第13話 消えないために
ルミエールが、消えないための道も考え始める回です。
その夜、ルミエールはブランシュに呼ばれて、パパの仕事部屋へ入った。
昼間とは違って、机の上の画面は落とされている。
部屋の灯りも少しやわらかかった。
パパは椅子に座ったまま、ルミエールを見た。
その顔だけで、もうブランシュから話を聞いたのだとわかった。
「座りなさい」
いつもより低い声だった。
ルミエールはブランシュの隣に座った。
手を膝の上に置くと、指先が少し冷たかった。
少しの沈黙のあと、パパが口を開く。
「宇宙会議の関係者から話を聞いたそうだね」
「……うん」
「それで、十九年前へ行く話まで聞いた」
「うん」
パパはほんの少しだけ視線を落とした。
「本当は、まだおまえに聞かせるつもりはなかった」
ルミエールは何も言わなかった。
「結論から言う」
パパは顔を上げた。
「僕は反対だ」
その言葉は、はっきりしていた。
「技術がどうとか、王女がどうとか、その前の話だ。危険すぎる」
ルミエールは息をのみ込み、それでも視線をそらさなかった。
「でも、成功する可能性はあるんでしょう」
「あるかもしれない、だ」
すぐに返ってきた声は厳しかった。
「安全が保証されたわけじゃない。過去に着ける保証もない。帰ってこられる保証もない」
パパの指先が机の上で止まる。
「それに」
そこから先の言葉は、少しだけ遅れて落ちた。
「未来が変わる可能性もある」
ルミエールは小さくうなずいた。
「私が消えるかもしれないって、聞いた」
その瞬間、パパの表情がかすかに揺れた。
ブランシュが横で静かに息をつく。
「そうだ」
パパは低く言った。
「僕は、そこがいちばん嫌なんだ」
部屋が静かになる。
パパは机の上に置いていた手をゆっくり組んだ。
「ノアールを助けたい気持ちがわからないわけじゃない。ブランシュの後悔を止めたいと思う気持ちだって、否定するつもりはない」
その声は、さっきより少し落ち着いていた。
「でも、そのためにおまえが消えるかもしれないなんて、そんな話を僕は受け入れられない」
ルミエールの胸が少しだけ痛くなる。
それは昼間、ブランシュが言ったのと同じ気持ちだった。
「……うん」
「だから反対だ」
もう一度、パパは言った。
「今のままなら、なおさら」
そこでルミエールは、少しためらってから口を開いた。
「でも」
パパの視線が向く。
「過去が少し変わったとしても、ママとパパが出会う未来まで、そんなに簡単に消えるのかな」
空気がわずかに変わった。
パパはすぐには答えなかった。
代わりに、ブランシュがゆっくりルミエールを見た。
「どうしてそう思ったの」
「だって……」
ルミエールは言葉を探す。
「全部が全部、ばらばらになるとは限らないかもしれないって。少し変わっても、残るものもあるかもしれないって」
パパはそれを聞いたあと、短く息を吐いた。
「残るもの、か」
その声に、少しだけ苦いものが混じる。
けれど次に口を開いた時、そこには別の色があった。
「……たしかに」
ルミエールは顔を上げる。
パパは少しだけ遠くを見るような目になっていた。
「たとえ少し過去が変わったとしても、僕はたぶんブランシュに会う」
ルミエールの手がぴくりと動く。
「パパ」
「僕は、もともとブランシュのことを知っていたんだ」
その言い方に、今度はブランシュのほうがわずかに動いた。
「知っていた?」
パパは少しだけ困ったように笑った。
「正確には、ずっと陰で見ていた、かな」
「……見ていた?」
「ファンだったんだよ」
そう言ってから、パパは少しだけ咳払いをした。
「表立って言うつもりはなかったけどね」
ルミエールは思わずブランシュを見る。
ブランシュはすぐには何も言わなかった。
けれど、その口元がほんの少しやわらいだ。
「だから、お見合いの形じゃなかったとしても、僕はどこかでブランシュを放っておけなかったと思う」
パパの声は、落ち着いていた。
「見つけたら、たぶん近づいていた。少なくとも、何も知らないまま通り過ぎることはなかったはずだ」
ルミエールの胸の奥に、昼間にはなかったあたたかさが少しだけ灯る。
ブランシュも静かにうなずいた。
「そうね……」
その声はやわらかかった。
「私も、たぶんパパに会うまで、本当に好きになる人には出会わなかったと思う」
ルミエールはじっと二人を見た。
ブランシュは少しだけ考えるように視線を落とし、それから続けた。
「ノアールが少し変わったとしても、私がパパと出会う未来まで、そんなに簡単に消える気はしない」
「ママも……」
「ええ」
ブランシュは小さく笑った。
「もちろん、何もかも大丈夫だとは言えないわ。でも、そこまで簡単にほどける縁じゃないとも思う」
部屋の空気が少し変わった。
さっきまであった重さが、全部ではないけれど少しだけほどけた気がした。
ルミエールは膝の上で手を握り、それからゆっくり言った。
「じゃあ」
