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第21話 ネコノミヤ学院へ

ルミエールが、ネコノミヤ学院への編入に向けて動き出す話です。

 朝食のあと、祖父はルミエールを書斎へ呼んだ。


 机の上には、すでにいくつもの書類が並んでいた。


 学校の資料。


 編入に必要な書類。


 そして、一枚の紙に書かれた新しい名前。


「学校では、ルミエール・クレールと名乗りなさい」


「クレール……ですか」


「スターリングの名は出せない。だが、ルミエールという名は残したほうがいい」


「はい」


 名前の話は、それだけだった。


 長く考えている時間はない。


 ルミエールは紙に書かれた名前を見つめた。


 ルミエール・クレール。


 スターリングではない。


 けれど、ルミエールは残っている。


 それだけで、少しだけ安心できた。


「学校はここだ」


 祖父が一枚の資料を差し出した。


 そこに書かれていた名前を見た瞬間、ルミエールは息を止めた。


 ネコノミヤ学院。


 それは、ママが通っていた学校の名前だった。


 そして、未来の月でルミエール自身が通っている学校の名前でもある。


「……同じ名前」


 思わずつぶやくと、祖父が顔を上げた。


「知っているのか」


「はい。未来の月にも、同じ名前の学校があります」


 ルミエールは資料の文字を見つめた。


「私も、月のネコノミヤ学院に通っています」


「そうか」


 祖父は短く答えた。


 けれど、その目は少しだけ考え込むように資料へ落ちた。


「では、君にとっても無関係ではない学校ということだな」


「はい」


 胸の奥が、静かに揺れていた。


 ママが通った地球のネコノミヤ学院。


 自分が通っている月のネコノミヤ学院。


 その名前が、十九年前の地球で重なっている。


 偶然とは思えなかった。


「編入の件は、こちらでかなり話を進めてある」


 祖父は別の書類を手に取った。


「学院には、うちの会社から多額の寄付をする」


「寄付、ですか」


「表向きは教育支援だ。だが、君の編入の話も通しやすくなる」


 ルミエールは少しだけ戸惑った。


「そんなにしていただいていいんですか」


「必要なことだ」


 祖父ははっきり言った。


「ただし、寄付だけで入るわけではない。君自身の学力も見られる」


「はい」


「宇宙での君の成績はどうかね」


 ルミエールはまっすぐ答えた。


「学校では、いつも学年トップです」


 祖父は一瞬だけ黙った。


 それから、ほんの少しだけうなずく。


「それなら、編入試験は大丈夫だな」


「地球の問題形式には、少し慣れが必要かもしれません」


「それでも、基礎があるなら十分だ」


 祖父は書類を整えた。


「それから、もう一人、後から知り合いの子を入学させたいという話も通しておいた」


「ソレイユさんの分ですね」


「ああ」


 祖父は短くうなずく。


「来てから慌てるより、先に道だけ作っておく」


 ルミエールは胸の奥が少し温かくなった。


 ソレイユはまだ地球に来ていない。


 けれど、ここに来るための道は、もう作られ始めている。


「面談は今日の午後だ」


「今日ですか」


「早く動けるところから動く」


 祖父はいつもの調子で言った。


「編入試験もある。準備しておきなさい」


「はい」


 午後になると、祖父の車でネコノミヤ学院へ向かった。


 門が見えた瞬間、ルミエールは言葉を失いかけた。


 月のネコノミヤ学院と、似ているところがある。


 けれど、建物の古さも、木々の匂いも、空の広さも違っていた。


 ここに、ママが通っていた。


 そして、ノアールもいる。


 祖父が隣で静かに言った。


「落ち着きなさい」


「はい」


「今日は面談と試験だけだ。ノアールに会いに来たわけではない」


「……はい」


 その言葉で、胸の早さが少しだけ戻る。


 今はまだ、急いではいけない。


 校舎の中へ入ると、応接室へ通された。


 学院長と、数人の教師が待っていた。


 祖父の名は、すでに通っているのだろう。


 学院側の対応は丁寧だった。


「こちらが、ルミエール・クレールさんですね」


「はい」


 ルミエールは頭を下げた。


「ルミエール・クレールです。よろしくお願いいたします」


 自分の口からその名前を言うのは、少し不思議だった。


 けれど、反応は遅れなかった。


 祖父が言った通り、ルミエールという名を残してよかったのだと思う。


 面談では、家庭の事情で日本に来たこと。


 祖父の遠縁としてしばらく預かられること。


 環境を変えて学びたいこと。


 あらかじめ決めていたことだけを、落ち着いて答えた。


 未来のことは言わない。


 月のことも言わない。


 ノアールのことも言わない。


 ただ、ルミエール・クレールとして、そこに座っている。


「では、簡単な学力確認を行いましょう」


 教師がそう言った。


 ルミエールは小さくうなずいた。


「はい」


