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生贄の巫女 ~偽りの巫女と仮面の守護者~  作者: 雨包おん
第13章 聖都/神域:虚妄の献身
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第82話 帰還



 聖都にある、教団の神殿。その廊下を足早に歩く二人の男がいた。


 彼らはニアティの執務室の前で立ち止まると、互いに顔を見合わせる。部屋の前にいる守衛たちも、見知った男の緊張した様子に気を遣い、黙って見守っている。


 ニアティの副官の男が大きく息を吸い込み、それから部屋の主に声をかけた。


「ニアティ様! 緊急事態です!!」



 長椅子に腰掛けて背を預け、ぼんやりと考え事をしていたニアティはその声に我に返り、男の入室を許可する。


 自分の副官と、もう一人の男が入ってくるとニアティは片眉を上げ、副官へ鋭い視線を向けた。

「その男は?」


「この男はレシュトロ様の部下なのですが、なんでもレシュトロ様の具合が悪いようで、誰とも会わないとおっしゃっているそうです。しかし緊急事態ゆえ、代わりにニアティ様に報告したいと」


 先の地下牢でのレシュトロの様子を思い出し、ニアティは胸の痛みに一瞬顔をしかめたが、すぐに元の顔に戻り、報告を促す。


 だが、その男の口から聞かされた内容に、ニアティは再び顔を歪め、思わず言葉を失った。



 実は、今神殿にいる巫女は偽物で、本物の巫女は別にいるということ。

 本物の巫女ナァラとその母親を聖都に移送中、馬車が何者かに襲われ、二人が連れ去られたということ。


「彼女が、偽物……?」

 絞り出すように呟いたニアティは、偽の巫女「ユオーミ」の顔を思い出す。

 あの、気高き少女が偽物などとにわかには信じられなかったが、それと同時に、皮肉な思いに囚われる。


 交換可能な存在である巫女。実際に「ユオーミ」を処理しようとさえしたニアティからしても、「本物」や「偽物」に意味があるとは思えなかった。

 朧の指揮官としては失格だが、むしろ、「ユオーミ」が巫女であることにこそ意味があるように感じ、けれどそれは自分の感傷だと、嘲笑を漏らす。


 その、自嘲気味ながらもどこか温かみを感じさせる微笑みを、副官の男はじっと見つめていた。



 天井を見上げて逡巡したニアティは、感傷を捨て、現実に集中する。


 本当の巫女が別にいて、それを移送していること、そしてその位置まで知っているのは一体誰か?


 ――そう、朧の中に潜む裏切り者だ。


 相手は、巫女に特別な力がなく、交換可能な存在であることを知っている。つまり、これは「ナァラ」個人を狙ったわけではなく、「本来の巫女」を狙った誘拐という訳だ。


「だとするならば、目的は儀式の撹乱。……ひいては教団権威の失墜か」


 ニアティは奥歯をぎりりと歯を鳴らすと、胸に染み出すような不快感を振り払うように、勢いをつけて立ち上がった。




「申し訳ありません、ニアティ様。誰も通してはならないと厳命されています」

 レシュトロの部屋の前で、警備の男は申し訳なさそうに告げる。


「緊急の用件なのだが」

「申し訳ありません……」


 ニアティは扉をじっと見つめ、それから大声を上げた。

「レシュトロ様、ニアティです! 火急の用件があって参りました。どうか、入室を許可願います!」


 しかし、部屋の中からは何の返事もなく、ニアティは思わず嘆息する。

 生贄の儀式の迫るこのタイミングで、朧の司令塔たるレシュトロが引き籠もるなど、誰が想像できただろうか?


(レシュトロ様不在の間、仮に自分が指揮を執るにしても、情報が足りなさ過ぎる。巫女ナァラをどこまで追うべきか? そもそも犯人に心当たりはあるのか?)



