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生贄の巫女 ~偽りの巫女と仮面の守護者~  作者: 雨包おん
第12章 聖都/地下牢:空の器
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第75話 聖域の守護者



 ニアティは、レシュトロの机の上に置かれたその資料に手を伸ばそうとして、自分の腕が震えていることに気づいて思わず動きを止める。


 そして、固く瞳を閉じ、自分に言い聞かせた。


 ――これ以上、深入りするな



 最近の自分は何かおかしい。


 仕事は概ね順調だ。先程は、「さすがニアティ」なんて、滅多に聞くことができない言葉でレシュトロ姉に褒められた。


 だが、近頃は何故か気分が晴れない。気のせいか、溜息も増えた気がする。


 それもこれも、アイツのせいだ。

 ――奉献の徒の管理神官、アガナタ


 彼は、初めはただ手強いだけの処理対象だった。

 だが、あの男の巫女に対する献身は本物だ。管理神官が巫女に尽くすのは当たり前だが、アガナタのそれは度を超えていた。


 王都へ急行するという奇策にも驚いたが、それ以上に、圧倒的多数に囲まれながらも心折れず、文字どおり満身創痍で巫女を守護せんとするその姿に衝撃を受けるとともに、人は、誰かを守るためにここまでできるのだろうかと、畏怖の念を覚えた。


 弱きを助け、強きをくじく。

 気高いその姿は、自分がかつてなりたかった姿。



 初めはレシュトロへの憧れで朧に参加したニアティだったが、現実は厳しく、汚れ仕事の数々に腐りそうになった。だが、平和のために、孤児院にいる弟妹きょうだいたちのような者たちの為に自分が何かできるのならばと、目を覆いたくなるような任務にも挑み続けた。


 納得できないことも沢山あったが、結果として世界の平和は保たれ、他でもないレシュトロ姉からも認められ、重用された。


 これでいいんだ。これが正しいんだと、そう思おうとしたし、やがて本当にそう思うようになっていた。



 初め、アガナタが朧を向こうに回して巫女を守ろうとした時、小さな胸の痛みとともに憤りを覚えた。巫女様を守り切る力もないくせに、正義面せいぎづらをするなと。


 力なき正義は、正義ではない。

 何故なら、弱き者を守れないからだ。


 言うことは立派でも、結局守りきれない。

 そうやって、口先だけの正義は朧の前に屈し、散っていった。


 これで、いいんだ。これが、正しいんだ。これこそが、弱きものを救う唯一の道なんだと、そう思った。


 見せかけの正義きぼうはもう沢山だ。そんなものはもう見たくない。見るのが、辛い。

 正義を叫ぶ彼らが、いっそ邪悪であれば救いもあった。だが、実際はそうではなく、私は日々、希望の芽を探して摘むような、そんなことを当たり前に行ってきた。



 だというのに、どうしてアイツは折れない。屈しない。

 必死で叩き潰そうとして、それがままならない。


 血塗れで叫ぶあの男に、何かが揺さぶられるようで、胸が苦しくなった。

 正しいだけで勝てるほど世界は甘くはない。だが、それでも、願わずにはいられない。


 ――高潔な精神と鋼の意志でもって、弱きものを救い給え


 自分がかつて望み、諦めた姿。それが、そこにあった。


 そして、その彼の庇護の対象である生贄の巫女。

 彼の献身を浴び、少女もまたその精神を体現する。


 その瞳には、今まで見てきた巫女たちのような絶望はなく、儚くも凛とした意志が現れていた。

 彼女が、その小さな巫女が、自らの力でアカネイシア王国の後継者問題を見事に収めたと知った時、心が、震えた。思わず涙ぐみそうになった。


 ここに、こんな所に、希望はあった。

 私が摘もうとしたその命が、それをものともせずにこの手から逃れ、その先で見事に美しい花を咲かせたのだ。



 だが、それすらもまやかしかもしれない。安心させておいて、実はあっけなく散ってしまうのではないか。そんな疑問が頭をもたげた。


 だから、私は朧の指揮官として彼らの前に立ちはだかる。


 決して偶然ではないと、まぐれではないと証明して欲しかった。

 これまで自分が手を汚して切り開いた、血塗られたこの平和の道こそが誤りだと、そう、突きつけて欲しかった。


 手を抜いたつもりはない。彼らが私の想像を、手練手管を超えてゆくのが、痛快ですらあった。



 だが、アガナタは情にほだされて判断を誤り、私の手によって尻尾を掴まれ、解任された。


 やっぱり、私のほうが正しかったのだ。


 巫女の願いを叶えようと無謀な賭けに出たことに高揚し、けれどその結果巫女を独り残して退場したことに失意を覚えた。


 やはり、希望なんて無い。あるのは、組織としての管理された平和。

 そこには、個人の意思や思惑など関係ない。


 そう、ここは、平和の箱庭


 何というつまらない現実か。こんな、どうしようも無いほどつまらない現実に押し負け、潰される。その程度の実力で、どうして生贄の巫女を終わらせるなどと願ったのか。


 お前が、お前がもっと無能であったなら、奇跡のような結果を示しさえしなければよかったものを!

