第10話 宇宙会議
おじいちゃんが宇宙会議に出席した時の話です。
祖父が宇宙会議へ向かったのは、その日の朝だった。
月の中枢区画にある会議棟は、いつもより警備が厳しかった。
入口には見慣れない紋章をつけた護衛が立ち、廊下にも静かな緊張が流れている。
祖父は通行証をかざし、指定された会議室へ入った。
部屋は円形で、中央には立体の星図が淡く浮かんでいた。
その周りを囲むように、各星の代表が席についている。
月の研究者。
移住圏の管理官。
そして、祖父がこれまでほとんど顔を合わせたことのない、遠方星系の使者たち。
着席して間もなく、会議は始まった。
最初に話し合われたのは、いつも通りの調整事項だった。
資源。
航路。
観測網。
教育交流。
けれど、どの議題にもどこか前置きのような空気があった。
本題は別にある。そんな重さが、最初から部屋に沈んでいた。
いくつかの確認が終わったあと、向かいの席にいた使者が静かに口を開いた。
「ここから先は、機密扱いでお願いします」
その声と同時に、中央の星図が切り替わった。
青白く光っていた地球圏の一部が、ゆっくり黒く染まっていく。
祖父の指先がわずかに止まった。
「地球が、闇に包まれつつあります」
部屋が静まる。
「すでに居住可能域は大きく失われている。地球だけ住めなくなるのなら、封じ込めの話で済みました。ですが問題は、その闇が地球圏の外へ影響を及ぼし始めていることです」
黒いものが、地球の外へにじむように広がっていく。
細い航路の線にまで、じわりと触れていた。
「観測障害、魔力通信の乱れ、周辺航路への干渉。まだ局所的ですが、このまま進めば宇宙全体への影響は避けられません」
誰かが低く息をのむ。
祖父は黙って図を見つめていた。
黒い雲。
広がる闇。
どこか、聞き覚えのある話だった。
「原因はわかっているのですか」
月側の代表が問いかける。
使者は少しだけ間を置いた。
「確証はありません。ですが、うわさレベルの情報として、ひとつの名が挙がっています」
祖父の胸が、嫌な予感で重くなる。
「十九年前の地球で、当時十七歳だったノアールという娘から闇が出た――そう聞いています」
その名が落ちた瞬間、祖父の視線がかすかに揺れた。
周囲には、その名前を知らない者も多い。
けれど祖父には、その響きが軽いものではなかった。
「我々は、十九年前へ行きたいのです」
使者は続けた。
「その時点でノアールの闇の原因を探り、可能ならば消したい。このまま何もせずにいれば、被害は地球圏の外まで広がるでしょう」
会議卓の空気がさらに重くなる。
十九年前。
ノアール。
闇の原因。
消す。
祖父の脳裏に、別の顔が浮かんだ。
ルミエールだった。
「ただし、問題があります」
月側の研究者が言った。
「十九年前へ行くという話なら、まず技術面の確認が必要です。こちらにも時空移動の研究はありますが、まだ完璧ではない。人を乗せた実験もしていません」
祖父も静かに口を開く。
「月の過去ならまだしも、今回は地球の過去です。時間だけではなく、空間座標、天体位置、帰還経路まで同時に固定しなければならない」
「承知しています」
使者はうなずいた。
「こちらの研究では、人を十九年前の地球へ安全に送り込める保証はまだありません」
その言葉に、部屋の空気が少し沈んだ。
だが使者はすぐに顔を上げた。
「それなら、我々の星の技術を提供しましょう」
祖父の視線が動く。
「機体の貸与でも、座標固定や生体保護の技術供与でも構いません。我々の星は、この分野では月より進んでいます」
会議卓に、低いざわめきが走った。
祖父の胸の奥が、別の意味で揺れた。
欲しい、と思った。
研究者としてなら、その一言で十分だった。
何年も手を伸ばして、まだ届かなかったものが、向こうから差し出されている。
座標固定。
生体保護。
人を乗せるための安全補助。