パパとブランシュの視線が向く。
「過去のおじいちゃんに、お手紙を書いたらどうかな」
今度はパパが少し黙った。
「手紙?」
「うん」
ルミエールは言葉を選びながら続ける。
「絶対に未来を変えないようにするのは無理かもしれない。でも、ママとパパが出会うきっかけだけでも残せたら、少し違うかもしれない」
ブランシュの表情が静かに引き締まる。
「お見合いをなくさないように、ってこと?」
「うん」
ルミエールはうなずいた。
「お見合いの話を消さないでほしい、とか。二人が会う流れを残してほしい、とか」
パパは机の上で組んでいた手を少しほどいた。
「……なるほど」
「おじいちゃんが過去へ行く王女を手伝うなら、過去のおじいちゃんに何か伝える方法も考えられるかもしれない」
ルミエールはそこまで言って、少しだけ息をついた。
「そしたら、ママとパパがまた出会えて、私がその前に帰れたら……今よりは、いいかもしれない」
断定ではなかった。
でも、それは願いだけでもなかった。
パパはしばらく黙っていた。
すぐに否定しなかったのは、それだけでも大きかった。
やがて、ブランシュが静かに口を開く。
「手紙で全部を固定できるとは思わないわ」
「うん」
「でも、出会いを残すための目印にはなるかもしれない」
その言葉に、ルミエールの胸が少しだけ熱くなる。
パパもゆっくり息を吐いた。
「理屈としては、わかる」
ルミエールは顔を上げた。
「ほんと?」
「ただし」
すぐに、パパの声が戻る。
「それで安全になるわけじゃない。消える可能性がゼロになるわけでもない」
「うん」
「だから、僕が反対なのは変わらない」
その言葉はまっすぐだった。
けれど、さっきとは少し違っていた。
頭ごなしの拒絶ではなく、ちゃんと考えた上での反対に変わっている。
ルミエールにも、それはわかった。
「……ねえ、ママ」
ルミエールはふと顔を上げた。
ブランシュが静かに見返す。
「私って、いつ授かった子なの?」
その問いに、部屋の空気が少し止まった。
ブランシュはすぐには答えなかったけれど、やがて静かに口を開いた。
「あなたは、結婚式の夜に授かった子よ」
ルミエールの指先が、膝の上でぴくりと動く。
「じゃあ……」
ルミエールは息を整えて、言葉をつないだ。
「結婚式の日が同じで、その日までに私が未来へ帰っていたら、今の未来に近い形が残る可能性は高いってこと?」
パパはすぐには答えなかった。
けれど、やがて低く言った。
「理屈の上では、そう考えることはできる」
ブランシュも小さくうなずく。
「少なくとも、何も目印がないよりはずっといいわ」
ルミエールは小さく息をのんだ。
「……じゃあ、それが期限になる」
小さな声だった。
でも、今までよりずっとはっきりしていた。
「結婚式の日までに、ちゃんと未来へ帰るの」
その言葉が落ちたあと、誰もすぐには何も言わなかった。
けれど、その沈黙はさっきまでのものとは違っていた。
怖さしかなかった場所に、ひとつだけ目印が置かれたような静けさだった。
「でも」
パパはそこで少しだけ言葉を探した。
「おまえがそこまで考えるなら、僕も最初から全部を無視はしない」
ルミエールの喉が小さく動く。
「……うん」
「おじいちゃんとも、もう一度話そう」
ブランシュがそっと言った。
「手紙のことも、その期限のことも含めて」
ルミエールは二人の顔を見た。
まだ何も決まっていない。
反対も消えていない。
危険だって、そのままだ。
それでも、さっきまでとは少し違った。
ただ怖がるだけでも、ただ止めるだけでもなくなった。
どうすれば消えないで済むのか。
どうすれば出会いを残せるのか。
いつまでに戻ればいいのか。
そんなことまで、今はもう話せるところまで来ている。
「……ありがとう」
ルミエールが言うと、パパは少しだけ肩の力を抜いた。
「まだ礼を言われるようなことはしてないよ」
「そうかも」
ルミエールは小さく笑った。
ブランシュもその横で、少しだけ目元をやわらげた。
パパは椅子にもたれ、天井を見上げる。
「それにしても」
「何?」
ブランシュが聞く。
「今さら僕が昔からファンだったって話をさせられるとは思わなかった」
その言い方に、部屋の空気がほんの少しだけやわらいだ。
ブランシュは小さく息をこぼす。
「私も、今さら聞いたわ」
「言う機会がなかったんだ」
「そういうことにしておく」
ルミエールは二人を見ながら、胸の奥に残っていた冷たさが少しだけほどけていくのを感じていた。
自分が消えるかもしれない。
その怖さは、まだある。
でも同時に、消えないためにできることがあるかもしれないという光も、少しだけ見えた。
部屋を出る前、ルミエールは振り返った。
「私、手紙のこと考えてみる」
パパはすぐには答えなかった。
けれど最後に、短くうなずいた。
「……考えるだけなら、止めない」
その返事が、今のルミエールには十分だった。
読んでいただきありがとうございます。




