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第20話 最初の連絡

ルミエールが、ソレイユへ地球到着後の連絡を入れる話です。

 夕食は、思っていたよりも静かだった。


 広い食堂に用意された席は、ルミエールと祖父の二人分だけだった。


 長いテーブル。


 白い皿。


 磨かれた銀のカトラリー。


 使用人たちは必要な時だけ静かに現れ、すぐに下がっていく。


 月の暮らしとは違う。


 過去の地球の家の、整えられた静けさがそこにあった。


「食べられそうか」


 祖父に聞かれて、ルミエールは小さくうなずいた。


「はい」


 そう答えたものの、緊張であまり味はわからなかった。


 それでも、温かいスープを口にすると、体の奥が少しだけゆるむ。


 地球へ着いてから、ずっと気を張っていたのだと気づいた。


「無理に話さなくていい」


 祖父はそう言って、ナイフとフォークを静かに置いた。


「今日は移動も多かった。食事の時くらいは休みなさい」


「……はい」


 ルミエールは少しだけ肩の力を抜いた。


 祖父は必要以上に優しい言葉をかけない。


 けれど、見ていないわけではない。


 そこは、未来で知っている祖父と同じだった。


 食事が終わると、祖父は使用人に短く声をかけた。


「書斎を使う」


「かしこまりました」


 ルミエールは鞄を持って立ち上がった。


 小さな通信端末は、その中に入っている。


 ソレイユへ連絡する。


 そう思うだけで、胸が少し早くなった。


 祖父のあとについて廊下を進む。


 別荘の書斎は、会社の会議室とは違う重さがあった。


 壁一面の本棚。


 大きな机。


 古い革の椅子。


 窓の外には、夜の庭が静かに沈んでいる。


「ここなら外へ音は漏れにくい」


 祖父はそう言って、机の上を空けた。


「端末を見せてくれ」


「はい」


 ルミエールは鞄から通信端末を取り出した。


 月で使っていたものより小型で、宇宙側との短い通信だけに特化した機械だった。


 祖父はそれを受け取りはしなかった。


 机の上に置かれた端末を、距離を保って見る。


 勝手に触らないところが、研究者らしいと思った。


「これは、どこへつながる」


「宇宙側の中継点です。そこからソレイユさん側へ届きます」


「直接ではないのか」


「はい。時間を越えて来ているので、長い通信は不安定になります。短い文章だけなら送れると思います」


 祖父は少し考える。


「つまり、こちらの状況を全部説明するには向かない」


「はい」


「余計なことを書くと、途中で欠ける可能性もある」


「あります」


「なら、要点だけだ」


 祖父は椅子に座り、紙を一枚引き寄せた。


「先に文章を決める」


「はい」


 ルミエールも向かいに座った。


 祖父はペンを手に取る。


「まず、無事に地球へ到着したこと」


「はい」


「過去の私と接触できたこと」


「はい」


「現在は私の別荘に滞在していること」


「はい」


「タイムマシンは別荘地下へ移動済み」


「それも入れたほうがいいです」


「そして、ソレイユ王女の到着は少し待つよう伝える」


 ルミエールは顔を上げた。


「待つように、ですか」


「そうだ」


 祖父はペンを止めずに言った。


「今すぐ来られても、こちらの準備が足りない」


「でも、ソレイユさんはきっと心配しています」


「だから連絡する」


 祖父は静かに答えた。


「心配させないために、来させるのではない。安全に来てもらうために、状況を整える」


 その言葉に、ルミエールは何も言えなかった。


 正しい。


 けれど、ソレイユに早く来てほしい気持ちもあった。


 一人ではないとわかっていても、この時代の地球で知っている人はまだ祖父だけだ。


 祖父はルミエールを見た。


「不安か」


「少しだけ」


「だろうな」


 祖父はそう言って、紙に短く書き足した。


「では、不安にさせない文にする」


 ルミエールは少しだけ息を吸った。


「お願いします」


 祖父は書いた文章を、ルミエールのほうへ向けた。


『地球到着。過去の祖父と接触済み。現在は祖父の別荘に滞在。タイムマシンは別荘地下へ移動済み。こちらでノアールへの接触準備を進めています。ソレイユさんは、こちらの受け入れ態勢が整うまで待機してください。詳細は次の連絡で伝えます。ルミエール』


