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生贄の巫女 ~偽りの巫女と仮面の守護者~  作者: 雨包おん
第13章 聖都/神域:虚妄の献身
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第84話 黄昏



 ソファにユオーミとアガナタが並んで腰掛けて談笑していた。

 窓から吹き込んだ風がレースのカーテンをそっと撫でる。揺れるその隙間から、綿雲が午後の日差しを受けて白く輝き、同時に深い陰影を抱いて空をたゆたうさまが見えた。


 侍女は、二人に茶を淹れた後、壁際に下がりながら、その様を盗み見る。


 先日の、まるで病に侵されたような面立ちは影を潜め、少しはにかんだ微笑みを見せる巫女。

 その横に座る、頭に包帯を巻いた管理神官は、半面のせいで表情こそ窺えないが、その語り口は穏やかで、巫女に対する親密な振る舞いはただの守護者と言うには少し無理があるように思われた。


 彼女は、そんな二人の変化に驚きつつも、安堵を覚え、無意識に口角を上げた。

 たとえ未来に何が待ち受けているとしても、今、笑っていられるのならそれでいいのだ。


「ごゆっくりどうぞ」

 控えめにそう告げ、二人の邪魔をせぬよう、彼女は静かに巫女の控えの間から退出した。




 アガナタは、侍女が退出したのを確認すると、半面を外して膝の高さにあるテーブルの上に置く。


「風が気持ちいいですね」と言って微笑むユオーミ。伏し目がちなその瞳が揺れていることに気づき、アガナタは奥歯を噛んだ。


 あと何度か日が沈んで昇れば、禊の儀式が始まる。そしてそこから三日後、生贄の儀式が執り行われる。

 それは、確実な死に向かって歩く日々。


 アガナタはユオーミを少しでも安心させたくて、自分の計画を話してしまいたい衝動に駆られる。

 だが、彼はそうすることができない。


 アガナタの予想が正しければ、禊の儀式で大導主は清めの砂を用いて、巫女から記憶を取り出すはずだ。それはつまり、ユオーミの知っている事柄全てを、大導主が知る恐れがあるということ。


 だから、彼らは未来の話をすることができない。


 ユオーミも、アガナタが未来の話を避けていることに気づいて、けれど何も言わない。

 語らないのであれば、語らないなりの理由があるのだと、彼女は理解していた。


 一方で、未来への不安を抱える中、互いの過去を話すには、それらは重すぎた。


 だから彼らは、代わりに「旅」についての話をした。

 彼らが出会い共に過ごした、この旅路の話を。


「初めて会った時、アガナタさん、凄く怖かったんですよ! 村長さんに怒鳴りつけたりして」

「いや、あれはあの村長が……」


「最初の告解の儀で、私、失神してしまって……」

「あれは焦った。君がいなくなってしまうんじゃないかって」

「あの時、アガナタさん、泣いてました?」

「……いや、別に泣いてないけど?」


 森の街道で盗賊に襲われたこと。湖畔の街の、夜の散歩。互いの名前を初めて明かした、ヌクメイでの逃走劇。洞穴の授業。月夜の喧嘩。白疫の民に襲われ、それから食料を提供されたこと。ラニーアの墓参り。……まだまだある。


 それは、これまで生きてきた時間から考えれば、本当に僅かな旅の日々。


 けれど、次から次へと蘇るその思い出たちは、これまで生きてきたどの時間よりも濃密で、今ここで共有されるその時の気持ちは、確かに二人が生きてそこにいたことを力強く証明していた。


