第14話 手紙
ルミエールが、おじいちゃんに手紙の話を持っていく回です。
翌朝、ルミエールは少し早く目が覚めた。
窓の外は、まだ白くやわらかな光だった。
昨日の夜、パパとママと話したことが、眠ってもきれいにはほどけなかったらしい。
消えるかもしれない。
その怖さは、朝になってもなくならなかった。
けれど同じくらい、昨日見つけた目印のことも頭に残っていた。
結婚式の日までに帰ること。
その前に、ママとパパがちゃんと出会う流れを残しておくこと。
ルミエールはベッドから降りると、机の上のノートを開いた。
昨日の最後に書いた文字が、そのまま残っている。
結婚式の日までに、ちゃんと未来へ帰る。
その下に、新しく一行書き足した。
過去のおじいちゃんへ手紙を書く。
ペン先を止めたまま、ルミエールは少し考える。
どんな言葉なら伝わるだろう。
何を、どこまで書けばいいのだろう。
未来のことを詳しく書きすぎたら、余計に過去を揺らしてしまうかもしれない。
でも、曖昧すぎたら意味がない。
「……難しい」
小さくつぶやいてから、ルミエールはノートを閉じた。
とにかく今日は、おじいちゃんに話さなければならなかった。
*
研究棟の奥にある祖父の部屋は、朝のうちから灯りがついていた。
扉をノックすると、少し間を置いて返事がある。
「どうぞ」
ルミエールが中へ入ると、祖父は机の前で資料を読んでいた。
顔を上げた瞬間、その目に少しだけ複雑なものがよぎる。
「ルミエールか」
「うん」
「朝早いね」
「おじいちゃんも」
祖父は少しだけ口元をゆるめたが、その表情は長く続かなかった。
「昨日のことかな」
ルミエールはうなずいた。
「話したいことがあるの」
祖父は読んでいた資料を閉じ、向かいの椅子を軽く示した。
「座りなさい」
ルミエールは腰を下ろし、抱えてきたノートを膝の上に置いた。
短い沈黙のあと、祖父が口を開く。
「まず言っておくが、私の気持ちは昨日と変わっていない」
「……うん」
「おまえを行かせたいとは思っていない」
はっきりした声だった。
でもルミエールは、そこで諦めなかった。
「わかってる。でも、昨日より少しだけ考えたの」
祖父は何も言わず、その先を待った。
「ママとパパとも話した」
その言葉に、祖父の目がわずかに動く。
「それで、私が消えないために何ができるか、少しだけ見えてきた気がするの」
「……聞こうか」
ルミエールはノートを開いた。
「まず、過去のおじいちゃんに手紙を書きたいの」
祖父の眉が寄る。
「手紙?」
「うん。未来のことを全部書くんじゃなくて、ママとパパが出会う流れを消さないでほしいって」
祖父はすぐには返事をしなかった。
「お見合いの話をなくさないでほしい、とか。二人がちゃんと会うようにしてほしい、とか」
「……なるほど」
低い声だった。
「ママとパパがまた出会えたら、少し過去が変わっても、今の未来に近い形が残るかもしれない」
ルミエールはそこで一度息をついてから、続けた。
「それに」
祖父の視線が向く。
「私、結婚式の夜に授かった子なんだって」
その一言に、祖父の顔からわずかに力が抜けた。
「ブランシュが、そこまで話したのか」
「うん」
ルミエールはまっすぐ祖父を見た。
「だから、結婚式の日がちゃんと同じで、その日までに私が未来へ帰っていたら、今の未来に近い形が残る可能性が高いんじゃないかって」
部屋が静かになる。
祖父は机の上に置いた手を組み、少しだけ目を伏せた。
その考え方自体は、無茶ではない。
むしろ、昨日までよりずっと筋が通っている。
そこが、かえって苦しかった。
「……理屈としては、わかる」
ようやく落ちた声は静かだった。
ルミエールの胸が少しだけ高鳴る。
「ほんと?」
「ただし」
祖父はすぐに続けた。
「それで保証されるわけではない。手紙ひとつで過去を固定できるとも言えないし、結婚式の日までに戻れば絶対に消えないとも断言できない」
「うん」
ルミエールはうなずいた。
「でも、何もしないよりはいいと思うの」
「……そうだね」
祖父はそれを否定しなかった。
ルミエールは少しだけ前のめりになる。
「おじいちゃんが過去の自分に会う可能性があるなら、その手紙も渡せるかもしれないでしょう」
祖父は黙っている。
そこがいちばん難しいところだと、ルミエールにもわかっていた。
機密任務の中で、どこまで個人的な手紙を差し込めるのか。
過去の自分がどう受け取るのか。
けれど、言わないよりはずっといい。
「内容も、ちゃんと考える」
ルミエールは続けた。
「未来のことを何でも書くんじゃなくて、必要なことだけにする」
「必要なことだけ、か」
「うん」
ルミエールはノートの空いたページを開いた。
「たとえば、ブランシュさんと会う機会をなくさないでください、とか。お見合いをやめないでください、とか」
祖父は思わず小さく息をついた。