 ルミエールはその文章を黙って読んだ。


 短い。


 けれど必要なことは入っている。


「どうだ」


「大丈夫です」


「君の言葉も入れるか」


「私の言葉、ですか」


「あまり長くはできない。だが、本人の一言があるだけで受け取り方は変わる」


 ルミエールは少し考えた。


 ソレイユの顔を思い出す。


 宇宙会議で会った時、彼女は小柄なのに、背筋を伸ばしていた。


 姫として、逃げずにそこにいた。


 だからこそ、ルミエールは一人で先に来た。


「……では、最後に」


 ルミエールはゆっくりと言った。


「私は大丈夫です。次は、ちゃんと地球で会いましょう。と入れてください」


 祖父はそれを聞き、紙に書き足した。


「これでいいか」


「はい」


 ルミエールは端末を起動した。


 淡い光が机の上に広がる。


 祖父はその光を静かに見ていた。


 不思議そうな顔はしない。


 けれど、興味がないわけでもない。


 むしろ細かい動きの一つひとつを覚えようとしているようだった。


「送信先を指定します」


 ルミエールは小さな画面に触れた。


 宇宙側の中継点。


 ソレイユの通信識別。


 何度も確認してから、文章を入力していく。


 指先が少し震えた。


「慌てなくていい」


 祖父の声が落ちる。


「はい」


 最後の一文まで入れ終え、ルミエールは送信ボタンに指を置いた。


 ほんの一瞬、ためらう。


 これを送れば、ソレイユは待つことになる。


 自分はもう少し、この地球で先に動くことになる。


「送ります」


「ああ」


 ルミエールはボタンを押した。


 端末の光が一度だけ強くなり、すぐに落ち着く。


 小さな表示が出た。


 送信完了。


「届いたのか」


「はい。少なくとも中継点までは届きました」


「返事は」


「すぐには来ないかもしれません」


「そうか」


 祖父はペンを置いた。


「では、次はこちらの動きだ」


 ルミエールの背筋が自然と伸びる。


「ノアールのことですね」


「ああ」


 祖父は机の引き出しから、一枚の紙を取り出した。


 そこには、学校名らしきものと、いくつかの会社名が書かれていた。


「まだ確定ではない。だが、今日中に調べられる範囲ではここまでだ」


 ルミエールは紙に目を落とした。


 見覚えのある名前があった。


 未来で聞いたことのある学校。


 ノアールがいた場所。


「ここに……」


 声が小さくなる。


「まだ本人に会えると決まったわけではない」


 祖父は先に言った。


「はい」


「ただ、接点を作るなら、この学校が一番自然だろう」


「私も、そう思います」


 ルミエールは紙を見つめた。


「同じ歳なら、編入生として入るのが一番近づきやすいです」


「問題は、君の身分だ」


 祖父はすぐに言った。


「この時代の戸籍も、学校の記録もない」


「あ……」


 ルミエールの顔が少し曇る。


 考えていなかったわけではない。


 けれど、祖父の口から現実として言われると、急に壁が見えた。


「そこはこちらで考える」


「できますか」


「簡単ではない」


 祖父ははっきり言った。


「だが、不可能ではない」


 その言葉に、ルミエールは少しだけ息をついた。


「ありがとうございます」


「まだ礼を言う段階ではない」


 祖父は紙の上を指で軽く叩いた。


「学校へ入れるとしても、君がノアールにどう接するかが問題だ」


「近づきすぎないように、ですか」


「そうだ」


 祖父はうなずく。


「未来のことをいきなり話せば、警戒される。下手をすれば、かえって状況を悪くする」


「はい」


「まずは同じ場所にいること。様子を見ること。必要な時だけ助けること」


 ルミエールはその言葉を胸に入れた。


 ノアールを助けたい。


 けれど、助けたいという気持ちだけで突っ込めば、きっと失敗する。


「私は、ノアールに会ったら……」


 言いかけて、止まる。


 何を言えばいいのだろう。


 未来から来ました。


 あなたはこのままだと亡くなります。


 地球も宇宙も危ないです。


 そんなことを言えるはずがない。


 祖父はルミエールの迷いを見ていた。


「最初から助けようとしなくていい」


「え?」


「最初は、知ることだ」


 祖父は静かに言う。


「今のノアールが、何に困っているのか。誰を信じているのか。何を隠しているのか。それを知らなければ、助け方も決められない」


