第22話 急報
ノアールについて急な連絡が入ってきた話です。
ネコノミヤ学院への編入は決まった。
あとは制服が届き、通学に必要なものがそろえば、ルミエールはルミエール・クレールとして学院へ通うことになる。
けれど、その朝の別荘は、どこか落ち着かなかった。
使用人たちが通学用の鞄や靴、筆記用具の準備を進めている。
制服は急ぎで手配しているものの、まだ届いていない。
ルミエールは部屋で書類を見直していた。
ネコノミヤ学院。
ママが通った学校。
未来の月にも残っていた学校。
そして、ノアールが通っている学校。
ようやくそこへ近づける。
そう思うほど、胸の奥が落ち着かなかった。
その時、廊下の向こうで足音が止まった。
「お嬢様」
使用人の声だった。
「旦那様が、すぐ書斎へお越しくださいと」
ルミエールは顔を上げた。
ただの呼び出しではない。
声の硬さで、それがわかった。
「はい」
書類を置き、急いで書斎へ向かう。
扉を開けると、祖父は机の前に立っていた。
机の上には受話器が置かれている。
さっきまで誰かと話していたのだろう。
祖父の顔色が、わずかに変わっていた。
それでも、声だけはいつものように落ち着かせていた。
ゆっくり焦らずに進める。
そう言っていたはずなのに、事態のほうが先に動いてしまった。
「おじいちゃん……?」
祖父は机の上のメモに視線を落とし、それからルミエールを見た。
「ノアールについて調べさせていた者から連絡が入った」
その一言だけで、ルミエールの背筋が冷えた。
「ネコノミヤ学院で、ノアールが倒れたらしい」
呼吸が止まった。
ノアールが倒れた日。
もっとちゃんと確認してくるべきだった。
まだ少し時間があると思っていた。
その思い込みが、胸を刺した。
「搬送先は、学校から近いネコノミヤ大学附属病院だそうだ。今、病院側にも確認を取っている」
祖父の声は落ち着いていた。
だからこそ、事態の重さがはっきりと伝わってくる。
ルミエールは机の端に手を置いた。
学校で倒れる。
病院へ運ばれる。
そこから、何かが始まってしまう。
未来で聞いた話が、今、この時代で起きている。
「ここで助けなければ……」
声が震えた。
「ここで助けなければ、ノアールは死んでしまいます」
祖父は何も言わなかった。
けれど、その沈黙は否定ではなかった。
「ソレイユさんを呼ばないと」
ルミエールは顔を上げた。
「今すぐ、呼ばないと」
「わかっている」
祖父は短く答えた。
「通信をつなぐ」
ルミエールは小さくうなずき、通信端末を取り出した。
指先が震えている。
それでも、止まっている場合ではなかった。
祖父が横から静かに言う。
「落ち着きなさい。急ぐ時ほど、手順を間違えやすい」
「……はい」
ルミエールは息を吸い、送信先を確認した。
宇宙側の中継点。
ソレイユの識別。
呼び出しの光が、机の上に淡く広がる。
数秒後、通信がつながった。
「ルミエールさん」
「ソレイユさん」
名前を呼んだだけで、胸が詰まりそうになった。
でも、言わなければならない。
「ノアールさんが倒れました」
ソレイユの声から、やわらかさが消えた。
「学校で倒れて、ネコノミヤ大学附属病院へ運ばれたそうです」
「……わかりました」
ソレイユは迷わなかった。
「すぐに向かいます」
祖父が端末の前へ一歩進む。
「荷物は」
「後から送ります。今は到着を優先しました」
「到着座標は、別荘の敷地内へ」
「はい」
ソレイユはルミエールに向けて言った。
「ルミエールさん」
「はい」
「待っていてください。必ず行きます」
その言葉に、ルミエールは小さくうなずいた。
「早く来てください」
祈るような声だった。
「ノアールを、助けたいです」
「もちろんです」
ソレイユは静かに答えた。
「そのために、私は向かいます」
通信が切れた。
書斎に静けさが戻る。
けれど、もう何もかもが変わっていた。
編入の準備。
制服。
通学の鞄。
それらが急に遠く見えた。
ルミエールが学校へ入る前に、ノアールは倒れてしまった。
間に合わなかった。
その思いが胸を締めつける。
祖父が言った。
「まだ終わっていない」
ルミエールは顔を上げた。
「倒れたということは、まだ生きているということだ」
「……はい」
「動けるところから動く」
祖父は机の上のメモを取った。
「病院側への確認は続ける。こちらからも人を出す。君はソレイユ王女の到着に備えなさい」
「はい」
それからの時間は、長く感じた。
使用人たちは別荘の一部を開け、到着に備えていた。
祖父は何本も連絡を取っている。
病院。
調査を頼んでいた者。