どれも、祖父たちが喉から手が出るほど欲しかった技術だ。
「もちろん、無条件ではありません」
使者の声が続く。
「十九年前へ向かうのは、我々の星の王女です。十六歳。世間知らずではありますが、頭は良く、魔力は極めて強い。彼女の魔力に勝つ者はいないと言われています」
王女を出す。
そこまでしてでも止めたいほど、闇の拡大は深刻なのだ。
「ただ、王女ひとりでは地球社会へ自然に入れません。だから、同じくらいの歳の少女に協力してもらいたいのです。できれば頭が良く、強い魔法が使える子が望ましい」
祖父の中で、ひとつの名前がまた浮かぶ。
ルミエール。
年齢も近い。
頭の回転も速い。
魔法も強い。
そして何より、十九年前の地球へ行きたい理由を、本人がもう持ってしまっている。
だが、そう思った瞬間にはっきりと別の感情が重なった。
だめだ。
孫をそんな場所へ行かせるわけにはいかない。
「いったん、ここで昼休みにしましょう」
議長の声が落ちる。
会議室の緊張が少しだけほどけ、各席の者たちが静かに立ち上がった。
*
祖父は会議棟のラウンジへ出た。
大きな窓の向こうに、白い月の街が広がっている。
食事の香りがかすかに流れているのに、胸の中は少しも落ち着かなかった。
技術は欲しい。
それがあれば我々の研究は大きく前へ進む。
けれど、その技術が前へ進めば進むほど、ルミエールが近づいてしまう。
「……困ったな」
思わずこぼれた声は、小さくテーブルの上に落ちた。
その時、ラウンジの入口のほうから足音が近づいてきた。
祖父は顔を上げる。
ルミエールだった。
ノートを抱え、何かを考え込んだような顔で歩いてくる。
祖父を見つけると、足を止めた。
「おじいちゃん」
「おお、ルミエール」
返事をしながら、祖父は胸の奥が重くなるのを感じていた。
よりにもよって、この昼休みに会うなんて。
ルミエールは祖父の顔を見て、小さく首をかしげた。
「どうしたの? 何かあった?」
鋭い子だと、こういう時に思う。
少し表情が違うだけで、何かを感じ取ってくる。
「いや、ちょっと会議が長くてね」
「宇宙会議?」
「そうだよ」
それだけ答えて、祖父は口を閉ざした。
これ以上話せば、余計なことまでこぼしてしまいそうだった。
だがルミエールは、抱えていたノートを少し持ち直して言った。
「私、おじいちゃんに話したいことがあるの」
その一言で、祖父は察した。
もう調べたのだ。
そして、ただの勢いではなくなっている。
「……今かい?」
「うん」
迷いの少ない声だった。
祖父は短く息を吐く。
「少しだけなら聞くよ」
ルミエールは、祖父をまっすぐ見上げた。
「私、ただ行きたいって言うだけじゃだめだってわかったの。何が危ないのか、何が足りないのか、少し調べた」
祖父は何も言わなかった。
「時間だけじゃなくて、場所も合わせなきゃいけないこと。帰る先も決めなきゃいけないこと。魔力も、強いだけじゃだめで、安定してないと意味がないこと」
ノートを抱く手に、力が入っている。
「だから……何を満たせばいいのか、知りたいの」
祖父は孫の顔を見つめた。
やはり、軽い思いつきではなかった。
泣きつくような顔でもない。
自分で考えて、整理して、その上で立っている。
その目を見た瞬間、会議室で聞いた条件がますますはっきり重なった。
同じくらいの歳。
頭が良い。
強い魔法が使える。
そして、十九年前の地球へ向かう覚悟を持ち始めている少女。
「おじいちゃん?」
「……そうだね」
祖父はようやく声を出した。
「少なくとも、簡単な話ではないよ」
「うん」
「危険が減るわけでもない」
「うん」
それでも、ルミエールは引かなかった。
祖父は苦しかった。
この子はもう、頭ごなしに止めるだけでは止まらない。
だが、それでも行かせたくはない。
「今は会議の途中なんだ」
祖父はできるだけ穏やかに言った。
