソレイユは、祖父の向かいに座っている。
窓の外は、もう暗い。
昼間のやわらかな光は消え、部屋の中には静かな明かりだけが残っていた。
「ノアールの事務所について、少し分かってきた」
祖父が言った。
ルミエールの背筋が、自然に伸びる。
「事務所……」
「ああ。うちの会社も広告を出している。芸能界とのつながりはある」
祖父は、机の上の資料を一枚引き寄せた。
「元々、うちではブランシュをCMに起用する話が出ていた」
「ママを……?」
ルミエールの声が、少しだけ揺れた。
「息子が、彼女のファンでな」
「パパが、ママのファンだったんですね」
「ああ。次の広告にどうかという話はあった。だが、正式には決めず、保留にしていた」
祖父は、ルミエールを見る。
「そこへ、君が来た」
ルミエールは、何も言わずに祖父の言葉を待った。
「ブランシュが、未来で君の母になる人だと分かった。だから、所属事務所を調べ直した」
祖父は、別の資料を机に置いた。
「すると、ブランシュだけではなかった」
「……ショコラさんとノアールさんも」
「そうだ」
祖父はうなずいた。
「三人とも、同じ事務所に所属している。キャットスターという三姉妹ユニットとして、ずっと活動してきたようだ」
ルミエールは、資料に並ぶ名前を見つめた。
ショコラ。
ブランシュ。
ノアール。
三つの名前が、同じ紙の上にあった。
「先代の社長がいた頃は、三人の住まい、生活費、学費まで、かなり面倒を見ていたらしい」
「住まいも、学費も……」
「ああ。所属タレントというより、保護者に近い扱いだったのだろう」
祖父の声は、少しだけ低くなった。
「だが、ノアールが体調を崩すようになってから、仕事のキャンセルや延期が増えた」
「そのたびに、違約金が発生している」
「違約金……」
ルミエールは、小さく繰り返した。
「それが積み重なり、事務所は傾いた。先代は責任を問われ、今は表に出ていない」
ソレイユが、資料を静かに見つめる。
「では、今の社長やマネージャーは?」
「買収先から送り込まれた人間だ」
祖父は答えた。
「成果主義で、情は薄い。先代が抱えていた費用も、違約金も、今は三人への借金として扱っているようだ」
ルミエールの手が、膝の上で止まった。
三人への借金。
その言葉が、重く残る。
「ノアールが働けないなら、ショコラとブランシュで返させる。そういう考え方をしている」
「ショコラさんと、ママを……」
「最後の手段として、二人を大きく売り出して、一気に稼がせる話も出ているらしい」
ルミエールは、資料から目を離せなかった。
まだ会っていない、この時代のママ。
未来で自分を抱きしめてくれた人が、今は契約と借金の中にいる。
そう思うと、胸の奥が苦しくなった。
「お金なら」
ソレイユが、静かに口を開いた。
「私が持ってきた金を使えば、解決するのではありませんか?」
祖父は、すぐには答えなかった。
「出しすぎるのも良くない」
「どうしてですか?」
「相手は、金で人を縛っている。そこへ大きな金を見せれば、もっと取れると思うだけだ」
ソレイユは黙った。
「金を払うだけでは、鎖は切れない。契約を握られたままなら、また別の名目で縛られる」
「では、どうすればいいのですか?」
「こちらが主導権を取る」
祖父は、静かに言った。
「スポンサーとして入り、仕事を作る。条件はこちらが出す」
ルミエールが顔を上げる。
「ブランシュさんのCMですか?」
「ああ」
祖父はうなずいた。
「ただのCM起用では終わらせない。仕事を出す側として、三人の契約と借金の中身を見る」
「見せてくれるのでしょうか」
「見せざるを得ない形にする」
祖父の声は、落ち着いていた。
けれど、その言葉には強さがあった。
「向こうは数字で動く。なら、こちらも数字で話す」
ソレイユは、少しだけ身を乗り出した。
「つまり、ブランシュさんを助けるために、仕事を用意するのですね」
「ブランシュだけではない」
祖父は言った。
「ショコラ、ブランシュ、ノアール。三人が、これ以上好き勝手に扱われない形にする」
ルミエールは、ブランの背をそっと撫でた。
白い猫は、膝の上でおとなしくしている。
学校の噂。
昼休み。
教室。
そこだけを変えればいいと思っていたわけではない。
でも、ノアールを囲むものは、想像していたよりもずっと広かった。
「明日、先方と話をする」
祖父が言った。
「表向きは、CM起用の相談だ」
「本当は?」
ソレイユが聞く。
「契約と借金の中身を探る」
祖父は資料を閉じた。
「焦るな。相手は金と契約で動く。感情だけで踏み込めば、逆に利用される」
「分かりました」
ソレイユはうなずいた。
けれど、その声には、すでに何かを決めたような強さがあった。
ルミエールは、資料の端に書かれたブランシュの名前を見る。
ママ。
まだ、そう呼ぶことはできない。
この時代のブランシュは、ルミエールのことを知らない。
それでも。
守りたいと思った。
ノアールも。
ショコラも。
ブランシュも。
まだ、誰も終わっていない。
祖父は最後に、静かに言った。
「今は、事務所の中へ正面から入る準備をする段階だ」
「はい」
ルミエールは答えた。
ソレイユも、まっすぐ祖父を見る。
リビングの外では、夜の風が窓を揺らしていた。
ノアールを縛っているものが、少しずつ形を持ち始めている。
それは、黒い影よりもずっと現実的で。
そして、簡単には消えないものだった。
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