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第12話 もし私が消えたら

ルミエールが、会議で聞いたことを自分の中で受け止めようとする回です。

 応接室を出たあと、ルミエールはまっすぐ自分の部屋へ戻った。


 廊下を歩く足音だけが、やけに大きく聞こえる。

 さっきまで抱えていたノートが、今は少し重かった。


 十九年前の地球。

 ノアール。

 闇の原因。

 王女。

 協力者。


 頭の中で言葉は並ぶのに、うまくひとつにならない。


 部屋に入ると、ルミエールは扉を閉め、そのままベッドの端に腰を下ろした。


 さっき、おじいちゃんが言ったことがまだ耳に残っている。


 私が生まれなくなるかもしれない。


 ルミエールは両手をぎゅっと重ねた。


「……私が」


 小さく言ってみても、少しも現実味が薄れなかった。


 自分が消える。


 それは、死ぬというのとも少し違う気がした。

 今ここにいる自分が、最初からいなかったことになるみたいで、うまく息ができなかった。


 机の上には、昨日から開きっぱなしのノートがある。

 その横には、研究棟の入館カード。

 少し前まで、見えていたのは「どうやったら行けるか」ばかりだった。


 でも今は、それだけじゃない。


 行けるかどうか。

 危ないかどうか。

 帰れるかどうか。


 その先に、私が残るかどうかまである。


 ルミエールは顔を伏せた。


 怖くないわけがなかった。


 消えたくない。

 そんなの、当たり前だった。


 ママがいて。

 パパがいて。

 おじいちゃんがいて。

 今の部屋があって、今の暮らしがある。


 それがなくなるなんて、考えたいはずがない。


「……でも」


 言葉が、胸の奥で引っかかる。


 ノアールを助けたい気持ちも、消えてはいなかった。


 自分が消えるかもしれないから、やめる。

 その一言で片づけてしまったら、ノアールのことをもう二度と考えないふりをするみたいだった。


 ルミエールはゆっくり顔を上げた。


 窓の向こうには、月の街の白い光がにじんでいる。

 静かなはずなのに、今日は少し遠く見えた。


 机の上のノートを引き寄せる。

 開いたページの端に、昼間の文字が並んでいた。


 条件。

 座標。

 帰還先。

 魔力の安定。


 その下の空いたところへ、ルミエールは新しく書いた。


 もし過去を変えたら、私は消える?


 書いてから、しばらくその文字を見つめる。


 次の行へ、また書く。


 それでも知りたい?