 ここで折れるくらいなら、初めから毒を喰らって終わっていればよかったものを!


 ……こんなことなら、期待なんかしなければよかった。



 お前のせいで、しっかり飼いならし、眠らせてきた感情が目を覚ましてしまった。もう希望は潰えたというのに、それは再び眠りにつく気配を見せない。


 何ということだ。


 かつて何よりも願った純粋な渇望を、再び自らの手で殺して埋めろというのか。



 けれど、一番失望したのは自分自身にだ。


 大した覚悟もないくせに、大義を掲げて個人を踏みにじる。役割と自分のはざまで引き裂かれた心を抱いて、私はただ、誰かに助けて欲しかっただけなのだと、そう認めざるを得なかった。



 他人の血で塗れた私に、そんな資格は無いというのに、それを望む浅ましさに思わず嘲笑が漏れた。

 そして、深い深い溜息をつきながら、手に取った資料に目を走らせる。


 そこには、十五年前の生贄の巫女について綴られていた。



「巫女の、脱走……!?」


 反射的に危険を感じた。

 この先は読んではいけない。だが、その思いに反して文字を追う目は止まらなかった。


 神域という閉鎖空間における脱走にも関わらず、逃げ出した巫女は見つからなかった。当然、神域の中は徹底的に捜索されたが姿を見出せず、神域の奥にある禁足地へと逃げ、命を落としたのだろうと判断し、代わりの巫女をたてて翌日、生贄の儀式は執り行われたという。


 その後、警備等に関わった人間は一度栄転させた後、頃合いを見て全員謀殺された。



 ラニーアというその巫女とアガナタの関係について、資料の中では触れられていなかったが、おそらく、親族か、あるいは恋人だったのだろう。


 先程のレシュトロの会話から想像するに、彼女はラニーアをアガナタの尋問の道具と捉えていると見て間違いない。


 そう思い至ると同時に、体の中を無遠慮にかき回されるような不快感が走り、必死にそれに耐える。

 気づくと、額から汗が吹き出していた。



 何とか呼吸を整えようと目を瞑ると、王都の東屋で、ラニーアの名前を聞いて激昂したアガナタの声が頭の中に響いた。


『その名を口にするな! お前らが何を知っているって言うんだ! 彼女の苦しみを、無念を、怒りを、絶望を! 何か一つでも知っているというのか!』



 世界は残酷で、ここは平和の箱庭。

 だが、だからといって何でも許されるとは思わない。


 力なき者たちであっても、仮に守られぬか弱き命であったとしても、せめてその魂だけは何者にも侵されず、純潔であって欲しいと、そう願う。


 彼らの思い出を、その魂の聖域を汚すことが、耐え難い苦痛に感じられた。

 その一線だけは超えてはならないと、祈りにも似た気持ちを抱え、途方に暮れる。



 資料から顔を上げ、主のいない部屋を見回す。

 見慣れたレシュトロの執務室がなんだか酷くよそよそしく感じられ、ニアティは寂しそうな笑みを浮かべる。


 大きく息を吸い込み、ゆっくりと時間をかけてそれを吐き出すと、資料を机の上に戻し、それからそっと耳飾りを外した。


 自分の髪と同じ色をした耳飾り。

 レシュトロから朧に誘われた時に貰ったそれを、掌の上でじっと見つめ、彼女は目を細める。


 そして、静かにレシュトロの執務室から退出する。彼女の顔には緊張の色が浮かび、けれどその瞳には、確かに力が宿っていた。




 神殿のかわやは、背後の山から流れてくる水を取り込み、厠の床下を通すことで衛生状態を保つ構造となっており、水の流れる音が室内に響いていた。


 その厠の中の個室で、赤の守護神官は半面を外す。そして、先程廊下で拝借してきた、儀式用と思われる典礼侍女の衣装に着替えながら、そっと息を吐いた。



 奉献の徒の控室から勢い良く廊下に飛び出したまでは良かったが、そもそも階段は厠と反対方向で、全くの無計画だった彼女は途方に暮れた。おまけに、警備の男に厠まで先導されてしまい、勝手に五階に上がるのは絶望的だった。


