表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/12

第10話 宇宙会議

おじいちゃんが宇宙会議に出席した時の話です。

 祖父が宇宙会議へ向かったのは、その日の朝だった。


 月の中枢区画にある会議棟は、いつもより警備が厳しかった。

 入口には見慣れない紋章をつけた護衛が立ち、廊下にも静かな緊張が流れている。


 祖父は通行証をかざし、指定された会議室へ入った。


 部屋は円形で、中央には立体の星図が淡く浮かんでいた。

 その周りを囲むように、各星の代表が席についている。


 月の研究者。

 移住圏の管理官。

 そして、祖父がこれまでほとんど顔を合わせたことのない、遠方星系の使者たち。


 着席して間もなく、会議は始まった。


 最初に話し合われたのは、いつも通りの調整事項だった。

 資源。

 航路。

 観測網。

 教育交流。


 けれど、どの議題にもどこか前置きのような空気があった。

 本題は別にある。そんな重さが、最初から部屋に沈んでいた。


 いくつかの確認が終わったあと、向かいの席にいた使者が静かに口を開いた。


「ここから先は、機密扱いでお願いします」


 その声と同時に、中央の星図が切り替わった。


 青白く光っていた地球圏の一部が、ゆっくり黒く染まっていく。


 祖父の指先がわずかに止まった。


「地球が、闇に包まれつつあります」


 部屋が静まる。


「すでに居住可能域は大きく失われている。地球だけ住めなくなるのなら、封じ込めの話で済みました。ですが問題は、その闇が地球圏の外へ影響を及ぼし始めていることです」


 黒いものが、地球の外へにじむように広がっていく。

 細い航路の線にまで、じわりと触れていた。


「観測障害、魔力通信の乱れ、周辺航路への干渉。まだ局所的ですが、このまま進めば宇宙全体への影響は避けられません」


 誰かが低く息をのむ。


 祖父は黙って図を見つめていた。

 黒い雲。

 広がる闇。

 どこか、聞き覚えのある話だった。


「原因はわかっているのですか」


 月側の代表が問いかける。


 使者は少しだけ間を置いた。


「確証はありません。ですが、うわさレベルの情報として、ひとつの名が挙がっています」


 祖父の胸が、嫌な予感で重くなる。


「十九年前の地球で、当時十七歳だったノアールという娘から闇が出た――そう聞いています」


 その名が落ちた瞬間、祖父の視線がかすかに揺れた。


 周囲には、その名前を知らない者も多い。

 けれど祖父には、その響きが軽いものではなかった。


「我々は、十九年前へ行きたいのです」


 使者は続けた。


「その時点でノアールの闇の原因を探り、可能ならば消したい。このまま何もせずにいれば、被害は地球圏の外まで広がるでしょう」


 会議卓の空気がさらに重くなる。


 十九年前。

 ノアール。

 闇の原因。

 消す。


 祖父の脳裏に、別の顔が浮かんだ。

 ルミエールだった。


「ただし、問題があります」


 月側の研究者が言った。


「十九年前へ行くという話なら、まず技術面の確認が必要です。こちらにも時空移動の研究はありますが、まだ完璧ではない。人を乗せた実験もしていません」


 祖父も静かに口を開く。


「月の過去ならまだしも、今回は地球の過去です。時間だけではなく、空間座標、天体位置、帰還経路まで同時に固定しなければならない」


「承知しています」


 使者はうなずいた。


「こちらの研究では、人を十九年前の地球へ安全に送り込める保証はまだありません」


 その言葉に、部屋の空気が少し沈んだ。


 だが使者はすぐに顔を上げた。


「それなら、我々の星の技術を提供しましょう」


 祖父の視線が動く。


「機体の貸与でも、座標固定や生体保護の技術供与でも構いません。我々の星は、この分野では月より進んでいます」


 会議卓に、低いざわめきが走った。


 祖父の胸の奥が、別の意味で揺れた。


 欲しい、と思った。


 研究者としてなら、その一言で十分だった。

 何年も手を伸ばして、まだ届かなかったものが、向こうから差し出されている。


 座標固定。

 生体保護。

