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生贄の巫女 ~偽りの巫女と仮面の守護者~  作者: 雨包おん
第13章 聖都/神域:虚妄の献身
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第83話 彼女の世界



 レシュトロの部屋の前に立つ警備の男は、誰に聞かせるでもなく溜息をつく。部屋の主の具合が悪くなってからというもの、「誰にも会わない」という命令を守るため、頑なに入室を拒んできたわけだが――


 レシュトロに会うことはおろか、取り次いでさえもらえない異常事態に、誰もが驚き、困惑している。そんな姿に罪悪感を覚えたが、それよりも彼らを困らせる存在があった。


 それが、やんごとなき身分の者たちだ。その気になれば衛兵の首を飛ばすなど容易いような彼らを門前払いするのは、本当に心臓に悪い。先日も、ニアティやベイツといった幹部の来訪を拒絶したばかりだが、その時、彼は膝の震えが止まらなかった。


「早くお体を治していただかないと、こっちの具合が悪くなりそうだ……」


 そうぼやく彼の前に、ふと人影が迫った。


「またか……」と内心で苦々しく思いながらそちらに向き直り、決まり文句を告げようとした彼は、そこに立つ相手を見て思わずのけ反り、暫く呆然と相手を見つめた後、慌てて片膝をついた。




 昼だというのにカーテンは閉じられ、薄暗い部屋。レシュトロはそこで、頭まで毛布にくるまり、寝台の上で横になっていた。


 先日の失態。ユスノウェルに無断でアガナタを捕らえて尋問し、あまつさえ巫女に傷まで負わせたところをアーオステニアに見られてしまった。


 必死で押し殺してはいたが、怒りのあまり引きつった彼の顔に、思い出すだけで胸が締め付けられる。どんなに毒舌を吐いたとしても、今まで一度も見せたことのない表情。だが、恐ろしいのは彼ではなく、彼が報告する相手だ。

 おそらく、今回の独断についてユスノウェルに全て報告されてしまっているだろう。

 アーオステニアはユスノウェルの盟友で、その一言一言をユスノウェルが無下にすることは殆どない。


 彼女にとって、ユスノウェルが全てであり、彼から見捨てられることは、死よりも重い絶望だった。



 ふと、扉が開く音と共に、誰かが部屋に入ってくる気配があった。


 誰も入れるな、という彼女の指示を押して入って来られるのは、彼女より高位の者。つまり、アーオステニアが引導を渡しに来たのだと、そう直感する。


 彼女の執務室を抜けて、隣にあるこの私室に足音が近づいてくる。


 もし、教団を追放されるようなことになったらどこで暮らせばいいのか、等と彼女はぼんやりと考えつつ、最早、呼吸をすることすら面倒に感じられた。


「入るぞ」


 私室の入口から告げられた言葉。

 想定していなかったその声に、彼女は思わず体を震わせる。


「何だ、寝ているのか?」


 絶対に聞き間違えることのない主のその声に、毛布を握りしめて身をすぼめる。

 早鐘を打つ鼓動に、呼吸が乱れる。


 アーオステニアによって追放されるのならば淡々と受け入れる事ができる。だが、ユスノウェルに面と向かって失望を告げられてしまえば、彼女は耐えることができないだろう。


 主に対して礼を失する行いでありながら、彼女は毛布から顔を出すことができなかった。いっそ今すぐ喉を掻き切りたいと欲したが、あいにくナイフは机の上だ。


 寝台が僅かに軋み、傾きを感じたことで、彼が寝台に腰掛けたのが伝わる。

 だが、彼は何も言わない。


 沈黙の恐怖に耐えかねた彼女は、咄嗟に自分の両手で自らの首を掴み、締め上げた。こんなことで目的を達せられるとは思わなかったが、それでも何もしないでいることに耐えられなかったのだ。