 別室に案内され、試験が始まった。


 国語。


 数学。


 理科。


 社会。


 英語。


 地球の表記に少し戸惑うところはあった。


 社会だけは、この時代の地理や制度に少し迷う問題もあった。


 けれど、行く前に調べた資料の範囲で答えられるものが多かった。


 問題そのものは、難しくない。


 ルミエールは一問ずつ丁寧に解いていく。


 迷う問題もほとんどなかった。


 試験が終わると、再び応接室へ戻された。


 祖父はいつも通り落ち着いて座っていた。


「どうだった」


「大丈夫だと思います」


「そうか」


 それだけだった。


 けれど、その短さがかえって落ち着いた。


 しばらくして、教師たちが答案を持って戻ってきた。


 最初に入ってきた教師は、少しだけ表情を整え直してから席に着いた。


「結果ですが……学力面では、まったく問題ありません」


 別の教師が答案を机の上に置く。


「ほぼ満点です」


 空気が少し変わった。


 学院長も答案に目を落とし、静かにうなずいた。


「海外から来られたと伺っていましたが、日本語の読解もかなり正確ですね」


「ありがとうございます」


 ルミエールは頭を下げた。


 祖父は表情を変えなかったものの、心の中ではそう思っていた。


 さすが、我が孫だ。


「この成績でしたら、編入後の授業にも十分ついていけるでしょう」


 教師がそう言った。


 祖父はそこで初めて口を開いた。


「では、受け入れは可能と考えてよろしいかな」


 学院長はうなずいた。


「はい。手続き上の調整は必要ですが、編入はお受けできます」


 ルミエールは息を止めた。


 編入はお受けできます。


 その言葉が、胸の奥で何度も響いた。


「ただし、クラスについてはこちらで調整いたします」


 学院長は続けた。


「もちろんです」


 祖父は穏やかに答えた。


 ルミエールは口を挟まなかった。


 同じクラスになるかは、まだわからない。


 それでも、ネコノミヤ学院に入る道は開いた。


 ノアールに近づくための、一番大きな扉が開いた。


 帰りの車の中で、ルミエールはしばらく黙っていた。


 資料の入った封筒を膝の上に置き、両手でそっと押さえる。


「うれしくないのか」


 祖父に聞かれて、ルミエールはすぐに首を振った。


「うれしいです」


「なら、そんな顔をするな」


「すみません」


「謝る必要はない」


 祖父は窓の外を見たまま言った。


「近づいた分だけ、怖くなったのだろう」


 その言葉に、ルミエールは何も返せなかった。


 その通りだった。


 学校に入れる。


 ノアールに近づける。


 でもそれは、失敗できない場所に近づいたということでもある。


「今日はよくやった」


 祖父が言った。


 その一言は静かだった。


 けれど、ルミエールの胸にまっすぐ落ちた。


「ありがとうございます」


「編入は決まった。制服の調整と書類は、こちらで進める」


「はい」


「ソレイユ王女の分も、道は残しておく」


「はい」


「ただし、浮かれるな」


 ルミエールは小さくうなずいた。


「わかっています」


「ならいい」


 車は別荘へ戻っていく。


 夕方の光が、窓の外を流れていた。


 ネコノミヤ学院。


 ママが通った学校。


 未来の月にも残っていた学校。


 そして、これから自分が通うことになる学校。


 ルミエールは封筒を見つめた。


 その中に、編入に向けた書類が入っている。


 紙の重さは軽い。


 けれど、そこにある意味は重かった。


 別荘へ戻ると、祖父は使用人へ短く指示を出した。


「制服の手配を急いでくれ。通学に必要なものも揃える」


「かしこまりました」


「それから、今日から彼女はルミエール・クレールとして扱う」


「承知いたしました」


 使用人は静かに頭を下げた。


 ルミエールは少しだけ背筋を伸ばした。


 ルミエール・クレール。


 それが、十九年前の地球で学校へ入るための名前。


 ノアールへ近づくための名前。


 夜、部屋に戻ったルミエールは、机の上に制服の案内を広げた。


 月のネコノミヤ学院と似た制服。


 けれど、これは地球の制服だ。


 これを着て、あの学校へ行く。


 もしかしたら、廊下ですれ違うかもしれない。


 教室のどこかで、ノアールの声を聞くかもしれない。


 そう思うと、胸が苦しくなるほど早くなった。


 机の端には、ママからもらった銀色の髪留めが置いてある。


 ルミエールはそれにそっと触れた。


「ママ……」


 ママが通った学校へ行くよ。


 そう心の中でつぶやいた。


 まだノアールには会えていない。


 まだ何も救えていない。


 けれど今日、確かに一歩進んだ。


 ルミエール・クレールとして、ネコノミヤ学院へ。


 その道は、たしかに光で照らされ始めていた。

読んでいただきありがとうございます。

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