 人を乗せるための安全補助。


 どれも、祖父たちが喉から手が出るほど欲しかった技術だ。


「もちろん、無条件ではありません」


 使者の声が続く。


「十九年前へ向かうのは、我々の星の王女です。十六歳。世間知らずではありますが、頭は良く、魔力は極めて強い。彼女の魔力に勝つ者はいないと言われています」


 王女を出す。

 そこまでしてでも止めたいほど、闇の拡大は深刻なのだ。


「ただ、王女ひとりでは地球社会へ自然に入れません。だから、同じくらいの歳の少女に協力してもらいたいのです。できれば頭が良く、強い魔法が使える子が望ましい」


 祖父の中で、ひとつの名前がまた浮かぶ。


 ルミエール。


 年齢も近い。

 頭の回転も速い。

 魔法も強い。


 そして何より、十九年前の地球へ行きたい理由を、本人がもう持ってしまっている。


 だが、そう思った瞬間にはっきりと別の感情が重なった。


 だめだ。


 孫をそんな場所へ行かせるわけにはいかない。


「いったん、ここで昼休みにしましょう」


 議長の声が落ちる。


 会議室の緊張が少しだけほどけ、各席の者たちが静かに立ち上がった。



 祖父は会議棟のラウンジへ出た。


 大きな窓の向こうに、白い月の街が広がっている。

 食事の香りがかすかに流れているのに、胸の中は少しも落ち着かなかった。


 技術は欲しい。

 それがあれば我々の研究は大きく前へ進む。


 けれど、その技術が前へ進めば進むほど、ルミエールが近づいてしまう。


「……困ったな」


 思わずこぼれた声は、小さくテーブルの上に落ちた。


 その時、ラウンジの入口のほうから足音が近づいてきた。


 祖父は顔を上げる。


 ルミエールだった。


 ノートを抱え、何かを考え込んだような顔で歩いてくる。

 祖父を見つけると、足を止めた。


「おじいちゃん」


「おお、ルミエール」


 返事をしながら、祖父は胸の奥が重くなるのを感じていた。


 よりにもよって、この昼休みに会うなんて。


 ルミエールは祖父の顔を見て、小さく首をかしげた。


「どうしたの? 何かあった?」


 鋭い子だと、こういう時に思う。

 少し表情が違うだけで、何かを感じ取ってくる。


「いや、ちょっと会議が長くてね」


「宇宙会議?」


「そうだよ」


 それだけ答えて、祖父は口を閉ざした。


 これ以上話せば、余計なことまでこぼしてしまいそうだった。


 だがルミエールは、抱えていたノートを少し持ち直して言った。


「私、おじいちゃんに話したいことがあるの」


 その一言で、祖父は察した。

 もう調べたのだ。

 そして、ただの勢いではなくなっている。


「……今かい?」


「うん」


 迷いの少ない声だった。


 祖父は短く息を吐く。


「少しだけなら聞くよ」


 ルミエールは、祖父をまっすぐ見上げた。


「私、ただ行きたいって言うだけじゃだめだってわかったの。何が危ないのか、何が足りないのか、少し調べた」


 祖父は何も言わなかった。


「時間だけじゃなくて、場所も合わせなきゃいけないこと。帰る先も決めなきゃいけないこと。魔力も、強いだけじゃだめで、安定してないと意味がないこと」


 ノートを抱く手に、力が入っている。


「だから……何を満たせばいいのか、知りたいの」


 祖父は孫の顔を見つめた。


 やはり、軽い思いつきではなかった。

 泣きつくような顔でもない。

 自分で考えて、整理して、その上で立っている。


 その目を見た瞬間、会議室で聞いた条件がますますはっきり重なった。


 同じくらいの歳。

 頭が良い。

 強い魔法が使える。


 そして、十九年前の地球へ向かう覚悟を持ち始めている少女。


「おじいちゃん?」


「……そうだね」


 祖父はようやく声を出した。


「少なくとも、簡単な話ではないよ」


「うん」


「危険が減るわけでもない」


「うん」


 それでも、ルミエールは引かなかった。


 祖父は苦しかった。

 この子はもう、頭ごなしに止めるだけでは止まらない。

 だが、それでも行かせたくはない。


「今は会議の途中なんだ」


 祖父はできるだけ穏やかに言った。