 ルミエールはゆっくりとうなずいた。


「はい」


「明日、学校の件を動かす」


 祖父は紙を封筒に戻した。


「早ければ、数日以内に方向は見えるだろう」


「数日……」


「焦るな」


「はい」


 さっきから何度も言われている。


 それでも、言われなければきっと焦ってしまう。


 ルミエールは自分でもそれがわかっていた。


 その時、机の上の通信端末が小さく光った。


 ルミエールははっと顔を上げる。


「返事か」


「確認します」


 端末の画面に、短い文章が浮かんでいた。


『受信しました。無事で安心しました。指示どおり待機します。どうか一人で抱え込まないでください。地球で会える日を待っています。ソレイユ』


 ルミエールはその文字を見つめた。


 胸の奥がじんわりと熱くなる。


 会議室で会った時のソレイユの声が、少しだけよみがえった。


 次は、地球で。


 そう言ってくれた人が、本当に待っていてくれる。


「返事は」


 祖父が聞く。


 ルミエールは画面を見せた。


 祖父は短い文章を読み、少しだけうなずいた。


「落ち着いた返事だ」


「はい」


「姫というだけではないらしい」


「そう思います」


 ルミエールは端末をそっと閉じた。


 まだ会えない。


 けれど、つながった。


 それだけで、さっきより少しだけ呼吸がしやすくなる。


「今日はもう休みなさい」


 祖父は立ち上がった。


「でも、学校のことをもう少し――」


「明日だ」


 言い切られた。


 強い声ではないのに、逆らえない。


「君は今日、時を越えて来て、会社へ行き、別荘へ移り、タイムマシンを動かし、宇宙へ連絡まで入れた」


 祖父は淡々と言う。


「十分すぎる」


 ルミエールは反論できなかった。


 言われてみれば、その通りだった。


「休むのも仕事のうちだ」


「……はい」


 祖父は扉のほうへ向かう。


 その途中で、ふと思い出したように振り返った。


「明日の朝、学校の件をもう一度話す」


「はい」


「それと、君のこの時代での名前も考えなければならない」


「名前、ですか」


「ルミエール・スターリングのままでは目立つ」


 ルミエールは少し考えた。


 たしかに、家を訪ねる時には必要だった名前だ。


 けれど学校へ入るなら、未来から来たことも、スターリング家との関係も隠さなければならない。


「別の名前……」


「ああ」


 祖父は静かにうなずく。


「ノアールへ近づくなら、近づくための姿が必要になる」


 ルミエールの胸が小さく鳴った。


 過去の地球で生きるための、もう一つの名前。


 それは、思っていたより重かった。


「明日までに考えておきます」


「一人で決めなくていい」


 祖父は短く言った。


「こちらでも考える」


「はい」


 扉が閉まると、書斎に静けさが戻った。


 ルミエールは端末を鞄にしまい、ソレイユからの返事をもう一度思い出した。


 一人で抱え込まないでください。


 その言葉が、胸の中に残っている。


 部屋へ戻る途中、廊下の窓から夜の庭が見えた。


 さっき見た月は、まだ空にあった。


 白く、少し黄色がかっている。


 未来では、人があそこへ移り住む。


 でも今は、まだ静かな月だ。


 ルミエールは窓の前で少しだけ立ち止まった。


「一人で抱え込まない……」


 小さくつぶやく。


 祖父がいる。


 ソレイユも待っている。


 まだ会っていないノアールも、この地球のどこかで生きている。


 明日から、少しずつ近づいていく。


 焦らずに。


 壊さないように。


 助けるために。


 ルミエールは部屋へ戻り、机の上に封筒を置いた。


 家族写真。


 祖父の手紙。


 ソレイユへの通信端末。


 その横に、ママからもらった小さな髪留めをそっと置く。


 今日の終わりに、ようやく少しだけ息を吐けた気がした。


 けれど眠る前、ふと胸の奥に小さな寂しさが残った。


 何も知らない場所に、一人だけ置かれたような心細さ。


 それを振り払うように、ルミエールは髪留めに触れた。


「大丈夫」


 自分に言い聞かせる。


 明日は、ノアールに近づくための一日になる。


 そう思いながら、ルミエールは静かに灯りを落とした。

読んでいただきありがとうございます。

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