 それは誰にも、例え神であったとしても否定することはできない、命の証明。


「アガナタさん」

 つい最近の出来事を、遠い昔を懐かしむように目を細めて思い出しながら喋っていたユオーミが、ふとアガナタの方に顔を向けた。


 先程までの微笑みが消え、彼女の瞳が滲む。


「私、もっと色々な所を、アガナタさんと一緒に旅したい」


 そう言うと、彼女の瞳にみるみる涙が溜まってゆく。

 一筋の涙が零れ落ち、それが合図だったかのようにユオーミは泣き出した。

 堪えようとして、後から後から涙が溢れてくる。


「もっと色んなものを見て、たくさんのことを知りたいの」


 掠れた声でそう訴えるユオーミに、胸を抉られるような痛みを覚えながら、彼女を抱きしめようと胸元まで持ち上げた両手は、震えたままそれ以上動かなかった。


 彼の強烈な無力感が、彼女に触れることを躊躇わせる。


 だが、葛藤するアガナタを他所に、ユオーミは彼の胸元に倒れ込み、彼は慌てて彼女の肩をそっと抱いた。

 自分から手を伸ばせなかった己の弱さに失望しながら、けれど、彼は勇気を振り絞って、自分の胸で泣くユオーミに言葉を紡ぐ。


「一緒に、旅に出よう。大丈夫、俺はずっと君の側にいる。君を、独りにはしない」


 その言葉を聞いて、ユオーミは堰を切ったように激しく泣き出し、彼は、彼女の背に手を回して力強く抱きしめた。




 空の色はまだ青かったが、日が傾き、日暮れの気配が漂い始めた頃、ようやくユオーミは泣き止んだ。


 ゆっくりとアガナタの胸から顔を上げると、真っ赤な目で彼の顔をちらりと見て、バツが悪そうに「ごめんなさい」と呟いた。


 アガナタは優しく微笑み、「謝ることじゃないさ」と返す。

 ユオーミはふと、長机の上に菓子が置かれていたのを思い出して笑顔を浮かべる。


「あ! この焼き菓子、とっても美味しいんですよ。是非アガナタさんも食べてみてください」



 菓子の甘さが体に染み渡り、心を落ち着かせる。

 茶はすっかり冷めてしまっていたが、むしろそれが心地よく感じられた。


 沈黙が訪れ、アガナタがぼんやりと部屋を見渡していると、部屋の隅に見知った物を見つけた。

「……あれは?」


 アガナタの指し示した先にあるそれを見て、ユオーミは顔を輝かせる。

「そうだ、忘れてました! 侍女さんにお願いして、持ってきてもらったんだった。ねぇ、アガナタさん。お願い」


 アガナタは立ち上がり、それを手に取って長椅子へと戻る。

「では、ご要望にお応えして」

 彼女に微笑みかけ、それから彼は足を組んで、その楽器、リュートを膝の上に乗せると、その弦を優しく爪弾いた。



 論戦であれば、彼はそう簡単に負けない自信はあった。だが、不安に震える彼女にどんな言葉をかければ良いのか、どんな言葉が彼女の苦しみを和らげることができるのか、全く浮かんでこない。


 あれだけの本を読みながら、こんな時に役立つ言葉ひとつ出てこないことに失望しつつも、逆に、父の書斎にそのような本ばかり沢山あっても、それはそれで嫌だな、等と思い、ふと自嘲の笑みが溢れた。


 気の利いた言葉は言えないが、だが、自分には楽器これがある。言葉にならない思いを旋律に乗せて、ユオーミに届けよう。彼女の不安が、悲しみが少しでも癒やされるようにと願い、奏でるそれは、言葉はなくとも確かに祈りそのものだった。




 既に日は落ち、時々思い出したように揺れるカーテンの隙間から星空が見える。

 優しい音色に包まれて、気づくと、ユオーミは彼の左肩にもたれて眠っていた。


 暗い、静かな室内で、アガナタは演奏の指を止める。

 ただ、彼女の寝息だけが耳元で静かに聞こえていた。


 こんな時間が永遠に続けばいいのに。そんな感傷がふと胸に浮かび、けれど同時に、残された時間の少なさからくる、言いようのない焦りが染みのように胸に広がってゆく。


 アガナタは、その冷たい水に沈むような苦しみに顔を歪め、無言で耐える。瞳を閉じて天を仰ぎ、大きく息を吸い込んで自分の感覚を研ぎ澄ませると、心の内に浮かんでくるものをそっとすくい上げた。