「おや、ニアティ殿。今何やら大声が聞こえたが、レシュトロ様はご在室かな?」


 顎に手を当て、レシュトロの部屋の前で思考の海に沈んでいた彼女は、唐突に声をかけられて顔を上げた。


 そこには、人好きのする、しかしどこか貼り付けたような笑顔を浮かべるベイツがいた。

 ニアティは、思わず眉根を寄せ、慌ててそれを元に戻した。


 ニアティは、ベイツの有能さこそ認めてはいたが、あまり好意を抱いてはいなかった。彼女自身も何故なのか上手く言語化できなかったが、彼の作り出す柔和な雰囲気の奥に、得体の知れないものを感じていたのだ。



「……レシュトロ様は今、誰ともお会いにならない」

「ふむ……? 困ったな。レシュトロ様に呼ばれて、今聖都に戻ったところなのですが」

「……」


 無愛想に答えるニアティに、別段気を悪くした風でもなく、ベイツが応じる。

 少し考えた後、「出直します」と言って去ってゆく彼の背中を、ニアティは凝視する。


(ベイツは今、レシュトロ様に到着の報告をしようとした。つまり、あの時地下倉庫の入口にいて巫女様を導いたことは、レシュトロ様には秘密というわけか……)


「……何を企んでいる?」


 ベイツの背中に投げかけたその言葉は、殆ど音の形を取らず、傍から見れば、ただ、ニアティの唇だけが動いたように見えた。




「お帰りなさい!!」


 額と頭部の一部に包帯を巻いた状態で、半面を着けたアガナタが奉献の徒の控えの間に入ってきた時、最初に声を上げたのは赤の守護神官だった。


 その声に驚き、照れくさそうに応じる彼に、守護神官たちも思い思いに声を掛ける。

「お待ちしていました!」

「やっぱこうでないと!」


 オッドーは、長椅子から立ち上がると、何も言わず、ただアガナタと目を合わせて頷いてみせる。


「君が、父に知らせてくれたらしいな。ありがとう。感謝する」

 アガナタは、赤の守護神官の方に向き直り、頭を下げた。


 赤の神官ははにかんだような笑顔を見せ、嬉しそうに応じた。

「私、あの時もう駄目かと思ったんですよ。でも、神官長が来てくれて、私のことを姪だと言って庇ってくれたんです。

 ははは。ということは、管理神官とは従兄妹いとこですね!」


「ふっ、そうだな。これからもよろしく頼むよ」

 そう言って、半面の下から覗く口元に、柔らかい笑顔を見せるアガナタ。この旅の中で一度も見せたことのないその表情に、その場にいた誰もが驚いた。


 青の神官たちが顔を見合わせる中、赤の神官は大きく息を吸い込んで、少し緊張した微笑みで応じる。

「で、従兄にいさん、今度は何を企んでるんですか? 陰でこそこそやってたら、手伝えないでしょ?」


 アガナタは驚き、黙ったまま皆の顔を見回す。


 それに応じる仲間たちの瞳は、半面越しでも分かるほど強い意志を宿し、その口元には凛々しい微笑みを浮かべていた。そして、最後に目を合わせたオッドーが、再び頷く。


 アガナタは瞳を閉じて息を吸い込む。


(――馬鹿だな、俺は)