「この続きは、あとで話そう」


 ルミエールは少し黙ってから、うなずいた。


「……わかった」


 そう答えた顔に、前よりも静かな強さが残っていた。


 祖父はその顔を見たまま、午後の会議へ戻る時間が来たことを知った。



 午後の会議は、さらに具体的だった。


 使者は王女の派遣計画を改めて示し、その上で言った。


「技術面については、こちらが補います。ですが、王女が十九年前の地球へ渡ったあと、現地で自然に生活へ入れるようにする必要があります」


「自然に生活へ入れる、とは」


 月側の管理官が尋ねる。


「住居、学校、身分上の整え方です」


 その場にいた何人かが、資料へ目を落とした。


「王女がいきなり現れて目立てば、余計な注目を集めます。機密任務ですから、できるだけ自然な形で地球社会へ溶け込ませたい」


 使者はそこで、祖父のほうを見た。


「過去のスターリングさんに協力をお願いしたいのです」


 祖父の指先がぴくりと動く。


「住居や学校の手続きなど、現地での土台を整えていただきたい」


 自分の名前が、過去の自分へ向けて言われる。

 妙な感覚だった。


「こちらとしても、王女だけでは心許ない。だからこそ、同年代の地球人の少女に補佐してもらいたいのです」


 また、その話へ戻る。


 祖父は返事を急がなかった。


 研究者としてなら、この計画は魅力的だった。

 技術も手に入る。

 成功すれば、闇の拡大も止められるかもしれない。


 だが祖父としては、そこへルミエールを結びつけたくなかった。


 ついさっき会ったばかりの孫の顔が、まだ頭から離れない。

 ノートを抱えて、静かに、それでも引かずに立っていた顔。


 そして、もうひとつ。

 祖父の胸の奥には、別の怖さもあった。


 ノアールから闇を消す。

 言葉だけなら、それは正しいことのように聞こえる。


 実際、止められるものなら止めたい。

 十九年前に戻って、あの闇の原因を消せるなら、それに越したことはない。


 けれど、祖父にはどうしても割り切れないものがあった。


 ノアールは、ただの誰かではない。

 息子の妻になるブランシュの妹だ。


 もし過去を大きく動かしてしまったら。


 ノアールの運命だけでは済まないかもしれない。

 ブランシュの未来も、息子の未来も、今とは違うものになるかもしれない。


 その結果、二人が結婚しなくなったら。


 ルミエールが生まれなかったことになったら。


 そこまで考えた瞬間、祖父の胸の奥が冷えた。


 ノアールを救いたい気持ちはある。

 けれど、そのせいでルミエールが消える未来だけは、どうしても受け入れられなかった。


「候補はいますか」


 使者の問いが、会議卓に落ちる。


 祖父は少しだけ目を伏せた。


 いる。

 思い浮かぶ名前は、ひとつしかない。


 けれど、その名前を今ここで出したら、もう後には戻れない気がした。


「……検討します」


 それが精いっぱいだった。


 使者はそれ以上迫らなかった。

 ただ静かにうなずき、資料を閉じた。


 会議はそのまま終わった。



 会議室を出たあとも、祖父の胸の中には重いものが残っていた。


 技術が足りないから無理。

 危険だから無理。

 そう言って止められる段階では、もうなくなり始めている。


 そこが何より恐ろしかった。


 異星の技術が入れば、可能性は上がる。

 王女が来るなら、任務は本格化する。

 現地の手配まで求められているのなら、話はもう空想ではない。


 そして、その全部の先に、ルミエールの姿が浮かんでしまう。


「……だめだ」


 祖父は小さくつぶやいた。


 研究者としては手を伸ばしたい。

 祖父としては、絶対に伸ばさせたくない。


 その矛盾を抱えたまま、祖父は静かな廊下を歩き出した。


 ルミエールには、まだ話せない。


 少なくとも、今すぐには。


 そう思っているのに、胸のどこかではもうわかっていた。


 この話は、いずれあの子のところまで届く。


 そして届いた時、ルミエールはきっと黙っていない。

読んでいただきありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