 不安。迷い。苦しみ。希望。

 そして、失うことへの恐怖。


 その恐れが彼の心を弱らせ、鋼の意志に亀裂が入るような、そんな錯覚。

 心の芯から来る冷たさに思わず身震いすると、ふと、左肩に熱を感じた。


 安らかな寝息をたてる彼女の、その心地よい重さを感じながら、そこに意識を集中させる。その太陽のような暖かさ。彼女は、今間違いなくここにいる。

 アガナタは首を傾け、自分の頬で彼女の頭に触れる。彼女が自分の隣りにいてくれる奇跡を噛み締めながら、何があっても、彼女だけは救い出すと、そう心に誓った。



「失礼いたします」

 部屋の外から不意に呼びかけられ、アガナタは慌てて半面に手を伸ばして素顔を隠す。だが、彼が性急に動いたことで、彼にもたれていたユオーミは体勢が崩れて、ゆっくりと彼の膝まで頭が落ちてしまった。それでも、彼女は変わらず眠ったままだった。


「真っ暗ではないですか! 大丈夫ですか?」

 テキパキと部屋に灯りを付けて回る侍女。


 タイミングから考えると、部屋の外で演奏が止むのを待っていてくれたのだろう。気を利かせてくれた彼女に感謝しつつも、ユオーミを膝枕しているこの状況に気まずさを覚え、さりとて彼女を起こすのも忍びなく、一瞬の迷いの後、アガナタは普段以上に凛々しい顔を作って侍女に声を掛けた。


「巫女様は演奏を聞きながら寝てしまわれたようだ。済まないが、巫女様を寝台まで運んではもらえないだろうか?」


 侍女は、そんなアガナタとユオーミの様子を見て微笑み、「あらあら」と言いながらユオーミを寝台へと運ぶ。細身の体躯に似合わぬ確かな手つきで、その所作は全く危なげがなかった。


 そして彼女は、ユオーミに布団を掛けながら後ろにいるアガナタに話しかけた。


「本来、禊までの期間、巫女様は身の回りのお世話をする者以外との接触は禁じられています。今回は異例なのです。でも、私はそれを好ましいことと感じています。


 ただ、毎年巫女様のお世話をさせていただいている経験から申し上げますと、死を目前にして、平常心でいられる人などおりません。どうか、巫女様を支えてあげて下さい。その為に必要なことがあればできる限りお手伝いいたします。何なりとお申し付け下さい」


 アガナタは、少し驚き、じっと彼女の背中を見つめた後、「ありがとう」と答えた。



 それから禊が始まるまでの数日間、アガナタは時間を見つけては巫女の控えの間に顔を出し、ユオーミと旅の思い出を語り合い、リュートの音色で祈った。


 ユオーミは、いつも以上によく笑ったかと思うと、突然泣き始め、また、些細なことで侍女を質問攻めにしたり、アガナタを「冷たい」となじったりした。


 アガナタは、そんな彼女を見るのが辛く、自分の無力さにやり場のない怒りを感じたが、そんな思いはおくびにも出さず、ただ、彼女に微笑みを向けながら、自分にできることを愚直にやり続ける。


 だが、彼にもたれ掛かるユオーミの為に祈りの音色を捧げる行為は、奇しくも、彼にとって十五年前、ラニーアの為の演奏の再演であり、言いようのない不安が胸を塗り潰してゆく。


 もう永くはないと医者に言われ、絶望に打ちひしがれてベッドに横たわる彼女の横で、アガナタは何も言えず、ただ、救いを求めてリュートをかき鳴らした最後の日々。


 自分が、一体彼女に何を与えることができたのか、彼は確信が持てなかった。自分がもたらしたのは、ただ歪で、苦しみを長引かせるような絶望だったのではないかと、そんな思いを抱き、息苦しさを覚えながら、けれど、今ユオーミのために、再び祈りを込めて、震える指で思いを音色に添える。



 窓の外では太陽が大地に別れを告げ、紫がかった空にそっと一番星が姿を現していた。

 黄昏の空の向こうに、家路を急ぐであろう、二羽の鳥の影が溶けてゆく。


 アガナタは演奏の手を止め、右手で彼女の頭をそっと撫でる。されるがままの彼女の、その瞳から一筋の雫が溢れ落ちた。



 そして、永遠に続いて欲しいと願った時間は終わりを告げた。


 ――明朝、禊の儀式が始まる。



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