その言い方は、幼い願いというより、本当に段取りを考えている人間のものだった。
「おまえ……」
「何?」
「一晩で、そこまで考えたのかい」
ルミエールは少しだけ視線を落とした。
「考えないと、怖いままだから」
その答えに、祖父は返事を失った。
ただ怖がっているだけではない。
怖いからこそ、形にしようとしている。
それが祖父には、ノアールと少し重なって見えた。
知ってしまったものから目をそらせないところ。
そのままにしておけないところ。
「……おじいちゃん」
ルミエールがそっと呼ぶ。
「手紙、だめ?」
祖父はすぐには答えなかった。
だめだと言えば、この子はそれでも別の道を考えるだろう。
認めれば、話はまた一歩先へ進んでしまう。
その間で揺れたあと、祖父はようやく口を開いた。
「書くだけなら、止めない」
ルミエールの瞳が少し揺れる。
「ただし、今の段階で渡せると決まったわけではない」
「うん」
「内容も、私が確認する」
「うん」
「そして、これはまだ“案”だ。決定ではない」
「わかってる」
短いやり取りだった。
けれど、それは昨日までよりずっと前に進んだ返事だった。
ルミエールは胸の奥が少し熱くなるのを感じた。
「ありがとう」
祖父は首を横に振る。
「礼を言われるようなことじゃないよ。私はまだ、賛成したわけじゃない」
「うん」
「むしろ、できるなら止めたい」
それも本音だった。
ルミエールはその言葉をきちんと受け止めて、小さくうなずく。
「それでも、書いてみたいの」
祖父は椅子にもたれ、長く息を吐いた。
「……そうだろうね」
しばらく黙ってから、今度は祖父のほうが問いかける。
「期限のことも考えているのかい」
「うん」
ルミエールの声は迷いが少なかった。
「結婚式の日までに、ちゃんと未来へ帰る」
その一言に、祖父の表情がわずかに固くなる。
「軽く口にしていい期限じゃないよ」
「わかってる」
「その日までに何も解決していなかったら?」
ルミエールは少し黙った。
けれど、逃げずに答える。
「その時は……たぶん、すごく迷うと思う」
祖父は目を細めた。
「でも、期限がないと、何でも後ろにのばしてしまうかもしれないから」
ルミエールはノートの端をぎゅっと押さえた。
「それに、私が消えないための目印でもあるなら、そこは守りたい」
祖父はまた何も言えなくなった。
危なっかしい。
それなのに、考え方は驚くほど筋が通っている。
そんなふうに育ってしまったのは、誰のせいなのだろうと、ふと考える。
自分たち大人が、何も知らずに守られたままでいさせなかったからかもしれない。
「……手紙は今日書くのかい」
祖父が聞くと、ルミエールはうなずいた。
「うん。下書きだけでも」
「そうか」
祖父は机の引き出しを開け、一枚の上質な便箋を取り出した。
淡い白に、月の研究区画の小さな紋が入っている。
「下書きがまとまったら、これに清書するといい」
ルミエールは少し驚いたようにその便箋を見た。
「いいの?」
「書くだけなら、止めないと言っただろう」
祖父の声は落ち着いていた。
けれど、その奥にはまだ迷いが残っている。
ルミエールはそっと便箋を受け取った。
薄い紙なのに、思ったより重く感じた。
「……うん」
「未来のことを詰め込みすぎないこと」
「うん」
「お願いと、目印だけにすること」
「うん」
「それから」
祖父はそこで少しだけ言葉を切った。
「自分が消えたくないからという理由を、恥ずかしいと思わなくていい」
ルミエールは顔を上げた。
祖父はまっすぐには見なかった。
机の上の一点を見ながら、静かに続ける。
「誰だって怖い。怖いものを怖いと言うのは、弱さじゃないよ」
ルミエールの胸が、少しだけ熱くなった。
「……うん」
その返事は、今まででいちばんやわらかかった。
*
部屋へ戻ったルミエールは、すぐには便箋を開かなかった。
机の上に置いて、しばらく眺める。
これは、ただの紙ではない。
もし本当に過去へ届くなら、自分の未来をつなぎとめるための、最初の一枚になるかもしれない。
ルミエールは椅子に座り、深く息を吸った。
ノートを開く。
下書き用のページに、ゆっくり最初の一文を書く。
過去のおじいちゃんへ。
そこで手が止まる。
何から書けばいいのだろう。
未来の孫です、なんていきなり書いても信じてもらえるのか。
でも、回りくどすぎても伝わらない。
ルミエールは唇を閉じ、もう一度考えた。
お願いしたいのは、たったひとつではない。
ママとパパが出会うこと。
お見合いを消さないこと。
そして、自分が未来へ帰るまで、そこへつながる道を残しておくこと。
「……難しい」
朝と同じ言葉が、またこぼれた。
けれど今度は、前より少しだけ前向きな難しさだった。
ルミエールはペンを持ち直す。
怖い。
それでも書く。
その気持ちだけは、もう迷わなかった。
読んでいただきありがとうございます。