 震える手、滲む視界。


 首に食い込む指の痛みも、呼吸できない苦しさも、この恐怖に比べれば取るに足らない。

 自己憐憫など持ち合わせてはいない彼女だったが、必死にもがく自分を酷く滑稽だと、そう感じた。


「アーオステニアから聞いたぞ」


 どきりとして、思わず首を締める手が緩んだ。


「どうやら、やり過ぎたようだな。まぁ、お前らしいと言えばそうなんだが。

 奴は常に冷静に見えて、相当な家族思いだからな、私と違って。

 あんなに怒ったアイツを見たのは久しぶりだったぞ。前に見たのは、それこそ大陸戦争中じゃないだろうか。いやぁ、宥めるのが大変だった」


 カラカラと笑うユスノウェル。


「……も、申し訳、ありません」

 むせながらも、消え入りそうな声で謝罪するレシュトロ。


「それはもういい。……それよりも、話しておきたいことがある」


 許された、という安堵も束の間、彼の声色の変化を敏感に感じ取ったレシュトロの胸に、言いようのない不安が滲む。


 一度咳払いし、ユスノウェルはなんでも無いことのように言葉を続けた。


「……レシュトロ、お前も気づいているとは思うが、私はもう長くはないだろう」

「聞きたくありません!!」


 思わず叫んでいた。


「だが、話さねばならん」

「その時は私もお供します!!」


 毛布を跳ね除け、ユスノウェルに縋り付くレシュトロ。

 彼女の悲痛な表情とは裏腹に、彼の顔は酷く穏やかに見えた。


 彼の瞳が、まっすぐに彼女を捉える。


「いいや。お前に頼みたいことがあるんだ」


 レシュトロは、普段であれば微笑み返すような彼の優しい瞳に、酷く苛立ちを覚えた。その、死を受け入れたような眼差しを、どうしても認めることができない。


 必死でユスノウェルにしがみつき、その顔を彼の腰にうずめて叫んだ。

「嫌です!! 私を置いていくというのなら、巫女も、教団も、大陸の人々も、全て殺します!」


「おいおい……。せっかく私たちが作り上げてきた平和が、台無しになってしまうじゃないか」


 苦笑いしたユスノウェルは、そんな彼女を見下ろしながら目を細めた。


 沈黙が訪れ、ただ、レシュトロが鼻をすすり上げる音だけが響いている。


 ユスノウェルはふとレシュトロの頭の上に手を置き、呟くように言う。

「こうしていると、昔を思い出すな……」

「……」




 レシュトロがユスノウェルと出会ったのは、大陸戦争が終結して数年後のことだった。


 彼女は親の顔を覚えていない。

 物心付く前に、二人共戦争で死んでしまった。どこでどうやって生き延びてきたのか、殆ど覚えていない。戦争が終わっても、誰もが貧しく、他人に情けを掛ける余裕などない世界で、身寄りのない子供たちは路地裏で過酷な生存競争に晒されていた。


 その時彼女は十歳にも満たなかったが、幸か不幸か、泥に塗れても人目を引く彼女の端正な顔立ちは一部で「需要」があり、それで生計を立てていた。危ない目にも何度も遭ったが、それ以外に、こんな小さな少女が誰の助けもなく生きてゆく術はなかった。


 まるで、羽をもがれ、仰向けに転がされた虫のように。



 戦後の復興状況を確認するため、各地を視察して回っていたユスノウェルは、路地裏で商売中の彼女に出会った。彼は、一切の躊躇いなく、反射的に客の男を斬り捨てた。


 横たわったまま男の血を浴びた彼女は、眉一つ動かさずユスノウェルの方を睨み、「お前のせいで金がもらえない。お前が金を払え」と言った。



 彼女は、ユスノウェルの建てた孤児院に、最初に迎え入れられた子供となった。


 孤児院の世話人や、他の子供たちに全く馴染まず、浮いた存在だった彼女をユスノウェルは気にかけ、時間を作っては様子を見に行った。この頃はまだ、教団の規模も今ほどではなく、彼も時間に余裕があったのだ。


 彼女が酷い悪戯をしても彼は全く怒らず、むしろ周りの人間が「大導主様になんてことを……」と慄いたが、彼はいつもレシュトロに優しく話しかけ、ただ、彼女が危険なことをした時だけは厳しく叱った。


 やがて彼女は、次第にユスノウェルにだけ心を許すようになった。


 その後ユスノウェルは職務が忙しくなり、次第に孤児院から足が遠のいていったが、レシュトロはむしろ彼への憧れを深めてゆく。


 ユスノウェル以外の人間は、「人」等と名乗ってはいても、言葉が通じるだけのただの動物に過ぎない。自分を含めて、「虫」のような彼らが溢れるこの世界で、ただ、ユスノウェルだけが彼女の世界の彩りになっていた。



 彼女は成長し、孤児院を出る際に強く志願した結果、幸運にもユスノウェルの側仕えとなることができた。そして、とあるきっかけで諜報任務に貢献し、これが朧の原型となる。


 それからは、まるでユスノウェルの影のように、彼女は常に彼と共にあった。

 彼女はそこで、彼が大陸の平和の為にどれ程悩み、苦しんだ上で冷徹な決断を下しているかを知る。


 自分だけが彼の苦しみを知っている。自分だけがその彼の影となり、力となることができる。

 その事実に、彼女の心は激しく震えた。



 彼女は、敬愛するユスノウェルの代わりに汚れることに喜びを感じる。


 任務が困難であれば困難であるほど、道徳的葛藤が深ければ深いほど、神聖なユスノウェルを守ることができたと、彼の役に立つことができたと、言葉にできない程心が満たされるのを感じた。


 故に、彼女は迷わない。

 彼の妨げとなるあらゆる障害を、どんな手を使ってでも排除する。

 虫を潰すのに、道徳など必要ないのだから。




「ユスノウェル様がいなければ、平和にも、大陸にも価値がありません!」

 声を殺して泣き出すレシュトロ。彼女は、決して失ってなるものかと、彼にしがみつき、顔を押し付ける。


「一緒に地獄を歩いてきたと、自負しております。だと言うのに、今更私を置いていくのですか!!」


 彼女の世界そのものが、終わりを告げようとしている。そんなこと、認めるわけにはいかなかった。だから、不敬だと分かっていても言葉が止まらない。


「私が失敗したからですか? まだ、まだお役にたてます! お願いです。命令してください! どんな命令でも全て完璧にこなしてみせます!! だからどうか、長くないなどと、そのようなことを言わないでください!」


 ユスノウェルは瞳を閉じ、泣き続けるレシュトロの頭をそっと撫でる。


 だが、その口から慰めの言葉は出てこない。


 風が出てきたのだろう。窓から吹き込んだそれがそっと厚手のカーテンを揺らすと、薄暗い部屋の中に光が踊った。


 眉間に皺を寄せ、何かに耐えるように、無言でレシュトロの頭を撫でていた彼は、そっと目を開く。

 険しい顔で虚空を睨むその瞳の奥に揺れているのは、一体どんな思いなのか。


 昼下がり、光舞う薄暗い部屋の中で、彼女に聞こえないように、ユスノウェルはそっと、深く息を吐き出した。



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