 そして、独りでなんとかしようとしてきた己を恥じた。

 自分一人の力でできることなどたかが知れている。ここに、信頼できる仲間がいるのだ。目的を達成するために、必要なことならば何でもすべきなのだ。


 大きく息を吐き出して、瞳を開いたアガナタは、静かに、しかしはっきりと皆に問いかけた。


「初めに聞いておきたいのだが、皆、巫女様のために命を捨てる覚悟はあるか?」


「何を今更!」

「当たり前でしょ!」


 間髪入れずに返されたその返事に、アガナタは無性に嬉しくなり、微笑みながら続ける。

「うん。では、ここからが本題なんだが、巫女ではなく、一個人としての彼女のために、命をかけることができるだろうか。……正直な気持ちを教えてくれ」


「え? それってどういう……」

 管理神官たちに、戸惑いの空気が流れた。


「私は、……いや、俺は、一人の少女としての彼女を救いたいと考えている。つまり、彼女を生贄の運命から解放したいんだ。だがそれは、教団のしきたりに背くことになる」


 しん、と静まり返った部屋に、誰かが息を呑む音が響いた。


 だが、アガナタは止まらない。一人ひとりの目を見つめながら、はっきりと思いを伝える。

「……生贄の巫女を、終わらせる。そして、彼女を普通の少女として生かしたい。

 頼む、皆の力を貸してくれ!」


 そう言ってアガナタは頭を下げた。


 沈黙が流れる。


「……勝算は?」


 重苦しい空気の中、野太い声が響いた。


 アガナタが顔を上げると、正面からオッドーが彼を見つめていた。


「勝算は、あるんだろうな? みんな、巫女様のことは大切に思ってる。だが、その一方で守るべき家族がいるのも事実だ。中途半端には乗れない」


「……ある。だが、皆にお願いしたいのは全面的な協力ではない。私が事を起こした時、こちら側に付かなくていい。もし失敗したら、むしろ躊躇なく私を拘束してくれ」


「そんな!」


 驚いた神官たちが抗議の声を上げた。だが、アガナタは落ち着いたまま続ける。


「その方が、私も遠慮なく暴れられる。

 今回の計画は、どうしても賭けの部分が残る。いざという時の逃げ道として、皆は『知らなかった』ということにして欲しい。けれど、勝機が見えた時に、こちら側について欲しいんだ」


 不安そうな瞳が、アガナタを見つめている。


「それに、何もするなってことじゃない。それまで、私の怪しい動きを意識的に見逃してもらう必要がある」


 アガナタは意図して「クーデター」という言葉を使うことを避けた。それは何も、彼らを信用していないからではない。ただ、その言葉の響きの重さに、彼らが動揺する事を避けたかったからだ。それに、気休めかもしれないが、仮にどこかで失敗した時に、知らなければ助かる道もあるかも知れない。


 一方で、本当に危険な事を伝えない事を後ろ暗く感じてもいた。まるで、自分の罪悪感を軽くするための中途半端な情報開示。だが、これが作戦実行のための最適解であると、自分を無理やり納得させる。


 文句なら、事が終わったあとでいくらでも聞こう。


「協力者がいる。生贄の儀式の際にある騒ぎを起こし、そこから一気にひっくり返すつもりだ。……すまない、今皆に示せる情報はここまでなんだ」


 赤の守護神官と、瞳がぶつかる。

 その真剣な瞳が、アガナタには揺れているように見えた。


「……もう一度聞きます。勝ち目は、あるんですね?」


 ――きっと、彼女は気づいている


 そして彼は自覚する。最早これは「ただ自分を信じてくれ」という願いに過ぎない。

 それでも、たとえ卑怯と思われようとも、彼はその言葉を口にする。


「勝ち目は、ある。そのためにできることは全てやり尽くす」


 暫しの沈黙の後、赤の神官は微笑みを見せた。

「分かりました。私は協力します」


「やります!」

「勿論です!」


 口々に賛同の意を伝える言葉。そして、最後にオッドーが口を開いた。

「お前に、俺達の命を預けよう。ただし、必ずやり遂げろよ。中途半端は許さんぞ」


「皆、ありがとう!」

 アガナタは再び頭を下げる。


 だが、赤の神官の微笑みが強張っていたのを感じ取り、アガナタは胸が苦しくなる。


 様々な人々の運命を巻き込んだ、絶対に失敗できない戦い。失敗すれば、仲間やその家族を破滅へと導くこの一勝負を前に、アガナタは奥歯を強く噛み締め、自分の弱さを飲み込む。


 そして顔を上げた彼の顔は、かつての鋭利な管理神官のものに変わっていた。


 そんな彼の様子を、オッドーは半面の奥の鋭い瞳で、静かに見つめていた



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