「この続きは、あとで話そう」
ルミエールは少し黙ってから、うなずいた。
「……わかった」
そう答えた顔に、前よりも静かな強さが残っていた。
祖父はその顔を見たまま、午後の会議へ戻る時間が来たことを知った。
*
午後の会議は、さらに具体的だった。
使者は王女の派遣計画を改めて示し、その上で言った。
「技術面については、こちらが補います。ですが、王女が十九年前の地球へ渡ったあと、現地で自然に生活へ入れるようにする必要があります」
「自然に生活へ入れる、とは」
月側の管理官が尋ねる。
「住居、学校、身分上の整え方です」
その場にいた何人かが、資料へ目を落とした。
「王女がいきなり現れて目立てば、余計な注目を集めます。機密任務ですから、できるだけ自然な形で地球社会へ溶け込ませたい」
使者はそこで、祖父のほうを見た。
「過去のスターリングさんに協力をお願いしたいのです」
祖父の指先がぴくりと動く。
「住居や学校の手続きなど、現地での土台を整えていただきたい」
自分の名前が、過去の自分へ向けて言われる。
妙な感覚だった。
「こちらとしても、王女だけでは心許ない。だからこそ、同年代の地球人の少女に補佐してもらいたいのです」
また、その話へ戻る。
祖父は返事を急がなかった。
研究者としてなら、この計画は魅力的だった。
技術も手に入る。
成功すれば、闇の拡大も止められるかもしれない。
だが祖父としては、そこへルミエールを結びつけたくなかった。
ついさっき会ったばかりの孫の顔が、まだ頭から離れない。
ノートを抱えて、静かに、それでも引かずに立っていた顔。
そして、もうひとつ。
祖父の胸の奥には、別の怖さもあった。
ノアールから闇を消す。
言葉だけなら、それは正しいことのように聞こえる。
実際、止められるものなら止めたい。
十九年前に戻って、あの闇の原因を消せるなら、それに越したことはない。
けれど、祖父にはどうしても割り切れないものがあった。
ノアールは、ただの誰かではない。
息子の妻になるブランシュの妹だ。
もし過去を大きく動かしてしまったら。
ノアールの運命だけでは済まないかもしれない。
ブランシュの未来も、息子の未来も、今とは違うものになるかもしれない。
その結果、二人が結婚しなくなったら。
ルミエールが生まれなかったことになったら。
そこまで考えた瞬間、祖父の胸の奥が冷えた。
ノアールを救いたい気持ちはある。
けれど、そのせいでルミエールが消える未来だけは、どうしても受け入れられなかった。
「候補はいますか」
使者の問いが、会議卓に落ちる。
祖父は少しだけ目を伏せた。
いる。
思い浮かぶ名前は、ひとつしかない。
けれど、その名前を今ここで出したら、もう後には戻れない気がした。
「……検討します」
それが精いっぱいだった。
使者はそれ以上迫らなかった。
ただ静かにうなずき、資料を閉じた。
会議はそのまま終わった。
*
会議室を出たあとも、祖父の胸の中には重いものが残っていた。
技術が足りないから無理。
危険だから無理。
そう言って止められる段階では、もうなくなり始めている。
そこが何より恐ろしかった。
異星の技術が入れば、可能性は上がる。
王女が来るなら、任務は本格化する。
現地の手配まで求められているのなら、話はもう空想ではない。
そして、その全部の先に、ルミエールの姿が浮かんでしまう。
「……だめだ」
祖父は小さくつぶやいた。
研究者としては手を伸ばしたい。
祖父としては、絶対に伸ばさせたくない。
その矛盾を抱えたまま、祖父は静かな廊下を歩き出した。
ルミエールには、まだ話せない。
少なくとも、今すぐには。
そう思っているのに、胸のどこかではもうわかっていた。
この話は、いずれあの子のところまで届く。
そして届いた時、ルミエールはきっと黙っていない。
読んでいただきありがとうございます。