関係先。
言葉は短いが、その動きは早かった。
ルミエールは部屋に戻ったものの、座っていられなかった。
机の上には、まだ届いていない制服の案内がある。
それを見ると、胸が痛んだ。
あの制服を着て、ノアールに会うはずだった。
学校で少しずつ近づいて、今のノアールを知るはずだった。
けれど、もうノアールは学校にはいない。
病院にいる。
未来で聞いた、あの場所へ向かっている。
「……ごめんなさい」
誰に向けた言葉なのか、自分でもわからなかった。
ノアールへ。
ママへ。
未来の自分へ。
それとも、何もかもをきちんと調べきれなかった自分へ。
ルミエールは銀色の髪留めに触れた。
ママが持たせてくれたもの。
指先に冷たい感触が残る。
「まだ、間に合う」
そう言い聞かせた。
その時、外の空気が低く震えた。
窓の向こうで、庭の木々がざわりと揺れる。
ルミエールは顔を上げ、窓へ走った。
別荘の敷地の上空に、白銀の光が見えた。
雲を切るように、一機のUFOが降下してくる。
細身でなめらかな機体。
光の尾を引きながら、音を抑えて高度を落としていく。
「ソレイユさん……!」
ルミエールは部屋を飛び出した。
階段を下り、玄関を抜ける。
外へ出ると、祖父もすでに庭にいた。
UFOは着陸スペースへ静かに降り立つ。
扉が開いた。
最初に降りてきたのは、ソレイユだった。
白を基調にした、パーティーで着るような華やかなドレスをまとっている。
スカートの裾には、虹色の光がやわらかく広がっていた。
着替える時間も惜しんで、そのまま駆けつけたのだとわかった。
手元には、小さなケースが一つだけあった。
「ルミエールさん」
「ソレイユさん」
二人は駆け寄るように向かい合った。
「来てくれて、ありがとうございます」
「当然です」
ソレイユはすぐに首を振った。
「ノアールさんは」
「ネコノミヤ大学附属病院です。まだ詳しいことは……」
ルミエールが言いかけた時、祖父が歩み寄った。
「病院側から追加の情報が入った」
二人は同時に祖父を見る。
「ノアールは意識不明。集中治療室に入った」
ルミエールの指先が冷たくなる。
「それだけではない」
祖父の声が低くなった。
「病院の上空に、妙なものが現れているらしい」
「妙なもの……」
「黒い渦のようなものと、歪んだ光の円だそうだ」
ソレイユの表情が変わった。
「魔法陣に近いものですね」
「やはりそうか」
祖父が言う。
「通常の現象ではない。病院側も混乱している」
ルミエールは息をのんだ。
黒い渦。
魔法陣。
まだ見ていないのに、その言葉だけで胸の奥がざわついた。
「行きましょう」
ソレイユが言った。
迷いのない声だった。
「ここからは、時間を失えません」
祖父はすぐに車を用意させた。
別荘に降りたばかりのソレイユを乗せ、車はネコノミヤ大学附属病院へ向かった。
車内では、誰も余計なことを言わなかった。
ソレイユは小さなケースから端末を取り出し、何かの反応を測っている。
その画面には、ルミエールには読めない波形が揺れていた。
「反応があります」
ソレイユが言った。
「病院の方角から、魔力の乱れが出ています」
「危険なのか」
祖父が聞く。
「この距離では断定できません。ただ、普通の魔法陣ではありません」
ルミエールは膝の上で手を握った。
「ノアールは……」
続きが言えない。
ソレイユは画面から目を離し、ルミエールを見た。
「助けるために来ました」
その言葉は短かった。
けれど、ルミエールはそれだけで少し呼吸が戻った。
車が病院へ近づくにつれて、空が暗く見え始めた。
夕方だからではない。
病院の上だけが、妙に沈んでいる。
ネコノミヤ大学附属病院は、学院からほど近い大きな病院だった。
白い建物の上に、本来あるはずのない影が浮かんでいる。
車が玄関前に止まる。
ルミエールは降りる前から、空を見ていた。
病院の上だけ、夜が濃く沈んでいた。
黒い雲のようなものが、風もないのにそこへ留まっている。
その内側で、歪んだ魔法陣がゆっくりと回っていた。
ルミエールは息をのむ。
こんなものが、本当に現れるのだ。
ソレイユも隣に立ち、同じ空を見上げていた。
「……始まっています」
その声は、静かだった。
あの下に、ノアールがいる。
今、ここで止めなければならない。
「ソレイユさん」
「はい」
「行きましょう」
ソレイユはうなずいた。
二人の力を合わせれば、きっと助けられる。
そう信じて、ルミエールとソレイユは黒い渦の下へ向かった。
その闇の下で、ノアールはまだ生きている。
読んでいただきありがとうございます。