 何か事態を打開する方法はないかと、彼女は焦りながら必死に辺りの様子を伺う。

 神殿の廊下は生贄の儀式を控え、修士の指揮の元、多くの侍従や侍女が行き交い、通路脇に様々な荷物が置かれていた。


 そんな中に典礼侍女の衣装を見つけ、辺りを警戒しつつも、彼女はとっさにそれを盗り、マントの中に隠した。自分でも滅茶苦茶なことをしている自覚はあったが、それでも、何かをせずにはいられないという激しい焦燥感が彼女を突き動かした。


 そして、その衣装を厠に持ち込むことに成功し、今に至る。



 咄嗟に掴んだその衣装は彼女には少し小さかったが、この際贅沢は言っていられない。

 それよりも、この衣装が典礼侍女の物であるということの方が問題だ。


 廊下で作業している侍従も侍女も、その衣装は儀式用の特別なものには見えなかった。しかし、今着たこの衣装は儀式本番で身に付けるものだ。どう考えても悪目立ちする。


 見破られた時、一体どんなことが起こるのか。自分は、そして他の奉献の徒はどうなってしまうのかと、急に不安に襲われる彼女。


 教団の中枢である神殿の厠で、侍女の姿に着替えている自分が酷く無意味で滑稽なことをしているような気持ちが湧き出し、息苦しさを覚える。


 勝算なんて、ない。

 こんなことをしても、未来は変えられない。


 不安に塗りつぶされそうな心細さの中で、ふとよぎったのは、家に残してきた妹の顔。


「お姉ちゃん、無事に帰ってきてね!」

 彼女が奉献の徒として家を空けることに怒り、数日間口を聞いてくれなかった妹は、最後に不安そうな顔でそう言って送り出してくれた。


 彼女は胸の内に温かいものを感じたが、同時に「無事に帰る」という選択肢が初めから与えられていない巫女のことに思いを馳せ、締め付けられるような痛みを覚える。


 自分よりもよほど辛い思いをし、そして生贄という運命に押し潰されようとしている彼女を思い、赤の神官は自分を叱咤する。


(私が怖気づいてどうする! 巫女様は、あの娘はもっと戦っているんだ!)


 両手のひらで自分の頬を叩き、気合を入れて背筋を伸ばすと、彼女は唇を一文字に結び、厠から廊下へと出た。



 腕を組み、女性用の厠の出入り口近くの壁にもたれて赤の神官を待っていた警備の男がじろりと彼女を見た。


 厠の中には三つの個室があるため、半面を外して変装さえ上手くできていれば警備の男に怪しまれることはない筈だ。筈なのだが……


 思わず顔が引きつってしまうのを意識しつつ、目をそらしながら会釈し、男の横をそっと通り過ぎる。不躾に、じっと彼女を見つめる男の視線が絡みつき、心臓が激しく波打った。


 すれ違いざま、その瞳を激しく意識してしまい、本当に見られているのかすら分からないにも関わらず、まるで視線に首を撫でられているような錯覚を覚え、身の毛がよだつ。そして、急激に息苦しくなり、思わずむせ返ってしまった。


「おい、アンタ……」

 唐突に、男に呼び止められる。


 それは彼女に、まるで抜き身の剣の切っ先を向けられたような感覚を与え、もし帯剣していたら反射的に剣を抜き放っていただろう。だが、実際には剣は厠の中の用具箱の中に隠してきた。


 本能的な危険を覚えた彼女は、咄嗟に振り向いて体を構えると、相手を睨みつけていた。


 驚き、目を見開く男と視線が交錯し、彼女は自らの過剰な反応に気づくも、今更どうして良いか分からず、頭が真っ白になった。


「何ジロジロ見てるのよ! しかも厠の前で! この変態!!」


 言った自分でもびっくりしたが、言われた男はそれ以上に驚いた。


 突然むせた彼女を心配して声をかけただけの男は、彼女のあまりの剣幕に慌てて弁明する。

「いや、そういうつもりでは……、す、すまん、失礼した!」


 そう言って慌てて背中を向けると、小走りに駆け出し、そのまま廊下の角を曲がって姿を消した。


 赤の神官は呆然とその背中を見送り、心の中で彼に手を合わせて謝罪する。

 そして、彼女は目を瞑って大きく息を吐き出した。


 こんなことで動揺しているようで、どうしてアーオステニアの元までたどり着けるだろうか。


 彼女は、歯を食いしばって拳を握る。そして、守護主神官から聞き出した宮殿の構造を頭の中でおさらいしながら目を見開いて振り返ると、廊下を行き来する侍従や侍女がチラチラとこちらを見ながら作業している様子が目に映る。


 そんな彼らを一人ずつ睨みつけるように見つめ、彼女はぼそりと呟いた。


「……負けるもんか!」



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