 ペン先が止まった。


 答えは、すぐには出なかった。


 その時、部屋の扉が静かに叩かれた。


「ルミエール?」


 ブランシュの声だった。


 ルミエールはあわててノートを閉じる。


「……うん」


 扉が開き、ブランシュが入ってきた。

 いつも通りのやわらかな服。

 けれど、ルミエールの顔を見ると、その表情が少し変わった。


「どうしたの」


「え?」


「何かあったでしょう」


 ルミエールはすぐには答えられなかった。

 隠せると思ったのに、こういう時のママはすぐに気づく。


 ブランシュはベッドのそばまで来て、ルミエールの向かいに腰を下ろした。


「おじいちゃんと話したの?」


 その問いに、ルミエールは小さくうなずく。


「少しだけ」


「それで、そんな顔をしているのね」


 責めるような声ではなかった。

 ただ、静かだった。


 ルミエールは視線を落とす。


「……ママ」


「うん」


「もし、過去を変えたら」


 そこまで言って、喉が少し詰まった。


「そのせいで、誰かが生まれなかったことになるって、あるのかな」


 ブランシュの空気が、すっと変わった。


 すぐに答えは返ってこなかった。

 その沈黙だけで、ルミエールには十分すぎた。


「何を聞いたの」


 落ちた声は、静かすぎるくらい静かだった。


 ルミエールは膝の上で手を重ねる。


「宇宙会議の人に、会ったの」


 ブランシュの眉がわずかに寄る。


「その人が、十九年前の地球の話をして……ノアールのことも」


 ブランシュの指先が、そっと止まった。


「それで、おじいちゃんが言ったの。過去を動かしたら、未来も変わるかもしれないって」


 ルミエールはそこで一度息をのみ込んだ。


「私が、生まれなくなるかもしれないって」


 言い終わったあと、部屋の中がひどく静かになった。


 ブランシュはすぐには動かなかった。

 けれど次の瞬間、ルミエールの手を強く包みこんでいた。


「そんなこと」


 声が、少し揺れた。


「そんなこと、簡単に口にしないで」


 ルミエールは顔を上げた。


 ブランシュの瞳はまっすぐだった。

 怒っているというより、傷ついた顔に近かった。


「ごめんなさい」


「違うの」


 ブランシュは首を振る。


「あなたを責めたいんじゃないの。ただ……そんな話を、あなたが一人で受け止めていたことがつらいの」


 ルミエールの胸が、少しだけ痛んだ。


 ブランシュはルミエールの手を離さないまま続けた。


「ノアールを助けたい気持ちは、私にもあるわ」


 その言葉は、とてもまっすぐだった。


「もしあの子を助けられるならって、何度も思った。あの夜も、そのあとも、ずっと」


 ルミエールは息を止める。


「でも、そのためにあなたが消えるかもしれないなんて、そんな話を私は受け入れられない」


 はっきりした声だった。


 ルミエールは何も言えなかった。


 それは、当然の言葉だったから。


「ママ……」


「あなたは、ノアールの代わりじゃないの」


 ブランシュは静かに言った。


「ノアールを助けたい。そう思うことと、あなたを失うかもしれない話を引き受けることは、同じじゃない」


 部屋の空気が、少しだけ震えた気がした。


 ルミエールは唇を閉じたまま、ブランシュの言葉を受け止める。


 わかる。

 わかるのに、胸の奥の何かはまだ止まらなかった。


「……でも」


 やっと出た声は、少しかすれていた。


「私、まだやめるって言えない」


 ブランシュの手が、わずかに強くなる。


「消えるのは嫌。怖い。ママたちといられなくなるのも嫌」


 そこまで言って、ルミエールはうつむいた。


「でも、それだけでノアールのことを見ないふりしたくないの」


 ブランシュは何も言わなかった。


 だからルミエールは、もう少しだけ続けた。


「助けられるかもしれないって知ってしまったのに、自分が怖いからやめるって、まだ言えない」


 小さな沈黙が落ちる。


 やがて、ブランシュがそっと息をついた。


「……あなた、本当に似ているわね」


「誰に?」


「ノアールに、少し」


 ルミエールは驚いて顔を上げた。


 ブランシュは、ほんの少しだけ遠くを見るような目をした。


「まっすぐなところ。自分で知ってしまったら、知らなかったふりができないところ」


 その言葉はやさしかった。

 でも、少しだけ痛そうだった。


「だから余計に、止めたいのかもしれない」


 ブランシュはそう言って、ルミエールの手をゆっくり撫でた。


「今すぐ答えを出さなくていいわ」


「……うん」


「怖いと思うことも、助けたいと思うことも、どっちも本当でしょう」


 ルミエールは小さくうなずいた。


 どちらかだけなら、もっと楽だった。

 でも今は、どちらも消えてくれない。


「パパにも話す」


 ブランシュが言った。


「この話を、もうあなただけに抱えさせない」


 ルミエールは少し迷ってから、またうなずく。


「……うん」


 ブランシュは立ち上がる前に、もう一度だけルミエールの額に触れた。


「今日はもう、無理に答えを出そうとしないで」


「わかった」


 ブランシュは小さく笑って、それから部屋を出ていった。


 扉が閉まる。


 ルミエールはしばらくそのまま動かなかった。


 さっきまでより、少しだけ胸の息苦しさは薄れていた。

 でも、迷いがなくなったわけではない。


 ノートをもう一度開く。


 最後の行に、ルミエールはゆっくり書き足した。


 怖くても、まだ知りたい。


 書いた文字を見つめながら、ルミエールはそっとペンを置いた。


 答えは、まだ遠かった。

 それでも、もう目をそらせなくなっていることだけは、はっきりしていた。

読んでいただきありがとうございます。

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